自分の意思じゃなくとも破壊されていく周りの物は、それがなんだったのかわからなくなるほど粉々にされている。私は、その破壊を止めようと必死に抵抗したが、やはりなにも変わらず、いつも通り諦めた。毎日、周りの物が無くなっていく。ついには、物も他人(ただ単に避けているだけだが)も自分の視界から消える。そんな日々の繰り返しだ。
神の中では一般的だが、少し特殊な神種の"破壊神"。.....破壊の神である。破壊神というものは壊すだけ壊して、あとは何も生まない。いや、生めないのだ。だから壊すことしか出来ない、哀れな存在だ。

破壊神のイメージは、自分の意思でやっている、という悪役で出されることが多い。しかし、私は違う。私は自分の意思でやっているのではない。逆に壊したくない、という気持ちを抱いている。そこらを歩いていると、勝手に周りの物が破壊されていき、そのことを知らない者たちが私のことを、「目の前、周りにある邪魔なものは全て壊していく破壊神」だと考え、皆、私の近くには寄ってこない。昔からそう思われて来た。だから友達と呼べる者も、この世界には存在しない。まぁ、友人ができたとしても、破壊の力でその友情もすぐに消されてしまうのだろうが...。だが、私はそんな事はどうでもよかった。今私が求めているものは........『楽しさ』だった。

いつも、遊べる物も、背景も無くなって、人も寄ってこない。そんなつまらない退屈な日常を、何度も繰り返していた私は、ついに何かを求めるほどの感情をGETしたのである。それ以来、とてつもないゴミ装備品を心に持ち、過ごしていた。その装備品はそう簡単には消えず、まだ心に持ったままだ。

だが、私は思った。この"感情"というものは、破壊されないのだろうか、と。確かに、感情というのは大切なものである。が、どんなに大切なものであろうと、破壊の力はどんなものでも壊す。物、友情、そして命_。

しかし、命よりも大切ではない"感情"は、何故破壊されないのか......。『実は、"感情"は命よりも大切なものだった!』というわけではないだろう。....もしかしたら、この"感情"というものは私にとって、この退屈な日常にとって、とてもじゃ表しきれないほど必要なものなのかもしれない。この"感情"は、本物の神様がくれた、伝説の超レア装備品.....そこまで考えると、『ゴミ』と言っていた自分が恥ずかしい。だが、本当にゴミの可能性もある。この"感情"のおかげで、『楽しさ』が運ばれてくるわけでもないし。

私は「ゴミになるだろう」、と予想し、路地裏に座り込んだまま、小さく苦笑した。破壊の力といっても、形や存在の大きいものは(なぜかは不明だが)そう簡単には壊れない。だから、背後のデカい建物も存在の大きい命も、今は全く壊れない。あくまで今は、だが。周りのゴミ袋などは、粉々に破壊されているので、存在の大きいものがいつ壊れるかは分からない。