「ただいまー」

暗い部屋へ女性が声を投げ掛ける。リビングへ行くと、照明の点いていない部屋にニュース番組のキャスターの声が淡々と流れている。人の気配がない。あれ、と女性は呟いた。

「響人くーん?」

「おかえり、春美さん。」

「うわっ、びっくりした!!居るなら電気点けなよ!」

春美と呼ばれた女性の背後にはアキオを抱いた響人が立っていた。ミャーオ、と一声鳴き、アキオは響人の腕からもがき出て床に降りる。はあ、と春美は安堵のため息を吐くと照明を点け、スーツのジャケットを脱ぎだした。

「寝てたの?」

制服を着崩した響人は欠伸をする。

「...うん。ちょっと。」

「そっか。お腹空いてるでしょ、ご飯作るね。」

「手伝う。」

「いいわ、先お風呂入っちゃって。」

「........。」

エプロンを着け手際よく料理の支度を進める春美を寝ぼけ眼で見つめていると、響人はアキオの餌やりを忘れていたことに気がついた。家事をほぼ全般春美に任せきりになってしまっている代わりに、アキオの世話は全部響人が務めている。アキオも腹が減っているようで、響人の脚に身体を擦り付けてねだっている。

そこでふと変な思いつきが頭をよぎった。

このままアキオに餌を与えなかったらどうなるのだろう?と。

答えは簡単だ。当然、死ぬ。しかしそのことに興味があるわけではない。肝心なのは死ぬまでの過程である。餌をやらない主人に縋り付くのか、攻撃するのか、はたまた脱走でも試みるのか。何回も何回も悲壮に満ちた声で鳴くのだろう。そして本当に生き絶えるときには、餌を食べる気力もなくなるのではなかろうか。

試したい。見てみたい。
命が終わっていく様を。
試したい。
試したい試したい試したい試したい試したい試したい試したい試したい試したい試したい試したい試したい試したい試したい試したい試したい試し

「ちょっと響人くーん?アキオの餌やりとお風呂、早く。」

「.........。」

高揚感は一瞬にして冷め、きょとんとした彼女に対して彼は殺意に類似したものを強く覚えた。




はあ、とため息をつきその場を去ろうとすると突然、立ちくらみと耳鳴りが同時に響人を襲った。
キーン…という音が鳴り止むどころか大きくなり、揺らぐ視界に伴って脳が締め付けられるような擬似的感覚に酔う。


”…….死ね….っ!お前…んかっ….死ん..まえっ!!”



ふっと脳裏で懐かしい声が響く。誰の声だったか。そうだ、たしかこれは...。
春美が台所で水を流す音がいやに大きく聞こえた。

ザーッ....ザーッ....

”クソヤロウ…!このっ…!!”

ザーッ...ザーッ....

「…..ひとでなし。」

響人は無意識のうちに言葉を発した。春美がきゅっと水道を止めると騒がしく感じた水流音はすっと消え去る。

「何か言った?」

響人が黙りこくっているとアキオが代わりをするようにニャーオ、と鳴いた。