無遅刻無欠席が取り柄の引っ込み思案の透明人間

 次の駅で降りた。自動改札口の並びの柵を乗り越え、俺は改札を出た。  
 ひとつ駅を乗り越したのだが、電車では戻れなかった。上りの電車は超満員なのである。

 そんなところに透明人間が乗り込むと大変なことになる。満員の車両に変な空間ができる。

 空間があると、乗客は、その空間めがけて押し寄せてくる。砂漠で見つけたオアシスのように。

 俺が無遅刻無欠席なのには理由がある。俺は危機管理の固まりなのだ。

 通学途中でお腹が痛くなったら……。
 電車が遅延したら……。 

 だから俺は30分前に学校に着くように家を早くでる。

 電車が遅延しても、証明書をもらえば、記録上遅刻にはならない。でも俺はそれでは気がすまない。


 俺にとっての無遅刻無欠席は、理由を問わず、その時間にその場所にいるかどうかなのだ。 

 だから30分前に着くように家を出る。この電車がダメでも並行して走る私鉄や市バスがある。

 そして今日は、更に30分早く家を出ている。

 俺は歩いて一駅戻ることにした。

 足が痛かった。俺は裸足でいることを思い出した。

 駅前の放置自転車を探した。すぐ見つかった。放置自転車には貼り紙がしてある。何日間か警告の貼り紙を貼って、持ち主が移動していなければ、放置自転車置き場に移動される。

