僕の意地悪な問いかけに、彼女はそれ以上の意地の悪さで以って答えとした。
 そんなことを言われてしまっては、これ以上悪戯に話を聞くことなんて、出来ないじゃないか。

「あなたといるこの時間の中で、これ以上ないくらいに幸せが溢れたら、私はきっと、一度くらいなら自分から表情を変えてしまう筈です。あなたが後ろに回らなくとも、きっと」

「それは――」

 なんて幸せなことなのだろう。
 彼女の言うことが本当なら、それは僕にとっても一番いい瞬間だ。
 心の底から、今までで一番強い気持ちで、彼女と向き合える時だ。

「ですから、一つお願いを」

「お願い? 珍しいね。何だい?」

 聞くと、彼女は、

「その時になったら、あなたはどうか笑っていてください。私はきっと、笑えないから」

 そんなことを言った。
 僅かに震える声。
 どんな表情をしているのか。
 どんな目をして、どんな気持ちで言っているのか。
 確かめたいけれど、回り込んだら怒られるかな。

「――分かった。君の分まで、存分に笑っておくよ」

「ええ。すいません」

 叶うなら「ありがとう」と置いて欲しかったんだけどなあ。
 それが君の素直な言葉なら、文句は言わないさ。
 受け入れて、笑ってあげるだけだ。

「ちょっとだけ、一睡するよ。小一時間程で起きるから」

「分かりました」

 おやすみ。
 そう言うと、彼女は新しい曲へと入った。

 シンディング作曲“春のささやき”。

 こちらも、本来ならもっと早い曲なんだけどなあ。しかし、ローテンポでも、彼女が弾くと一つの魅力となる。
 クラシックというものは不思議だ。まるで、彼女のように。
 普段からキリっとしているかっこいいものだと思っていると、時にころりと変わる表情。一曲一曲によって、弾き手によって、その様相を大きく変える。

 綺麗なだけではない、と表現できるところも、そっくりだ。

 次の寝起きには、どんな音が響いているのだろう。