少し暖かい春になる頃、気が付けば私は、彼を目で追うようになっていた。
数日刻みの不良然とした登校習慣も治り、毎日通うように。
親も先生も喜んでいたが、それはひとえに、帰りのバスで彼を眺めたいが故だった。
と言うのも、いつもいつも同じ席に座ってイヤホンを着けているのだけれど、いつ会っても変わらない、ともすれば強くなっているのではないかと思える程の“興奮”の色を纏っていることが、不思議で仕方がなかったのだ。
観察していれば、何か分かるかもしれない。そんなことを思っている訳でもなかったが、いつの間にか、それが一つの習慣のようになってしまっていた。
が、今日は少し違った。
運転手が変わったのか、信号機で足止めを食ったバスは、とても静かになった。
ブレーキとか何かの切り替えとか、よくは分からないけれども、それはとても好都合なことだった。
彼が着けているイヤホンは、それほど高性能ではないらしく、微かな音漏れが私の耳に届いたのだ。
(これ……)
ふと耳を打った音に、私は高揚した。
漏れていたのは、ドビュッシー作曲、版画より“雨の庭”の主旋律だったのだ。
(クラシック――好きなのかな)
どうかは、分からない。
尋ねてみればおのずと答えは得られようが――
いつも色が変わらないのは、どうしてなのだろう。
習慣を続けていると、分かったことが二つあった。
一つ。彼はいつも、クラシックを聴いているということ。
それも、ピアノの独奏か連弾か、いずれにしても楽器はピアノだけで演奏される曲ばかり。
作曲者もバラバラに、色んな曲をかけている。
二つ。彼は、自身が知らない曲ばかり聴いているということ。
イヤホンから流れて来る曲に耳を傾けながらリズムを取るように少し揺れるのだけれど、それがいつも合っていない。
変テンポの曲はごまんとあるけれど、そうではなく、外れては修正し、外れては修正しを繰り返すように、バラバラな動きを見せるのだ。
いつも変わらず同じ色をしているのは、毎度新しい曲を聴いていることで、その新鮮さを楽しんで“興奮”しているから。
新しいもの、知らないものを吸収して、いつも違う音色に触れているからだ。
(良いなぁ…)
一つ後ろの席に座って眺めながら、私はいつしか、彼に対してそんなことを思うようになっていた。
数日刻みの不良然とした登校習慣も治り、毎日通うように。
親も先生も喜んでいたが、それはひとえに、帰りのバスで彼を眺めたいが故だった。
と言うのも、いつもいつも同じ席に座ってイヤホンを着けているのだけれど、いつ会っても変わらない、ともすれば強くなっているのではないかと思える程の“興奮”の色を纏っていることが、不思議で仕方がなかったのだ。
観察していれば、何か分かるかもしれない。そんなことを思っている訳でもなかったが、いつの間にか、それが一つの習慣のようになってしまっていた。
が、今日は少し違った。
運転手が変わったのか、信号機で足止めを食ったバスは、とても静かになった。
ブレーキとか何かの切り替えとか、よくは分からないけれども、それはとても好都合なことだった。
彼が着けているイヤホンは、それほど高性能ではないらしく、微かな音漏れが私の耳に届いたのだ。
(これ……)
ふと耳を打った音に、私は高揚した。
漏れていたのは、ドビュッシー作曲、版画より“雨の庭”の主旋律だったのだ。
(クラシック――好きなのかな)
どうかは、分からない。
尋ねてみればおのずと答えは得られようが――
いつも色が変わらないのは、どうしてなのだろう。
習慣を続けていると、分かったことが二つあった。
一つ。彼はいつも、クラシックを聴いているということ。
それも、ピアノの独奏か連弾か、いずれにしても楽器はピアノだけで演奏される曲ばかり。
作曲者もバラバラに、色んな曲をかけている。
二つ。彼は、自身が知らない曲ばかり聴いているということ。
イヤホンから流れて来る曲に耳を傾けながらリズムを取るように少し揺れるのだけれど、それがいつも合っていない。
変テンポの曲はごまんとあるけれど、そうではなく、外れては修正し、外れては修正しを繰り返すように、バラバラな動きを見せるのだ。
いつも変わらず同じ色をしているのは、毎度新しい曲を聴いていることで、その新鮮さを楽しんで“興奮”しているから。
新しいもの、知らないものを吸収して、いつも違う音色に触れているからだ。
(良いなぁ…)
一つ後ろの席に座って眺めながら、私はいつしか、彼に対してそんなことを思うようになっていた。