「ここが、王都…」
エマが感嘆する街並み。
その中心部に位置するリス区の大半の敷地を使って建てられている『クリノス学園』が、明日より魔術の勉強をする為にエマが通うこととなる学び舎だ。
寮への荷入れ、荷解き、その他諸々の雑務を終え、一息吐こうと外に出て来ていた。
移動の車内では寝遠しで、街並みについては一切触れられていなかったのだ。
豪華とまでは言わないが、華やかで色のある風景に、広場の中心にも関わらずエマは思わず目を閉じ、両手を広げて、地元とは異なる空気をその身に受けた。
「気持ちいい……王都って、あまり綺麗な空気じゃないってイメージがあったんですけど…これは認識改めですね。とっても美味しい空気です!」
一人、明るく笑って楽しむエマ。
傍から見れば——なんて考える余裕は無いらしい。
「学園は一応見ましたし…どこに行きましょうか。地図の見方も分からないのではどうしようもありません。はぁ」
『みゃ?』
エマの肩に乗って首を傾げているのは、精霊のセレス。
耳の長い猫のような愛らしい姿に薄いライムグリーン、加えて幼い頃よりの付き合いだからと、
「もう、お夕飯にはまだ早いですよ、ライムさん」
エマはセレスをそう呼んでいる。
そんなエマの読みは正しかったらしく、早めに釘を刺されたライムは眉根を下げていた。
「生憎と喫茶店のような場所がどれかも分かりませんし。とりあえず、案内板や役所なんかを探してみましょうか。きっと、情報はそこにある筈ですから」
『——みゃ、みゃ?』
「それは駄目です。異国の地なのです。人見知りなのです…!」
そんな必死に言わんでも。
目がそう語っていた。
ならばどうするのか、と再度尋ねるや。
とりあえずは手あたり次第、それらしい大きな建物から当たってみようかと、学園入試トップの成績を収めて合格したとは思えない、能天気且つ計画性のない答えを出した。
まぁ、それはそれでエマらしいけれど。
タイムは肩を落として溜息だ。
それならそれで、早いところ動き出さなければ日も暮れてしまう。
寮は門限が厳しいという話なので、目的は早急に終わらせるに限るのだ。
「とりあえず……このメインストリートを進んでみましょうか。幸い、お城を除けば次に大きな建物が学園ですから、戻ることもそう難しくはなさそうですし」
『みゃ…!』
了解、といった風に力強く頷くライム。
満足のいく反応が得られて、エマは微笑み、その愛らしい頬を指先で優しく撫でてやった。
それにふわりと表情を和らげるライムの方も、実に満足気である。
通常、そも王族にしか使役出来ない神聖な存在たる精霊とあって、エマとライムのように、兄弟姉妹、あるいは友人のような感覚で語り合うような関係になることはない。
仕事を効率よく行う為に共にする、言ってしまえば上司と部下のようなものなのだ。
長い年月を、それこそ本当の姉妹のように過ごしてきたエマとライム、ならではの特別な関係というわけだ。
その始りこそ、一風変わったものではあるけれど。
「しかし、大きな建物ばかりですね。てっぺんばかり見ていると、首が痛くなってきてしまいます。座学ばかりで下を向くことが多かったから、ちょっと硬くなってしまっているのでしょうか。やはり、柔軟は大切ですね…!」
ぐっと両手で拳を握るエマ。
『みゃ?』
「大丈夫ですよー? てっぺんが辛いと分かったのなら、真っ直ぐ前を向いて歩けばいいだけですから」
と、何でもないような会話をしながら、ほのぼのと歩き、歩き——
——道に迷ってしまった。
「お、おかしいですね……メインストリートを歩いていた筈なのですけれど…」
『みゃー…』
揃って肩を落とす。
異国の地に立った初日からこれは、流石に無計画過ぎただろうか。
今になって、後悔の波が押し寄せて来ていた。
「……ライムさんライムさん。一つ、よろしいでしょうか?」
『みゃ?』
「——ここは、どこなのでしょう…?」
『……みゃあ』
史上最も深い溜息が零れるライムだった。
「と、とりあえず、人気のありそうな——少しでも騒がしそうな方へと歩いて——」
行きましょうか。そう続けようとした時だ。
「こんな狭い所に一人、危ないよぉ?」
ねっとりと絡みつくような、言葉とは裏腹な気持ちで放たれる言葉。
