「ちょっと、ちゃんと基礎練するよ!」

教卓にメトロノームを置き、智世はだらけた部活仲間にきつく言い放った。教室の窓際に座り楽器を放置して二人の女子生徒は駄々をこねた。

「えー、いいじゃん。ちょっと休憩ー。」
「大体なんでウチの部だけ練習あんのー?他は始業式の日に練習なんかしてないのにさー。」

へらへら笑って文句を垂れる二人に智世はうなだれ、5分だけね、と折れた。

「こーゆうとき、帰宅部はいいよねー。」
「わかる。でも帰宅部のやつってそんないたっけ?」

帰宅部、というワードをきいて、智世の頭にはすぐに響人の顔が思い浮かんだ。

「あたしの友達にいるよ。」
「ふーん、誰?」
「遊馬響人。知ってる?」
「えっ!!あの?!」

響人の名前を出した瞬間、二人は凍りついた。顔を見合わせてから、怪訝な表情を浮かべて智世に恐る恐る尋ねる。

「遊馬響人って極悪人じゃん。超ゲスいって噂の。美香が言ってた。」
「ね!”人に非る”で非人なんでしょ?マジ怖いわ、あいつ帰宅部なんだ。」

「なんで?!そんなことない!!」

怯える二人の様子に苛立った智世は思わず叫んだ。二人は肩を跳ねさせて智世をまじまじと見つめる。

「響人は優しいし、頭がいいし、聞き上手だもん!みんな噂に影響されすぎ!そんなこと2度と言わないで。」

声を荒げた智世の瞳には今にも溢れそうなほど涙が溜まっている。慌てて一人が智世を制した。

「ご、ごめんって。でもちーちゃん、あいつの噂知ってるの?」

「.......どんなのなの?」

聞くところによると、響人はときたま、常人とは思えないおかしな行動をとるらしい。巣から落ちたツバメの子を拾っては飢えた野良猫に餌として与えたり、道路脇で車に轢かれボロ切れのようになった動物の死骸が何度も轢かれる様子をただただ見つめていたり、といった内容のものだった。

「そこである日、杉原が遊馬に尋ねたらしいのよ、何でそんなことするんだって。」

「それで...響人はなんて...?」

全然知らなかった。影でそんなことを言われているなんて。響人についてよく知っているつもりであった智世は、静かに落胆していた。

「それがねー、”かわいそうだから”だってさ。でもそれをしてる時の遊馬の表情がヤバイくて、理由と矛盾してるらしいの。」

「どんなどんな?」

二人は盛り上がっている。休憩時間の5分はとうに過ぎている。

「顔が完全にイっちゃってたらしいの。とにかく満足そうで不気味だったって。」

「ひぇ〜、キモいわー。顔はイケメンな方のにねー。」

「それな。でもその男子が話しかけたら、けろっと普通の顔に戻ったらしい。怖くない?」

「怖い、怖い。」

あはは、と二人は手を叩いて盛り上がる。智世は俯いてなにも言えなくなっていた。根拠のない噂でここまでひどく言われる響人をあまりに可哀想に感じ、あたしが守らなきゃ、と強く思った。

「ちーちゃん、やっぱ知らなかったの?」

「ごめんねなんか。割とショックだった?」

智世は無言で二人から離れ、机に置いておいたヴィオラを手に取って綺麗なロングトーンを一音だけ奏でた。

「あたしは噂なんて信じない。人の判断は自分の目でする。」

強い意志を感じさせる声で目を合わせずに言い放つ。その様子に驚いた二人は、少し間を置いてから、目を合わせてしたり顔になって、智世に問いかけた。

「ちーちゃんさあ、もしかして遊馬のこと好きなの?」

「んなっ!?」

思わず振り向いた智世の顔が一瞬にして赤くなった。