大病院のある一室で、ひとつのベッドを囲み親子はすすり泣いていた。部屋の窓は、今にも雨が降り出しそうな空を映している。重苦しい雰囲気に耐えきれず、娘の智世が口を開いた。

「お母さん…あたし…」

「…うるさいっ!!この金食い虫が!」

智世の母親は張り裂けんばかりに声を荒げた。智世は肩を跳ねさせ、必死に涙がこぼれそうになるのを堪える。

智世の兄が昨日夕方に交通事故に遭い、意識不明の重体となった。医者によると体の傷はそこまでひどくないものの、脳の損傷が激しく、脳死に近い状態らしい。回復の見込みは低いようだ。
智世は兄が大好きだった。自身の音楽教育のために父の保険金を当てていたことに対し、兄は寛容だった。母は智世を批判し、厄介払いしていたが、兄だけは応援してくれた。社会人となって働きに出てからは、智世の学費やレッスン代も援助していた。そんな優しい兄が、相手の車の過失のせいで動けなくなってしまった。心にぽっかりと穴が空いたような、本当に心細い気持ちだ。
母は特に兄を可愛がっていたので、ベッドにすがりついてひたすら泣いていた。智世が母を慰めようとしても、拒絶されるばかりで、その度に智世は心に深く傷を負った。

智世は心の拠り所を求めていた。病室を出て一人で病院のテラスへ向かった。湿った肌寒い風に吹かれながら、目をぎゅっと瞑って泣くのを我慢しようとすると、一番に脳裏に思い浮かんだのは響人の姿であった。響人に会いたい、でも心配をかけたくない…。その葛藤に悩むあまり、智世は未だに彼に連絡を入れられていない。携帯を握りしめ、何度もメッセージのトーク画面を開いた。しかし、最初の一文字が打ち込めない。

何度目の決心か、再びトーク画面を開こうとしたその時、智世の携帯が振動した。画面には” 響人 さんから1件のメッセージ”と表示されている。普段響人から連絡が来ることはほとんどない。智世は何事かと思い、急いでメッセージを表示した。

“今日、なんかあった?”

その文字を読んだ瞬間、とうとう耐えられなくなって、堪えていた涙が頬を伝った。服の袖で涙を拭き、嗚咽を漏らしながらメッセージを送った。

“今、電話してもいい?”