振り返った先には、いかにもな風貌と雰囲気の三人の男。
まずい。
エマは珍しくもそう直感した。
ライムも肩より飛行し、闖入者を睨む。
「お決まりな台詞ってのは分かってるんだけどよぉ。ここにわざわざ女の子一人ってことは、そういうつもりでいるんじゃないの?」
「ち、ちが…!」
「震えちゃって可愛いな。そら、俺らと一緒に——」
伸びて来る手に抗えない。
逃げ出そうとしても『追い付かれるかも』『もっと酷いことを』『男の力に叶う筈ない』といった気持ちが邪魔をして、エマの決断を鈍らせる。
が。
男の言葉も、先のエマ同様に続かず。
ふとその更に奧の方から聞こえて来た足音に、三人が一斉に振り返った。
「そこな愚者三人、汚らわしい手を離せ」
鈴を振ったように綺麗な声。
落ち着き払った、しかし刺すように鋭い声が届く。
「あ? 誰——おい、マズいぞ」
その姿を捉えるや、一瞬にして青ざめる男たち。
何が——いや、誰が。
そう思って、エマは男たちの隙間を縫うようにして、その方を見やる。
薄い生地の簡素な装いに丸腰。
特に飾り気なくただそれだけを着込んだ、背の高い男性がこちらへ向かって歩いて来ていた。
「何でこんなところに近衛部隊が…!?」
「近衛、部隊…?」
聞いたことくらいしかない名前。
けれども頼りになることは相違ない、王直属の部隊である。
その一人がここへ来ることが、そんなに珍しいことなのだろうか。
まだここへ来たばかりのエマには、それは疑問に他ならなかったのだが。
答えは自ずと、続けて放たれた言葉に顕れていた。
「せっかくの休暇中に、こんなに可愛らしい女の子が一人、薄暗い路地へと入っていくんだからな。引き返すよう言いに後を追うのは当然のことだ」
「だ、だからって何で——何だってここに、わざわざオーファンが…!」
「オーファン……オーファン…って」
何度か噛み砕いてみて、エマにもようやくそれが分かった。
オーファン・ジェイ。
国外にもその名が知れ渡っているのは、
「戦鬼……」
彼が、王直属の近衛部隊、唯一にして絶対の序列一位であることからだ。
エマが感嘆する街並み。
その中心部に位置するリス区の大半の敷地を使って建てられている『クリノス学園』が、明日より魔術の勉強をする為にエマが通うこととなる学び舎だ。
寮への荷入れ、荷解き、その他諸々の雑務を終え、一息吐こうと外に出て来ていた。
移動の車内では寝遠しで、街並みについては一切触れられていなかったのだ。
豪華とまでは言わないが、華やかで色のある風景に、広場の中心にも関わらずエマは思わず目を閉じ、両手を広げて、地元とは異なる空気をその身に受けた。
「気持ちいい……王都って、あまり綺麗な空気じゃないってイメージがあったんですけど…これは認識改めですね。とっても美味しい空気です!」
一人、明るく笑って楽しむエマ。
傍から見れば——なんて考える余裕は無いらしい。
「学園は一応見ましたし…どこに行きましょうか。地図の見方も分からないのではどうしようもありません。はぁ」
『みゃ?』
エマの肩に乗って首を傾げているのは、精霊のセレス。
耳の長い猫のような愛らしい姿に薄いライムグリーン、加えて幼い頃よりの付き合いだからと、
「もう、お夕飯にはまだ早いですよ、ライムさん」
エマはセレスをそう呼んでいる。
そんなエマの読みは正しかったらしく、早めに釘を刺されたライムは眉根を下げていた。
「生憎と喫茶店のような場所がどれかも分かりませんし。とりあえず、案内板や役所なんかを探してみましょうか。きっと、情報はそこにある筈ですから」
『——みゃ、みゃ?』
「それは駄目です。異国の地なのです。人見知りなのです…!」
そんな必死に言わんでも。
目がそう語っていた。
ならばどうするのか、と再度尋ねるや。
とりあえずは手あたり次第、それらしい大きな建物から当たってみようかと、学園入試トップの成績を収めて合格したとは思えない、能天気且つ計画性のない答えを出した。
まぁ、それはそれでエマらしいけれど。
タイムは肩を落として溜息だ。
それならそれで、早いところ動き出さなければ日も暮れてしまう。
寮は門限が厳しいという話なので、目的は早急に終わらせるに限るのだ。
