「確認の途中で悪かったな。寝心地はどう――――って、お前ら!」
「あっ、違うんです!」
さっきまで早く斧田さんに戻ってきてほしいと願っていたものの、今じゃないです! こんな状況になる前に見つけてほしかった!
明らかに何か誤解をしているような斧田さんの視線がつらい。見つかってしまった私は必死で首を横に振り無実を訴えるが、それも森場くんの腕の中では説得力がない。
「斧田さん誤解しないでください! 私と森場くんは、別に――」
斧田さんは私たちを直視しないように手で顔を隠しながら嘆く。
「開発室でいかがわしいことはやめてくれ……! 他所でならいくらやってもいいから!」
「違うんですってば! やましいことは何も……! っていうか森場くんちょっと、寝たフリやめて!」
「いやぁ、抱き心地はしっかり試さないと…………あ、間違えた。寝心地だった」
「森場くん――!!」
シチュエーションが誤解を呼び、森場くんの発言が更に誤解を真実たらしめて、斧田さんに〝冗談だった〟と理解してもらうのにはものすごく時間がかかった。
(乙原さんに続いて斧田さんまでも……)
技術開発室からプロジェクトルームへの帰り道。最終的に誤解が解けたからよかったものの、森場くんが面白半分で誤解を加速させようとするので私はどっと疲れていた。
「も……ほんとに、森場くん。いい加減にして……」
「ごめんごめん。いや、でもさ。お陰でちょっと何か掴めた気がするんだ~」
あのやり取りで一体何が掴めたというの……。
絶対に〝からかわれただけ〟だと思った。でも森場くんが、一切の下心を見せず純粋な目をキラキラさせているから、〝あ、これほんとに仕事のことしか考えてないな……〟と思わせられた。
よくよく考えれば、森場くんクラスの人が私に下心を持つとも思えない。百パーセント仕事目的だったんだと思うと、〝やっぱそうだよなぁ〟と納得してしまう。
同時に少し落ち込む。ちょっとでもドキドキしてしまった自分が馬鹿みたいだ。
(……でも……私のこと憶えててくれたんだよね)
それだけはとてつもなく嬉しい。子どもの頃の思い出を大事に持っているのは自分だけだと思っていたから、そうではなかったと知って嬉しい。
ちらりと隣の森場くんの顔を盗み見る。彼の横顔は、今にも鼻歌を歌いだしそうなくらい、なんだかとっても機嫌がよかった。
もう一回、昔の話をしてもいいかな? さっきは斧田さんに弁解するのに必死で突っ込んだ話ができなかったけど、もっと聞きたい。彼が昔のことをどれだけ憶えていて、それを今、どんな風に思っているのか。
好奇心がムクムクと湧いてきて抑えきれず、私は意を決して彼に思い出話を振ろうと。
「っ……あの! 森場く――」
「吉澤さん!」
「は、はい!」
話しかけたらそれを上回る勢いで名前を呼ばれ、とっさに返事をする。
廊下のど真ん中で立ち止まり、私の顔を見た森場くんの顔は真剣そのもの。よくよく見ると、彼は少し頬を上気させて、興奮していて、何か抑えきれないパッションを放っていた。
「な……なに……?」
昔話をするにしてはいささかテンションが高すぎる。こんなに真剣な顔で一体何を言われるのか。一ミリも想像がつかなくて、緊張しながら待っていると。
彼は言った。
「俺…………ちょっと、ほんとにいいこと思いついたかもしんない」
「え?」
「パートナーと使うベッド……体の弛緩……安らぎ。……うん、いいアイデアな気がしてきた!」
森場くんは何かをぼそぼそ口走ったかと思うと、私の両肩を力強く叩いた。
「ありがとう吉澤さん! 俺、ちょっともう一回斧田さんと相談してくるわ」
「え!」
「あと情報収集に他部署回ってくるから、先に戻ってて!」
「……えぇーっ」
言葉の途中で森場くんはもう走り出していて、気付けばどんどん背中が遠ざかっていた。呼び止められるような隙はなく、彼と思い出話をしたかった私の気持ちは宙ぶらりんになる。
「も……森場くん……」
ちょっと切ないけど、お役に立てたならよかったです……。
私と二人でプロトタイプベッドの使用感を試した翌週の月曜日、ベッドに「オプション機能をもう一つ足したい」と言い出した森場くん。
〝パートナーを抱きしめたまま眠ってしまった時にも最適な構造に変化する仕様にできませんかね?〟
