-揺れる想い-
「はるー、はるかーー、ただいまー」
2LDKの賃貸物件に帰宅してすぐ、気怠く同居人の名前を連呼した。
リビングから、短い黒髪に端正な顔立ちで長身の同居人、悠が歩いてくる。
私より九つ年上の彼が、今日は珍しく黒縁眼鏡を掛けていた。
「おかえり。どうした?何かあったのか?大丈夫か?」
これはいつもと同じ。
綺麗な顔を心配そうに歪めて、見つめられる。
「何もなかったよ!いつも通り」
にこっと笑って背の高い悠を見上げた。
「そうか……良かった。疲れたか?」
「ちょっとだけ。私が人前で演じちゃうのがね……」
なかなか治らない癖だ。
悠と出会うまでの生き方が原因なのは明らかで。
駄目だなって反省すると、過去を思い出しそうになるのが辛い。
「那月」
「何……わっ」
急に頭を撫でられて、目を閉じた。
「お疲れ様」
辛いことも、嬉しいことも、いろいろ、悠には見透かされてる。
「……ありがとー。うん、元気でた!」
駆け足で自室に向かう。
「着替えたらご飯作るね!」
「あぁ、頼む」
悠の返事を聞いて微笑むと部屋のドアを閉めた。
スクールバッグを床に置いて、着慣れた制服を脱ごうとスカートに手を掛ける。
ふと、壁に掛けたカレンダーに目が止まった。
「…………」
12/23、今日の日付から視線が下に。
12/31……あと一週間ちょっと。
年の終わり、私はある場所から逃げた。
忘れられない大晦日を過ごして、年が明けて、悠と一緒に暮らし始めた。
怯えながら過ぎた時間ももうすぐ一年。
何もなかった。
悠が一緒に居てくれた。
守ってくれた。
これからも変哲のない日常が続いていく。
だから、大丈夫……。
そう思いながらも、昨年と同じ日付が近づくほどに胸騒ぎや不安が募る。
「はぁ……だめだなぁ」
こんなんじゃ、また悠に心配かけちゃう。
しっかりしなきゃ。
それに明日は、クリスマスイブで悠とお出掛けだ。
夜は豪華な食事とクリスマスケーキを用意して家で過ごす。
気分を落ち込ませてる場合じゃない。
「……楽しみだなぁ」
生きてきて初めての大切な人と過ごすクリスマス。
カレンダーから目を逸らして、着替えを進めた。
ルームウェアを着て、肩に着く長さの髪を結う。
「よしっ……」
気を引き締めて、部屋を出た。
「今日の夕飯は〜豆乳鍋〜♪」
歌いながらキッチンに入ってエプロンを着ける。
「さてと〜?」
「何かやることあるか?」
カウンターキッチンの向かいから悠の声。
振り返って奥のリビングを見ると、いつものことながらテーブルには既に食器や箸が用意されている。
「……今日は休みで家のこと色々してくれたでしょ?洗濯とか。だからいいよ?ゆっくりしてて」
って言っても、落ち着かないんだろうけど。
悠は仕事バカだからなぁ。
もう少し甘えてくれてもいいのに、それが悠にとって難しいことだって分かってる。
今は喫茶店を開いて働いてる悠だけど、昔は常に誰かの為に働いて、生きる為に自分を犠牲にしてたらしいから。
お互いの生き方が変わって一年経とうとしている今でも、濃く染み付いた習慣はなかなか変わらない。
「静かに待ってようと思ったんだが、今日はいつも以上に落ち着かなくてな?ほら、明日は久々に二人揃って休みで出掛けるから、楽しみなんだ」
「今から?」
「あぁ、今からワクワクしてる」
優しく微笑む悠の顔にドキッとする。
「そ、そう……あ!先にお風呂入ってきたら?ね?」
気持ちを見透かされないように顔を背けた。
「那月??」
キッチンから出て、悠の背を押す。
「はーやーくー!食事は私に任せて、お風呂でゆっくりしてきて!」
「はいはい、分かったから押すなって……」
廊下と脱衣所を隔てるドアが閉まるのを見届けて、ため息をついた。
「…………」
私だって楽しみだよ。
気恥ずかしくて言えなかったけど。
「あ!」
そういえばシャンプーがなくなりかけてたから悠に伝えないと。
深く考えるよりも先に体が動く。
脱衣所のドアを勢いよく開けた。
「はる……っ」
目の前に現れた鮮やかな龍に鋭く睨まれた。
すぐに、鍛えられた悠の背中にある入墨だと脳が理解すると同時に、すごく久しぶりに見たけどやっぱり格好良い……と素直な感想が浮かんできた。
次に、上半身裸だということを理解して、私を見下ろした悠と目が合い焦る。
「……見たな〜?」
楽しそうな笑顔で、わざとらしく低い声で言われた。
「う……ごめん……」
「まぁ、もうとっくに知られてるから気にしてない。で?急いでどうした?昔みたいに一緒に入るか?」
「!?」
昔みたいに……!?
「……一回も一緒に入ったことないでしょ!」
「ははっ、バレたか……冗談だ。怒るな」
年上の余裕からか、たまにサラッと混乱させられる。
「このっ……性悪爺!」
「あ、それは……傷つくな。まだ老けてない自信はあったんだが……そうか、爺か……那月に言われるとグサッとくるな……」
思っていた以上に効果絶大だった。
「じょ、冗談だよ!?ごめんね?まだ全然格好良いし、爺……じゃなくて性悪中年!じゃなくて性悪兄貴……??くらい」
「……性悪は変わらないんだな?」
「うん。私のことからかうから〜……そうだ、シャンプー詰め替えないとかもって伝えに来たんだった」
「なんだ、それなら昼間掃除したときに気づいたからやっといたぞ?」
「…………」