「とりあえず……このメインストリートを進んでみましょうか。幸い、お城を除けば次に大きな建物が学園ですから、戻ることもそう難しくはなさそうですし」
『みゃ…!』
了解、といった風に力強く頷くライム。
満足のいく反応が得られて、エマは微笑み、その愛らしい頬を指先で優しく撫でてやった。
それにふわりと表情を和らげるライムの方も、実に満足気である。
通常、そも王族にしか使役出来ない神聖な存在たる精霊とあって、エマとライムのように、兄弟姉妹、あるいは友人のような感覚で語り合うような関係になることはない。
仕事を効率よく行う為に共にする、言ってしまえば上司と部下のようなものなのだ。
長い年月を、それこそ本当の姉妹のように過ごしてきたエマとライム、ならではの特別な関係というわけだ。
その始りこそ、一風変わったものではあるけれど。
「しかし、大きな建物ばかりですね。てっぺんばかり見ていると、首が痛くなってきてしまいます。座学ばかりで下を向くことが多かったから、ちょっと硬くなってしまっているのでしょうか。やはり、柔軟は大切ですね…!」
ぐっと両手で拳を握るエマ。
『みゃ?』
「大丈夫ですよー? てっぺんが辛いと分かったのなら、真っ直ぐ前を向いて歩けばいいだけですから」
と、何でもないような会話をしながら、ほのぼのと歩き、歩き——
——道に迷ってしまった。
「お、おかしいですね……メインストリートを歩いていた筈なのですけれど…」
『みゃー…』
揃って肩を落とす。
異国の地に立った初日からこれは、流石に無計画過ぎただろうか。
今になって、後悔の波が押し寄せて来ていた。
「……ライムさんライムさん。一つ、よろしいでしょうか?」
『みゃ?』
「——ここは、どこなのでしょう…?」
『……みゃあ』
史上最も深い溜息が零れるライムだった。
「と、とりあえず、人気のありそうな——少しでも騒がしそうな方へと歩いて——」
行きましょうか。そう続けようとした時だ。
「こんな狭い所に一人、危ないよぉ?」
ねっとりと絡みつくような、言葉とは裏腹な気持ちで放たれる言葉。
振り返った先には、いかにもな風貌と雰囲気の三人の男。
まずい。
エマは珍しくもそう直感した。
ライムも肩より飛行し、闖入者を睨む。
「お決まりな台詞ってのは分かってるんだけどよぉ。ここにわざわざ女の子一人ってことは、そういうつもりでいるんじゃないの?」
「ち、ちが…!」
「震えちゃって可愛いな。そら、俺らと一緒に——」
伸びて来る手に抗えない。
逃げ出そうとしても『追い付かれるかも』『もっと酷いことを』『男の力に叶う筈ない』といった気持ちが邪魔をして、エマの決断を鈍らせる。
が。
男の言葉も、先のエマ同様に続かず。
ふとその更に奧の方から聞こえて来た足音に、三人が一斉に振り返った。
「そこな愚者三人、汚らわしい手を離せ」
鈴を振ったように綺麗な声。
落ち着き払った、しかし刺すように鋭い声が届く。
「あ? 誰——おい、マズいぞ」
その姿を捉えるや、一瞬にして青ざめる男たち。
何が——いや、誰が。
そう思って、エマは男たちの隙間を縫うようにして、その方を見やる。
薄い生地の簡素な装いに丸腰。
特に飾り気なくただそれだけを着込んだ、背の高い男性がこちらへ向かって歩いて来ていた。
「何でこんなところに近衛部隊が…!?」
「近衛、部隊…?」
聞いたことくらいしかない名前。
けれども頼りになることは相違ない、王直属の部隊である。
その一人がここへ来ることが、そんなに珍しいことなのだろうか。
まだここへ来たばかりのエマには、それは疑問に他ならなかったのだが。
答えは自ずと、続けて放たれた言葉に顕れていた。
「せっかくの休暇中に、こんなに可愛らしい女の子が一人、薄暗い路地へと入っていくんだからな。引き返すよう言いに後を追うのは当然のことだ」
「だ、だからって何で——何だってここに、わざわざオーファンが…!」
「オーファン……オーファン…って」
何度か噛み砕いてみて、エマにもようやくそれが分かった。
オーファン・ジェイ。
国外にもその名が知れ渡っているのは、
「戦鬼……」
彼が、王直属の近衛部隊、唯一にして絶対の序列一位であることからだ。