 歩道と車道は縁石で区切られており、高さ60センチメートルぐらいの柵が歩道に沿って設けられている。

 通勤通学のためと思われる200台ぐらいの自転車群がその柵にぶつけるように置かれている。

 20メートルごとに埋められている植樹には、自転車を置かないで下さいという看板が、むなしくぶら下げられていた。

 俺は放置自転車のうち、比較的動かし安い自転車を選んだ。

 動かしにくそうな自転車を選ぶと自転車が次々に横倒しになる可能性がある。

 通勤通学の自転車は、歩道の柵に絡めて施錠しているが、放置自転車……、おそらく盗難自転車は、乗り捨てなので鍵はかけられていない。

 線路と道路は東西に走り、南は海で海岸線に沿って公園が続き、北は、なだらかな上り坂が延々と続く。

 線路の南側は国道がはしり、俺のいる北側は、センターラインのない道路が線路に沿って走っている。

 透明人間の俺は意を決して自転車に乗り、ひとつ前の駅に向かって、走りだした。


 時間が分からなかった。

 立ちこぎをした。

 前傾姿勢をとり、お尻を高くあげ自転車をこいだ。

 俺は透明であるものの全裸なのだ。

 透明人間だからよいものの、あられもない格好なのだ。

 そう思うと笑えてきた。

 いろんな感情がわき起こり、大声で笑いながら自転車をこいだ。

 通行人は、立ち止まって口を開けて振り返った。

 彼らには、自転車が暴走しているとしか見えない。

 お構い無く大声で笑いながら自転車をこいだ。 
 
 少し肌寒かったが体が温まってきた。

 途中から商店街に入った。

 ほとんどの店のシャッターは閉まっていた。

 通勤通学で人通りが多かった。

 俺はチリンチリン鳴らしながら人たちの間をすり抜けた。

 怪しまれようが驚かれようがもうどうでもよくなっていた。

 空腹だった。

 思ったより透明人間は、運動量が多い。

 思ったより透明人間は、頭を使う。

 思ったより透明人間は、気を使う。

 思ったより……。

 商店街を抜けると俺の降りるべき駅が見えてきた。



俺は北出口からいつもの通学路に戻った。

 そしてなだらかな坂の途中にある高校に向かった。

 複数高校の生徒がそれぞれの学校へ向かっていた。

 雨がポツポツ降ってきた。嫌な予感がしてきた。

 俺は隣駅からの自転車の勢いを借りてなだらかな坂を上がった。

 足を見ると血がにじんだ足のうらが上から見えた。

 雨で濡れた腕を見ると、透明だったところが現れていた。



 ヤバいと感じた俺は、更に自転車を加速した。
 
 
 さすがに坂道の自転車は辛かった。

 俺は一旦駅に戻って自転車を駅の放置自転車群に置いてくることにした。

 放置自転車とはいえ、泥棒して無遅刻無欠席を達成しても意味がない。

 一駅移動したが、持ち主があらわれなければ、いずれ同じところへもっていかれる。

 かなり通学の学生が増えてきた。

 俺は下り坂を自転車で飛ばした。 

 その時衝撃が走り、俺はハンドルとサドルを結ぶフレームに裸の股間を強打し、ハンドルにこれまた裸の胸をしこたま強打した。

 「よしっ!捕まえた」
 
「この自転車、坂道を登って行ったかとおもうと今度は降りてきた」

 学生が自転車の荷台を捕まえていた。

 俺は激痛で自転車から転げ落ちて歩道の横の壁にもたれた。

 学生は、駅前の歩道に並べて駐輪しているスペースの方向へ自転車をおして行った。

 雨が降っている。壁にもたれている俺の雨に濡れている部分と血がにじんでいる部分がなんとなく形が見えてきた。

 半透明化している!?

 ヤバい。俺は痛みをこらえて立ち上がり、雨に濡れている体を両手でぬぐった。

 今一度俺は、緩やかな坂道をかけだした。


  
 足がガクガクする。
 
 太ももが重い。

 膝が痛い。

 足のうらがヒリヒリする。

 俺は走り出した。

 学校まで、緩やかな登り坂をいっきにかけあがろうと思った。

 時間が分からない。

 通学の学生の数からいって、俺が毎日通学する時間より遅いかもしれない。

 よーし、いくぞー!!

 俺は、なだらかな坂を走り出した。

 おはよー!!

 俺は次々通学の学生に声をかけた。

 彼らは目を丸くしてあたりを見回した。

 そうだ。

 身体が透明人間になったいじょう、性格まで透明人間では、本当の空気みたいになっちまう。せめて俺の方から挨拶していこう。

 俺は、なだらかな坂を更にスピードを上げて走り出した。

 
 今まで俺の方から挨拶はしなかった。

 下を向いて知らぬ不利をして通学していた。

 途中でクラスメイトに会っても教室までが気まずかった。

 シーンとしたまま教室まで歩いていた。

 彼らは、俺に話しかけてきた。だが、例えば昨夜のドラマの話。だから何だって思えて余計無口になっていく。

 ヤバい!腹が痛い!

