賑やかな街から遠ざかるように、山の中にひっそりと建てられた古い神社。ここには、誰もいない。彼女が幼い頃からそうだった。

「どこの神様の所有物なんだろ…。お父様に訊いても「わからん。そんな暇があるなら舞の稽古をせい」だったしなぁ〜」

神社の石階段に座り、十六歳ほどの少女は古びた鳥居にもたれかかる。少女は幼い頃から家から避難する場所として、この神社に来ていた。この神社で誰かと会ったことは一度もない。

少女は、海老茶色の袴に牡丹の花柄の着物を着ている。いい家のお嬢様だということは一目瞭然だが、その手にはお嬢様には似つかわしくない大きな刀が握られていた。

少女は、家を抜け出して一日中遊んでいた。こうでもしないと自由を得られない。久々の自由は、少女にとってあっという間の出来事だった。

茜色に染まる世界。北の空に向かって漆黒の烏が群れをなして飛んでいく。少女は、あの烏たちと一緒にどこまでも飛んでいきたいと思った。
黙って家を抜け出したのだから、両親や兄弟、大臣や侍女たちに怒られることは確定だ。だからこそ、今を楽しもうと少女は空を見上げる。

「……空を見るの、久しぶりだなぁ」

少女の呟きは、少し強く吹いた風にかき消される。神社に生えている大きなクスノキがざわりと揺れた。

少女が安堵のため息をついていると、その両耳が近くで争いごとが起きていることを知らせる。

「……ェ!ふざけんな!」

「……コイツ……ですし、金をたくさん……!」

「や、やめてください!」

少女はわずかに聞こえた会話から、ただの喧嘩ではないと判断し、刀を持ってその場所へ向かう。誰が聞いてもこれは強盗事件だと思うはずだ。

事件はどうやら神社のすぐ近くで起きているようだ。強盗事件など巡り合ったことなどない。少女はゴクリと唾を飲む。

現場では、一人の弱そうな男性が六人の大柄な男たちに囲まれていた。男性の荷物は奪われ、仲間の一人が物色している。

その卑劣な行為に少女は腹を立て、ぎゅっと力強く愛刀を握りしめた。
「……こいつ、どうしましょう?」

「顔見られちまってるしなぁ〜。切れ」

一人がそう指示を出すと、男たちは一斉に剣を抜く。男性は怯えながらも、どこか諦めたような表情を見せていた。

すかさず少女は飛び出す。

「剣を持っていない相手に剣を向けるなど言語道断!貴様らはそれでも武士だと言うのか!!」

いきなり飛び出して来た少女の姿に、男たちは一瞬は驚きを見せるがそれもすぐに下卑た笑みへと変わる。

「幸運だぜ!売り飛ばせば金になりそうな娘じゃねえか!」

「売り飛ばす前に、ヤッちまいましょうよ!」

そんな汚らしい会話に、少女はうんざりした目を男たちに向ける。そして、「無駄口はそれまでにしろ」と刃を向け、男たちを睨みつける。

「へぇ…。お嬢様なのに…」

「顔に傷をつけるなよ。売り物にならなくなる」

男たちはゆっくりと少女に近づく。

「あなたは私の後ろにいて」

低い声で少女は男性に命じる。男性はこくこくと素早く頷いた。
先に攻撃をしてきたのは、男たちの方だった。大きく剣を振りかぶり、少女の剣を叩き落とそうとする。それを少女は軽々と避け、男を切りつけた。

男たちが驚いている隙に、少女は次々と攻撃していく。それは一瞬の出来事だった。

「走って!」

倒れた男から男性の荷物を回収し、少女は男性の手を引く。神社を離れ、人気がある場所まで走り続けた。

二人の息が上がり、足を止めた時には、すでに陽は落ちていた。行き交う人々の足は早い。

「怪我は?」

少女が男性に訊ねる。見たところはなさそうだ。

「大丈夫です。…ありがとうございました」

男性は深々と少女に頭を下げる。男性は落ち着いた雰囲気で、顔もどこか大人びている。少女より確実に年上だろう。

「いや、別にいいよ!そんなお礼なんて…。最近は忙しくて剣の稽古ができてなかったしさ」

「でも、あなたのおかげで助かりました!今度お礼をさせてください!」

少女は断ったが、男性は諦める様子はない。仕方なく少女は約束をして別れることにした。

「私の名前はツキヤと申します」

男性がそう言って微笑む。
少女は己の名を名乗ることを少しためらった。少女の正体がバレれば、少女自身に危険が及ぶこともあるからだ。

しかし、幸いにもこの場には二人しかいない。あれだけ多く行き交っていた人々は、さっさと自分の家に帰って行ったようだ。

安心し、少女は名前を口にする。

「……サシャ。名はサシャという」

「サシャ様…!いいお名前です!」

運命の歯車は動き出すーーー。
風が吹くたびに、桜の花が儚く散っていく。

「……きれいね。ツキヤ」

少女は隣に立つ古びた着物を着た男性の頰に触れる。男性は頰を赤らめ、少女を見つめた。

「あなたの方が、もっとお美しいですよ。サシャ様……」

どこかで鶯の歌声が響く。春の訪れを告げる鳥だ。

「あなたに出会えて、本当に幸せ」

少女は、そっと男性に口付ける。唇が触れたのはほんの一瞬だったが、二人の顔は夕焼けのように赤く染まったままだ。

男性は、少女の髪に桜の花をそっと飾る。黒い髪に薄いピンクの花が映える。

「やはり、あなたはお美しい」

男性はそう言って、今度は自分から少女に優しく口付けた……。



神条紗月(しんじょうさつき)が目を開けると、いつもの見慣れた天井があった。

「……夢……」

ゆっくりと布団から体を起こした沙月は呟く。

沙月は、幼い頃からよく同じ夢を見る。それがさっきのツキヤという男性とサシャという少女のものだ。