「落ち着かないかい?」

「ええ、とても」

「そうかい。でも僕は、これもちょっと楽しいんだ」

「どういうことです?」

 これまでは、彼女の表情を伺ってしまえばそれで終わりだったので、ちゃんとした理由を話したことは、そういえばなかった。

「君はいつも笑顔だ。ピアノを弾く時、とても楽しそうな表情を浮かべている」

「以前に言っておられましたね」

「それもとても魅力的なんだけどね。顔が見えない後ろから君が弾く姿を見ていると、どんな表情を浮かべて弾いているんだろうって、想像が出来るんだ」

 明るい旋律の時には?
 悲しい旋律の時には?

 よく分からない、複雑な旋律の時には?
 それぞれに、どんな表情で挑んでいるのだろうと、想像が出来てしまう。
 その答えはいつも、決まって笑顔なんだろうけどね。

「音を並べる時の君の表情に、違う色が見ていたくなってしまうんだ。でも、君はいつも楽しそうに弾いている。どうしてなんだい?」

「それも以前に答えたことですけれど、私にはその自覚がありません。ですから――そうですね。敢えて申しますと、幸せだから、じゃないでしょうか?」

「また分かりにくいことを言うね。じゃあ、たとえ話だ。君が違う表情で弾くとすれば、自分ではどんな時だろうと思える?」

 それは少し、意地が悪い質問だった。
 ただでさえゆっくりな曲のテンポが、さらに遅くなってしまった。
 しかし、そのまま振り返ることなく、彼女は答えた。

「幸せが一番大きく膨らんだ瞬間、ですね」