響人の家は4階建アパートの最上階の一室にあった。帰宅の時間には誰もおらず、今日もいつもの通りドア前に着くと、東向きの暗い部屋の中へ入った。自分の部屋に荷物を置き、一息つこうと台所へ向かったその時、鈴を転がしたような獣の声が静かな部屋に響いく。

「...ミャーオ。」

足元には暗い影と同化していた1匹の黒猫がいた。響人はしゃがみこんで猫の喉元を掻く。

「こんなところにいたのか、アキオ。」

喉を鳴らすアキオは響人がこの家に来てから1年ほどたったときに飼い始めた猫である。4年前、響人は両親を事故で亡くし、親戚の家をたらい回しにされた挙句、血縁のないある中学校教諭の女性に引き取られた。アキオはその女性が拾ってきた猫で、今年で2歳になる。
冷蔵庫から自分用のアイスコーヒーとアキオ用のミルクを取り出し、それぞれの器に注ぐ。アキオはミルクが貰えるとわかったようで、さらに高く甘える声で鳴いた。リビングに移動しアキオの器を床に置き、ソファーに座ってコーヒーに口をつける。部屋の明かりは点けず、西に傾きかけたわずかな日を取り込んだ部屋で、先ほどの少年との会話を思い出すため、目を閉じて回想に耽る。

「最高だったなぁ...。」

ふとテーブルの端を見遣ると、響人は同居人の仕事道具である歴史の資料が一冊置かれているのに気がついた。『原爆歴史資料集〜広島・長崎の悪夢〜』と題されたその分厚い本を手に取り、なんとなく開いてみると、そこには先ほどの響人の興奮を強く呼び起こす写真の山があった。原爆症や身体中に出た斑点に苦しむ人々、人の形をした炭の塊の写真などがあちこちに羅列されている。

これこそまさに生命!死!殺人!!
響人はこれまでないほどに口角が上がり、涎が垂れそうになるのを堪え、一人で静かに笑っていた。