前期選抜で絶対に受かる、そう私は誓いました。そして、親に買ってもらったボカロで覚える中学歴史などを使って、気が向いた時に勉強するようになりました。
同じ頃、私は図書室である本を見つけました。その本を見た刹那、借りるべきだと思いました。
それは、発達障害に関する本だったのです。
その本を読んで、私は初めて自分と向き合い始めたのです。
学習障害やアスペルガーなど、初めて知った発達障害もありました。
発達障害とは、生まれつきの脳機能の発達の偏りによる障害です。得意、不得意の差が激しいそうです。発達障害の原因などはまだ解明されておらず、年齢を重ねたり、薬による治療などで症状は落ち着きますが、完治は難しいとされています。
私は、計算ができないのはLD(学習障害)だったからだと知りました。このことは、両親は知っていたようです。そして、ADHDが注意欠陥多動性障害という名前だと初めて知りました。
LDは、読み書きが苦手、計算が苦手といった症状があり、私は計算が苦手な算数障害だと知りました。
ADHDには三つのタイプがあり、集中力がない不注意優勢型、じっとしていられない・順番を待てない多動性・衝動性優勢型、二つが合わさった混合型の三つがあり、私は不注意優勢型だとわかりました。
授業中に立ち上がったりしないため、中学三年生になるまで気がついてもらえなかったのだと理解しました。
発達障害は、エジソンやアインシュタインなど誰もが知る偉人もなっていたと書かれていました。それを見た刹那、心に固まっていた「普通じゃない」という思いが一瞬で崩れ、安心しました。
長い時間をかけて、やっと私は自分自身を受け入れることができたのです。
そして、十月。私の中学校では文化祭が開催されます。
文化祭では、三年生が舞台発表をすることになっています。
私は、莉亜ちゃんと一緒にGReeeeNのキセキを手話ですることになりました。初めての手話です。そして、舞台に立たなければなりません。とても緊張したことを覚えています。
手話を莉亜ちゃんと何度も練習し、覚えることができました。そして、本番でも練習した通りにうまくいったのです。
私にも、やればできる…!
心から自分を信じることができました。拍手とスポットライトが眩しくて、幸せで、挑戦してよかったと心から思いました。
私は受験に向けて、面接練習や作文練習を一生懸命しました。
家でも父に、面接練習に付き合ってもらいました。作文は、物語を作るのが好きなこともあり、まだ得意な方でした。
「絶対にマニュアルに頼るな」
そう父は言っていました。マニュアルなんて面白みがない。個性が出ない。そう教えてくれました。
そして迎えた当日、その日はとても寒い日となりました。
作文を書いた後は、お昼休憩を挟んで面接です。
緊張と寒さで体を震わせていると、高校の先生に「大丈夫ですか?」と訊かれてしまいました。
教室に入る前は、とても緊張して倒れてしまいそうでした。しかし、前を向けたのはきっと今まで過ごした日々があったからだと思います。
先生の質問に落ち着いて答え、手話も披露しました。さっきまで感じていた緊張はすっかり忘れ、面接に集中していました。
「最後に何かありますか?」
先生がそう言った時、私は最近見たテレビを思い出しながら言いました。
「私は、自分には何もできないと思っていました。しかし、テレビで私と同じように引っ込み思案な女の子が、愛犬とドッグダンスの大会に出場するのを見て、私にもきっとできることがあると思いました。この学校でなら、私はきっと変われる。そう思っています」
先生は、とても微笑んでいて、私は手応えを感じながら教室を後にしました。
そして、高校合格発表の日。私や周りの人たちはみんな緊張していました。
先生が一人ずつ名前を呼び、一人ずつ廊下に出て結果を聞きます。みんなの口から出る言葉は、「緊張する」という言葉でした。
「美空」
私の名前が呼ばれました。私は緊張しながら立ち上がり、廊下に出ます。そして、先生から「よく頑張ったな」と紙を見せられました。
合格通知書……。私は無理だと言われていた高校に受かったのです。
しかし、その時の私は必死で合格か不合格の文字を探していました。私の通知書のイメージは、「美空さん、あなたは合格です」と書いてあるんだろうなと思っていました。
なかなか理解できない私に、先生が合格通知書の文字を指差して言いました。
「ここに合格通知書って書いてあるでしょ。合格したんだよ」
合格…?合格…。合格…!
私の目から涙があふれました。それは、初めて嬉しくて泣いた瞬間でした。
嗚咽が漏れ、嬉しくて泣き続けました。少し泣いた後、先生から課題をもらい、「頑張ったな」と握手をして帰りました。
不可能を可能にした。ハンデのある私ができた!
嬉しくて、家族にすぐに知らせました。家族はみんな驚いていて、喜んでくれました。
生きていてよかった、そう思った瞬間でした。
どうでしたか?
いつも書く小説と違って……とても暗い作品になったと思います。
でも、どうしても知ってほしかったんです。
高校生になってから、友達とカラオケに行った時に、友達が歌ったある曲に心を惹かれました。家に帰ってすぐに調べて聴くと、感動で泣いてしまいました。
その曲は、blessingという曲です。その歌詞の中に、「不幸とは幸せだと気づけない事」という言葉があります。その時に、私は今までのことを思い返してみました。
情緒不安定の時、いつも莉亜ちゃんがそばにいてくれました。莉亜ちゃんが優しくしてくれたおかげで、私は人をもう一度信じられるように気がつけばなっていました。
うまく伝えることのできない悲しみや、過呼吸のことを祖父母が受け止めてくれました。
不幸の中に幸せは隠れているんだと、よく考えてたら気づきました。
いくつも歳を重ねようと、どれだけの人にこの物語を読んでもらっても、私の過去は変えることはできず、永遠に心の傷が癒えることはありません。
しかし、そんなことどうだっていいのです。今はあなたに伝えたいことがあります。それは……ありがとうという言葉です。
あなたがこの作品を読んでくれたこと、あなたと出会えた奇跡、全てに感謝します。
楽しいことばかりではありません。高校生になってからも、苦しいことや悲しいことはたくさんありました。
友達と喧嘩をして傷ついた日もありました。慕っていた先生との別れもありました。何度も過呼吸を起こしたこともあります。親の理不尽さに吐いた日や、お腹を痛めた日もあります。自分勝手な人に、私だけでなく友達まで巻き込んでしまったこともあります。
しかしそれ以上に、新しい友達と巡り会えました。小説を自分で書く楽しさを知りました。介護福祉士になりたいという夢を見つけました。素敵な小説や映画、音楽に巡り会えました。
人の心は、とても複雑にできています。どんな人だって、一度や二度は「死にたい」「消えたい」そう思ったことがあると思います。
自分の命は、自分のものです。だから、どんな選択をしようとその人の選んだ道に間違いや愚かさない。そう私は思っています。
今、死にたいと思っている人に私が言いたいことは、自分だけでなく周りを見てほしいということです。
自分が助けを求めれば、必ず助けてくれる人がいます。今はいなくても、きっと手を差し伸べてくれる人がいます。だからどうか、自分が独りだとは思わないでください。
生きていてよかったと思えなくてもいいんです。特別じゃなくていいんです。
心の底から、「この世に生まれてきてくれてありがとう」と思える人と巡り合ってください。
この世界が残酷なのは、きっと、夢を描くため。そして、悲しみや苦しみを誰かと乗り越えるためだと私は思います。
この世に生まれてくれて、ありがとう。