「文乃!」

名前を呼ばれて振り返ると、友人の相沢菜穂が立っていた。

毛先が巻かれたふわふわの髪。マスカラをたっぷりと塗って目を大きく見せている菜穂は、その濃いメイクには少し似合わないTシャツを着ている。
そのTシャツの柄はさっきから何度も見てきたものと同じ。

「菜穂、オープンキャンパスの在学生相談員役を引き受けたんだね」

私は少し声を落として言う。

「文乃は結局引き受けてない? 教授から頼まれてたよね」

「んー、断っちゃった」

苦笑いで返す。
私には相談役なんて引き受ける資格はない。

私も菜穂も、この大学の一年生。
そしてオープンキャンパスでは進学を希望している高校生たちの相談を一年生が受けることになっている。

「それより文乃。まだサークルに入る気にはならない?」

菜穂のその誘いは何度目だろう。
彼女に誘われるたび気が重くなる。

「うーん、そうだね。ごめんね、そういう気にならなくて……」

サークルには入らないと一度は断ったのだけど、「本好きな文乃に絶対向いているから」と言って諦めてくれなくて、菜穂は事ある毎に私をサークルに誘ってくる。

「今月末の地域交流イベントに向けて、サークルの打ち合わせをすることになっているの。
 だからこの機会に文乃が参加してくれたらすごく助かるんだ! ちょっと手伝ってくれるだけでもいいから」

菜穂が所属しているのは文芸サークルだった。
だけど大学独自の文芸雑誌を発行したり、自ら小説を書いて投稿したりする活動ではない。

読書をしない人や活字離れした人たちに本の楽しみを伝える啓発活動がメインだった。

人手が足りなくて大変だという事情も聞かされていたから、無下に断ることもできなくて、誘われた時は話題を変えるか、その場から逃げることにしていた。

「ごめんね、菜穂。……私、そろそろ行くね」

この活気と希望に溢れた人の波からも解放されたくて、私は逃げることを選択した。

「あ! 待って。今日も図書館行くの?」

「う、うん」

「そしたら後で、そっちに行くね」

「え……、あー、……うん」

思わず頷いてしまった。これは何としてでも菜穂に見つからないようにしなくてはならない。

私は生返事をすると、足早に退散した。