志穂、と呟きながら肩に手をやる母には、彼の姿が見えている筈。
 しかし、それを尋ねてしまったら、何か嫌なものを想像してしまいそうで、私は母に頑として言葉を返さなかった。
 
 彼が指を動かしてくれるまでは――

『お』

 項垂れていた私の手の平に、確かな感触があった。
 ゆっくり、重々しく、同時にこそばゆい感覚。

 はっとして顔を上げて、私は布団を捲った。
 見える筈はないその手が、私の目には映らない筈のその手が、僅かに持ち上がっているのを感じる。

『おはよう。ちょうしは――いいよ』

 少し遅れて、良いよ、なんて返って来たものだから。
 どうしようもなく涙が出てしまった。

 私がいたから、私のせいで、私を庇ったからこうなっているのに。
 調子は、最悪、くらいには思っていたのに。
 どこまでも、彼は優しい。あっけなく先に目覚めた私を気遣って――いや、きっとそれも本心で、彼はそんな風に書いたのだ。

 良かった。
 ただ、生きてくれていて良かった。

 どれくらいで退院出来るかは分からないけれど、きっと、いい方に向かってくれる筈だ。

 ごめんなさい。
 ありがとう。
 
 その二つを思い浮かべながら、

「また……お散歩にでも行きましょう…」

 震える手つきでそれだけ書いて、私はそっとナースコールに手をかけた。