「ご苦労様。今日が最後の1日前の授業です。皆さんは、もう就職も決まり心ここにないかもしれません。ですがなんてざまでおましょう。少なすぎます。舐めてたらあかへんよ。社会人としての……」
「出席をとりまーーす」
「おほんえほん、今生徒から声が上がりましたので出席をとります。なめんなよ。おほんこほん……、渡辺さん!返事はすぐに」
生徒の中で、緊張が走った。橋本先生が名簿の後ろから出欠をとりだした。
「は、は、はーーい!渡辺いまーす!」
「山本五十六は戦艦大和!」
返事を準備していた山本明がずっこけた。
「あーい、はーーいいや、五十六はいません!明です!山本明がここにいまーす!」
「松本さん!」
「いませーーん!」
「本田さん!」
「いませーーん!」
「橋本!」
生徒間でざわめきが起こった。
「はい!!それは私です!!」と橋本先生が乗り突っ込みをした。
俺は少し面白いと思っていた。この先生は表情を変えないので、ボケかマジか分かりにくい。いつも橋本先生のボケらしきものに心の中で、突っ込みを入れている。結構成立しているので、先生には、相方が必要だと思っていた。
「大西さん!」
「……」
「大西さん!」
まだまだだと思って返事の用意をしていなかった。今日は、出席者が少なかったのを忘れていた。
ふぁぁ~~い?慌ててたので声が出ない。
「いませーーん」と他生徒が言った。
「あれ?いたの?声小さ。透明人間か!」教室がざわめきだした。
「いたの?いるの?存在薄っ!」
「大西さん!!いるのは分かってます。学年通して全て、大西さんは、無遅刻無欠席ですからね」
俺は目立つのも嫌だし、からかわれるのも嫌なので、しぶしぶ立ち上がって右手を挙げて、はいっと言った。
「そうなんだ。あいつ1年生から無遅刻無欠席だったんだ」さらに教室がざわめいた。
「母さん。俺の取り柄ってなに?」
「優しい子よ。おとなしいところ。でも頑固なところ。よく手伝いをしてくれる。ほら、あのときも、さやえんどうのスジを一緒に取ってくれてた。だから、兄さんの光一の受験シーンを偶然テレビニュースでみれた。それから疑問を持たずいつも母さんの……」
き、きめてがない。よくもまあ次から次へとふんわりした長所が出てくるものだ。嬉しいけど。
「何か世間的には?それは母さんにとってでしょ!?」
「疑いを持たずと言ったけれど、敦は、全てやりとおすのよ。皆勤賞って言うのかな?」
それそれ……今日橋本先生が言ってたやつ?無遅刻無欠席か?
「でも高校全出席って珍しいのかなあ。うち市立だし、結構真面目な奴多いよ」
「幼稚園からよ」
「えっ!?」
俺が固まっていると、母さんは、おもむろに立ち上がって、2階へ上がって行った。
幼稚園から?どういう事だろう。
俺はしばらく考えてから、ショッピング系のメールマガジンが来たのを機に、携帯電話をいじり始めた。
「ほれっ!これを見てみなさい」
「ひっ!」携帯電話に来たメルマガに集中していたのでびっくりした。
母さんは、そろりそろりと音もたてずに階段を上り下りするので、急に声をかけられると驚く事がある。
見ると幼稚園から高校までの通知表的なもので、登校日数が記されている。すべて分母と分子が同じ数字。
「ほんとは、全登校日数より、敦の方が出席してるのよ」母さんは遠くを見るように続けた。
「特に小学校の時。台風で休校の時も、止めるのも聞かず、学校を見に行ってたわ」
俺の顔が熱くなった。あの頃は、ただ好きな子の、家の前を通りたかっただけなのだ。台風であろうとなかろうと。
「それだけではないの」母さんは続けた。
「柔道も空手も塾もよ」
「えっ???そりゃあすごい!!」思わず俺は自分を褒めてしまった。
俺は小学生時代は柔道を地元警察署で、中学生時代は空手を地元寺院で習っていた。そんな習い事までも無遅刻無欠席なのか。
俺は、明日の最後の授業を休んでやろうと思っていた。先生に、君は絶対欠席しないとか、同級生に、声小さ透明人間かなんて言われたのが妙にダサく思えて、反抗してやろうかと考えていたのだ
たが、俺の無遅刻無欠席は、半端ではなかった。ようし、明日堂々と最後の出席に大声で返事をし、有終の美を飾ってやろう。そうすれば……。
そうすれば俺は、俺の引っ込み思案や、内向的な性格を克服して、自分を変えることができるかもしれない。
そうすれば俺は……。
明日必ず学校へ行って、生涯無遅刻無欠席を達成するぞと意識しだすと、何だか緊張してきて、俺は音楽を聴いたり、ストレッチをしたりギターを弾いたり、落ち着かなかった。
昨日は意気込み過ぎて、なかなか寝付けなかった。
1階のキッチンから母さんの声が聞こえた。
「起きる時間よ」
「は~~い」と俺は返事をし、体を起こした。
いよいよか。高校最後の授業、そして幼稚園から続く俺の記録。
完全出席。
俺はパジャマを脱いでTシャツを着ようと手に取った。
俺はのけぞった。服が空中をふわふわ浮いている。
俺の手がない!?