朝一に彼が撃ち込んできた提案に、〝LUXA〟チーム一同は戦慄し、〝完成目前〟だと思っていた斧田さんは泡を吹いた。
「今の段階でそういった仕様変更ってできるんですか……?」
事態の重さをいまいち測りきれなかった私は、隣の湯川さんに小声で尋ねた。早くも森場くんの提案についてその場にいた数名が議論を白熱させているなか、湯川さんも小声で返してくれる。
「オプションだし、基盤をいじるわけではないんだろうけど……できるかできないかって言うより、〝やる〟って感じね。死ぬのは主に斧田さん。まあでも……社長の肝煎り企画で〝森場の好きなようにやらせろ〟ってことになってるし、却下はできないだろうなぁ」
「なるほど……」
湯川さんの説明通りだった。なかなか首を縦に振らなかった斧田さんだけど、最終的には森場くんの説得に折れる形で〝LUXA〟の新機能追加が決定した。
機能が増えれば、広告で謳えることも変わる。プロモーションのアイデアの幅も広がる。反対に、〝何を前面に押し出していくか〟が重要になってくる。斧田さんのみに限らず、チーム一同てんやわんやになった。
当然、森場くんと二人きりになる機会もなければ、昔の思い出話を持ち出せるような雰囲気でもない。
ベッドの完成自体が少し先延ばしになり、技術開発室にこもることになった斧田さんから「もう後出しはなしにしてくれ! アイデアがあるなら全部先に言って!」と泣きつかれ、〝LUXA〟チーム一同は「それもそうだ」と納得した。
湯川さんは腕を組み、美しい眉を困ったようにハの字にして言う。
「確かに、森場が何か思いつくたびに延期にしてたんじゃキリがないわよね」
「申し訳ないです……」
チームのメンバーで部屋の中央の机を囲んで話し合う中、私は森場くんの隣に座って彼の様子を間近で見ていた。自分の発言によってプロジェクトの進行が遅れることを森場くん自身も申し訳なく思っているようで、彼は少しシュンとしている。
森場くんは言いにくそうに発言した。
「企画段階で出しきっておくべきことだと思うので、本当に申し訳ないんですが……ここにきて次から次に浮かんでしまうというか。そういうモードに突入してしまったみたいで……」
「っていうことは、まだ出てくる可能性があるのか……!」
斧田さんの悲鳴のような問いかけに心苦しそうに頷く森場くん。〝嘘はつけない〟といった感じだ。
森場くんだって、いたずらに製品の完成を遅らせたいわけではないはず。けれど〝こうすればもっと良いモノができる〟と確信してしまったら、黙っているわけにはいかないんだろう。その気持ちもわかる。
みんなもそれを理解しているなか、しかしどこかで区切りはつけないといけないことに頭を悩ませている。「う~ん……」と悩む声が方々から聞こえるプロジェクトルームの中で、私はおそるおそる挙手した。
「あの……思い切って、しばらく開発をストップするのはどうでしょうか」
チームの面々の視線が一気に私のもとへ集まってくる。
(あっ、これ、なかなかのプレッシャー……!)
社内のスターの面々はみんな目力がある。私よりもずっと経験値があって賢い人たちが、私の発言に注目して評価を下そうとしているのは、考えてみればものすごいシチュエーションだった。
肌がビリビリする。油断すると声が震えそうになるのを堪えながら、私は続けた。
「今がアイデアが浮かびやすい時期だというなら、たとえば〝二週間〟とか期限を設けて……森場くんには企画に専念してもらって、悔いのないよう出しきってもらったほうがいいんじゃないかと思いました」
静まり返るプロジェクトルーム。みんなが一斉に頭の中の電卓を叩き始めたのがわかった。それぞれのセクションにおいて〝二週間〟のロスは許せるか。それを差し引いても森場くんのアイデアに期待する価値があるか。
後者はたぶん心配ない。彼は社長からも絶対の信頼を寄せられるエース。問題があるとしたら前者だ。時間の皺寄せによって短い時間の中でこなさなければいけなくなる業務のことをみんな心配している。「言うのは簡単だけどさ」という雰囲気が感じ取れた。
私は自分の言葉が無責任に聞こえないように、精一杯言葉を尽くす。
「もっ……もちろん! 遅れることで膨らむ業務は私もお手伝いします! 私にできることならなんだってします……!」
再び沈黙。私の宣言を加味して再び脳内電卓が叩かれる。
(……大口を叩いてしまった!)