 まだ駅の方が近い。

 ダメだ。足のうらがもたない。

 民家に入ろう。

 透明人間だから、垂れ流してもよさそうなものだが、お尻だけ、いや肛門だけ不透明になって、便だけ現れても気持ち悪い。

 門が閉まっている家は止め。

 庭がある家は止め。

 車庫のある家は止め。

 豪華な家は、鍵が開いていない上に、防犯カメラがある確率が高い。

 俺は同級生の筒美の家に向かった。

 筒美の家は、駅と坂道の中間あたりの私道奥にある。

 筒美の家に着くと、筒美が玄関で立っている。隣にいるお母さんに、行って来まーーす!!と言って家を出るところだった。

 筒美のお母さんは、そのまま家の前の植え木鉢に水をあげ始めた。

 透明だから、堂々と入れば良いのだが、俺は腰をかがめ、キョロキョロ周りを伺いながら家に入って行った。

 玄関を入り、土間から廊下に上がり、左は壁、右は和室二部屋を経て、突き当たりがトイレ、廊下はトイレの前から右に曲がり、お風呂とキッチンがならんでいる。
 
 俺は一直線にトイレに向かい用を足した。 

 次にシャワーを浴びた。

 身体が冷えきっていたので一息ついた。

 シャワーを浴びると温水で身体の輪郭が見えた。

 身体のあちこちがヒリヒリした。

 裸でいると、知らぬ間に、あちこちで傷がついているのだなと思った。

 服は、偉大だー!!と心の中で叫んだ。

 いや、心の中で喋るから、透明人間だといわれるのだ。

 俺は、声を出して、
「服は、偉大だー」と言った。

 蚊の鳴くような声だった。

 ダメだ。人に聞こえるように意思表示をしなくては。

 深呼吸をして、息を大きく吸い込んだ。


 「俺はーー!!透明人間なんかじゃないーー!!」

 「服はーー、い⋅だ⋅い⋅だぁーーーー!!」 


 叫ぶと、眠気がふきとんだ。
 
 風呂場から出ると廊下には俺の血の滲んだ足跡がてんてんと残されていた。

 俺は風呂場に戻り、雑巾を探した。

 そうだ。俺の完全出席を達成するために飛ぶ鳥跡を汚してはいけない。

 自転車も帰りに元の駅に戻しておこう。

 廊下の真ん中あたりに固定電話が置いてあり、電話台の上にメモ帳とボールペンが置いてあった。

 飛ぶ鳥は跡を汚してはいけない。飛ぶ鳥は……。

 俺は独り言をいいながら、ペンをとった。

 <<おばさんこんにちわ大西敦です。
筒美君とクラスメイトです。
 トイレと風呂を借りました。
 ありがとうございました。いつかまた恩返しします。>>

 電話台の向こうの軒下に洗濯物が干してあり、筒美君の物らしい靴下を一足とった。

 <<それから靴下も借りました。今度、新しいの買ってきます。>>

足のうらが切り傷でヒリヒリしていた。
 
 ひどく喉が渇いていたので風呂場の横にある洗面所で、水道水をたらふく飲んだ。


 喉を潤し、一息ついた俺は、ヨシッと気合いを入れて玄関を飛び出した。

 門の塀際にある鉢植えに水をやっている筒美君のお母さんに、ありがとう!!と大声で挨拶して、学校へ向かった。

 振り返らなかった。おそらく筒美君のお母さんは、キョロキョロしたに違いない。

 さっきクラスメートの筒美くんが、玄関を出た。逆算すると始業時間まで、あと10分ぐらいのはずだった。

 俺は、走るスピードをあげた。

 俺はさっき来た道を通らず北の住宅街を通ることにした。

 住宅街を抜けると、そのまま校門に行くことが出来る。

  
 朝の犬の散歩の老人がいた。

 小学生が集団登校のために集まっていた。

 幼稚園の送迎待ちのお母さんたちが井戸端会議をしていた。

 雨は少しきつくなってきた。

 靴下とスニーカーを借りてきた。

 足の裏がヒリヒリして、もう裸足では走ることができなかった。

 この住宅街を抜けると、ほぼ正面に学校の校門が見える。

 俺は少し走るスピードを上げた。

 時間が分からなかった。

 更にスピードを上げた。


 「おはよー」

 「おはよー」

 「おはよー」

 俺は道行く見知らぬ人々に声をかけた。

 俺は透明人間から脱皮するために声を出した。

 人々は、空耳かとキョロキョロする。

 反射的に「おはよーございます」と返事する人もいる。
 
 今の俺の状況は、透明人間に靴下とスニーカーをはいている。

 犬を散歩していた男性女性は、油断をしていたのか、するするとリードをはなしてしまい、犬が追いかけてくる。
 
 犬は見えているのか。はたまた、臭いで感じているのか。または、スニーカーと靴下に警戒しているのか。

 数匹の犬が追いかけてくる。

 そのあとを飼い主が追いかけてくる。

 犬には見えているのかな。それとも俺は、人として犬たちが認めてくれ始めたのかな。




 透明になる前は、犬も鳥すらも、俺に反応せず、横を通っても吠えも逃げもしなかった。まるで俺が存在しないかのように。

 だが今は犬が追いかけてくる!!



 よし、俺は、存在し始めた!!