透明人間?
やばっ。よりによって今日で幼稚園から高校まで、無遅刻無欠席が成立するのに……。
よりによって透明人間?
透明人間というあだ名の俺が?
だが俺はわりと冷静だった。朝起きると虫になっていた小説もあるのだから、透明人間というあだ名の俺が透明人間になっていたとしてもふしぎではなーーい。のだ。
俺は学校へ行くことに決めた。
透明人間になったくらいで欠席してはいられない。
なにせ俺は幼稚園から習い事含め高校まで、完全出席なのだ。
これは、ひょっとしたら、ある朝突然透明人間になる確率よりも低いかもしれんのだ。
俺は着ているものを全て脱いだ。
服とカバンだけが電車に乗るのも気持ち悪い。
「へっくしょん!!」
少し肌寒いが俺は決心した。
俺は音を立てずに階段を下り、玄関で靴を履こうとしたがやめた。
靴だけ歩いてもなぁ
裸足かぁ
俺は意を決して家を出た。
「行ってきま~~す!!」
「ご飯はーー?」と母さんの声がキッチンから聞こえた。
「いらないよ。ありがとう」俺は見えない体で後ろ手に玄関を閉めて家を出た。
俺は家の前の坂道を走りながら下りた。
まてよ。この坂で俺がつまづく。下まで転げ落ちる。透明人間だから誰も気がつかない。動けないまま俺は死ぬ。
ヤバい。ヤバい。俺は少し慎重に坂を下りて行った。
もしかしたらこの急な坂の下には、他の透明人間たちの墓場になっているかもしれない。
坂をおりると私鉄の線路下の小さなトンネルをくぐり4車線の国道に出る。
俺は人と接触しないように横断歩道の後ろの方で、信号が変わるのを待つ。
誰かに後ろからぶつかられて、透明人間のまま車道に出ると大変なことになる。
俺は急に不安になった。まさか、透明は一時的で、見えるようにならないだろうな。今の俺は、素っ裸の裸足だ。変質者になってしまう。
信号が青に変わり、俺は他の通行人の流れに合わせて歩き出した。
思ったより、朝の通勤通学の人たちの歩くスピードが早いことに気が付いた。
体が見えるときは気が付かなかったが、朝の人々の歩くスピードに合わせると少し息が切れる。
彼らの流れに乗らなければ、透明人間の俺は、後ろからぶつかられたり、前の人にぶつかったりしてしまう。
少し汗ばんできた。透明人間、やっかいだぞと、俺は周りをキョロキョロ見渡した。
他に透明人間がいれば、俺と同じく、一定の空間が人々の流れに合わせて移動しているはずだ。
だが、透明人間の俺にも他の透明人間は見えなかった。当たり前のことだが。
4車線の国道を渡ると、電車の駅のロータリーはすぐだ。ロータリー横の階段を上がると駅の改札口だ。
いつもなら自然に人の流れに乗って歩いていたが、意識して人の歩く速度に合わせるのは、疲れる。
上り用の階段と、下り用の階段は、それぞれ5メーターぐらいあり、ひろめの階段で、上り用と下り用との境には手すりがある。
あろうことかサラリーマン風の男が、俺のいる上り階段をかけ下りてくる。手すりの向こうには、あんなに広い下り階段があるのに。
結構急な階段なので俺はうつむき加減に階段を上っていたので、男に気づくのが遅れた。
俺は立ち止まり、手すりを両手で、ぎゅっと握りしめた。
サラリーマン風の男は、左手を手すりに軽く這わせ、かけ下りてきた!!
透明人間の俺は、頭を前に低く出し、足を前後に踏ん張ったまま、ぶつかる衝撃に備えた!!
ドスっと音がした。
サラリーマン風の男は、しりもちをついた。
俺はかろうじて階段を転がり落ちずにすんだ。
彼の目が丸くなっていたのは一瞬で、気を取り直したように、階段をかけ下りて行った。
どうやら、サラリーマンの朝の出勤の方が、透明人間とぶつかったことより重要らしい。サラリーマン恐るべし。
俺は改札口で、定期券を出そうとしたが、あいにくカバンも家に置いてきたし、素っ裸なので今日は定期券はない。
自動改札口の並びのパイプの柵を乗り越えた。
改札口を通ると右手が上り方面ホームへの階段、真ん中にトイレ、左手は下り方面のホームだ。
学校へは下り電車に乗って行くので、さほど混んではいない。
座席もポツポツ空いてるのだが座る訳にはいかない。
透明人間の俺の膝に誰かが座ったら大騒ぎになる。まして裸の俺の膝に女性が座ってしまえば、透明人間初の痴漢の烙印が押される。
俺は車両と車両の間の連結のところに移動した。