〝私にできることならなんでもする〟とは言ったが、最近プロジェクトに入ったばかりの私に何ができるというのか。自分にこんな大口を叩く権利はなかったのではないか。
鳩尾のあたりがキリキリして仕方がない。黙って審判を待つ。隣の森場くんの顔を見ると、彼は驚ききょとんとした顔で私のことを見ていた。
そして沈黙の中、湯川さんが口を開く。
「……そうね。まだ追加があるかもしれないのに開発を動かすのは不毛だし、待つ期間としても〝二週間〟は妥当かもね」
それに反応して斧田さんも。
「そうだな……こっちとしても、同時並行で動くよりはそのほうが有難いな。森場。二週間でいけるか?」
「はい!」
彼は意気揚々と返事をしていたが、私は〝ほんとに二週間でよかったんだろうか〟と不安になった。私が勝手に例で挙げてしまった期限に決まってしまったけど……。
隣の彼に小声で「勝手なことを言ってごめん」と謝ると、森場くんは顔をくしゃっと笑わせて「なんで? 吉澤さん最高」と褒めてくれた。
それから彼は続けて、チームの面々にこう言った。真剣な顔で。
「俺の我が儘で本当にすみません。時間をいただいたからには今よりも絶対にいい企画にしますので、どうか力を貸してください。……それから、我が儘ついでに――」
みんながエースの真剣な話を、真剣な面持ちで聞いていた。〝ここまできたら何でもこい〟と頼りになる雰囲気。〝お前の言うことなら聞いてやる〟という厚い信頼が見える。
(スターが揃うとこんないいチームができるんだなぁ。偶然とはいえ、こんな場に混ぜてもらって有難いなぁ……)
そうしみじみ感じながら、私も森場くんの話を聞いていたら。
彼の〝我が儘ついで〟の要求はものすごい内容だった。
「俺、吉澤さんと結婚したいです」
(…………んんっ!?)
目ん玉が飛び出る……という表現は、もう古いでしょうか。でもまさしくそんな感じだった。彼が言葉を発してから私がその意味を理解するまで三秒ほど。空耳を疑い、幻聴を疑い、しかし森場くんが澄みきった目で前を見据えているので、私はワケがわからなくなった。
「……うぇっ……えぇっ……?」
混乱したのは私だけじゃあない。真剣な顔をしていた〝LUXA〟チーム一同もぽかんとして、今は〝何言ってんだコイツ〟という顔で森場くんのことを見ている。
またしても先陣を切ったのは湯川さんだった。彼女は先ほどよりもよっぽど困り切った顔で問いかける。
「えっ、ごめん森場……どういうこと? なっちゃんも愕然としてるけど……」
「あ! 意味わからないですよね! すみません!」
周囲の異様な空気に気付いたらしい森場くんが大慌てで弁解を始める。顔の前で大きく手を振りながら、メンバーと私の顔を交互に見て。
「実は、アイデアがぽんぽん浮かぶようになったキッカケが、吉澤さんとプロトタイプを一緒に試したことなんです。恥ずかしながら俺、恋愛はここんとこご無沙汰で……彼女とかもしばらくいなくて。女性と二人でベッドに入ることがなかったから、正直〝こんな感じかぁ〟って感動して……」
「森場くん……!?」
またそんな誤解を招きそうな言い方して……!
今すぐ彼を黙らせたくて手で口を塞いでしまおうか迷っていたら、意外にも斧田さんが神妙なトーンで応じた。
「それで?」
(〝それで〟!?)
森場くんもふざけている様子は一切なく、斧田さんと同じ神妙なトーンで答える。
「はい。吉澤さんに製品開発のために協力してもらえたらと思っています。夫婦やカップルユースを意識して〝セミダブル〟をメインにしてたのに、俺自身がユーザーのインサイトを理解しきれていないことがずっとネックでした。だから……ねっ!」
(〝ねっ〟!?)
森場くんはキラキラした笑顔を私に向けて同意を促してくる。