 俺は、更に走るスピードを上げた。  
 時間が気になっていた。

 雨が強くなってきた。雨で透明な俺の輪郭が型どられつつある。

 犬たちが俺を追い越し、振り向き、ワンワン吠えた。

 すでに俺と犬たちは、同志に思えた。俺は引っ込み思案ではない、俺は透明人間なんかじゃないと思えてきた。

 前方に信号機が見えた。

 手前の下り坂を下りると二車線の道路がある。

 そのままその横断歩道を渡ると学校の校門につながる。

 もっといえば、信号機の上あたりが俺の教室だ。

 3階にある俺の教室の窓は開いていない。

 ということは、まだ授業が始まる2分以上前である。

 なぜなら、閉所恐怖症密室恐怖症の榊原は、先生が来るのを待ち、きっかり始業2分前に先生と教室に入り、すべての窓を開ける。

 「あっ!!」

 俺は、思わず声を上げた。一つ目の窓が開いた!!

榊原が窓から顔を少し出して、キョロキョロしてから深呼吸をした。

 俺は全速力で、信号機手前の下り坂をかけ下りた!!
 
 「うおーおおぉぉぉー!!」俺は意味不明の叫びをあげ、下り坂をかけ下りる!!

 つまずきかけて、更に勢いを増して坂を下る!!

 犬たちは、さすがに飼い主を気にしてか立ち止まる。

 教室の二つ目の窓が開いた!!

 「やべぇ!!」

 榊原が窓から顔を出しキョロキョロ周りを見渡す!!

 信号が青にかわった!!

 「よしっ!!間に合う!!」

 俺は下り坂からの勢いそのままに道路を渡る!!

 工事用の大型トラックが右折してきた。

 俺はトラックの方をチラリと見た。

 トラックはスピードを落とさなかった。

 トラックは更にアクセルを踏み込んだようだ。マフラーから、黒煙がふきだしている。

 上り坂なので、トラックはスピードを落としたくないようだ。

 「しまった!!俺は透明人間だった!!」

 トラックからは無人の横断歩道にみえるのだ!!

 ブォーーーとエンジン音が鳴った瞬間俺は本能的にジャンプした。

 トラックフロント上部のひさしに俺の首が当たった。

 途端にトラックが斜め下方に見えた。景色がクルクル回る。

 俺の教室も見える。

 トラックは止まり、車線左に寄せ、停車した。

 俺の教室が再び見えた。俺は口でフーフー息を吐き、気分的に耳をパタパタさせ、教室に向かうよう、空中調整した。

 景色がクルクル回り、下方では、トラックの運転手がおりてきた。

 俺は必死に教室の窓から飛び込もうと口をいがませ、息をフーフー!!

 下方では、横断歩道ほぼ中央に俺の胴体が、雨と血で、型どられていた。

 目に何か液体が入り、目が痛い!!

 景色がクルクル回り、教室の窓が一瞬近くに見えた。

 俺の頭は、回転し、高く高く3階にある俺の教室近くまで舞い上がったようだ。


 「会田さん」「はい」

 「井上さん」「ハイッ!!」

 「いいねえ。井上さんはいつも元気ですねぇ」

   
 もう出欠を取り始めていた。

 俺の目の前に教室の窓がきた。

 先生!!もっとゆっくり出席をとってくれえー。

 俺の視界は教室の中にはいった。

 俺の顔は、クルクル回転しながら、教室の天井に近づいた。

 「さて、高校生活無遅刻無欠席完全出席の大西、大西敦さん……」

 「……」
  
 俺の頭はクルクル回り、なんとか教壇の方に向かった。
 

 「声が小さいのが、たまにきずの……」

 先生は、教室内を見渡した。

 「大西、大西、あ⋅つ⋅し無遅刻無欠席の、お⋅お⋅に⋅し……」


 俺はもう透明人間というあだ名を付けられないように、

トラックのしたにある俺の肺いっぱいに空気を吸い込み、

大声で叫ぶように言った。

 「ハイッ!!」

 その時、血と汗と雨で顔の輪郭を取り戻した俺の頭は、くるりと教壇の上に着地した。そして更に深呼吸をし、眼を見開いて俺は叫んだ。

 
 「大西敦!!只今参上!!」

 


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