言葉に詰まった私に、ハハハッと片手にいちごミルクのパックを持った水川がおかしそうに笑う。
関係ないけど、いちごミルクがよく似合う。
「別に弱味握っても握られてもないよ、俺は。
玲とは中学一緒なんだ。しかも1年から3年までずっと同じクラス」
「あ…そうなんだ」
中学の頃の天王子…きっと今みたいにモテまくってたんだろうな。
学ラン姿の天王子を想像していると、水川が「松美中学って知ってる?」と聞いてきた。
「う~ん…聞いたことないなぁ」
半年前に転入してきたばかりでまだこの辺に詳しくないっていうのもあるけど、全く聞いたことがないから少なくともそんなに近くはなさそう。
松美中学出身って子にもあったことないし。
だよねぇ~、と水川が苦笑いする。
「ま、無理もないよ。なんせこっから電車で二時間はかかるとこだから」
「にっ…二時間!?」
遠!
中学ってことは、きっとそこが地元ってことだよね?そんな所から何でわざわざこの高校に…!?
ここ、朝倉学園はこの辺ではそこそこ制服が可愛くて、そこそこの進学校だけど、そんな二時間もかけて通うような学校では…ないような気がする。
「いやぁ~、大変だよ。
さすがに毎日通学四時間はダルいからさぁ、女の子のおうち泊まらせてもらったりしてるけど☆」
得意そうにウインクを飛ばしてくる水川。
そのどちらかというと子供っぽい顔立ちに似合わず、やっぱり奴からは不健全な香りがする。
「何でわざわざこんな遠くの高校選んだの?」
朝倉学園は特別レベルが低いってわけでもないし、ここしか行けなかったから、というのは考えにくい。
自分の意志でここを受験したということだろう。
「う~ん…それは」
水川は少し答えあぐねるような間をあけてから
「玲がここ受験するって聞いたから」
そう答えた。
「ふ~ん…仲良いんだね、天王子と」
「まぁ…仲良いっていうか、心配だったんだよ、俺なりに」
ジュ、と水川がいちごミルクのストローを吸う。
「心配って?」
「…あいつには傷がある」
ジュボッ、といちごミルクが底を尽きた音がした。
「…傷?」
「そ。しかも外からは判別できない。
完全に治ったかのように見えて、実は中は血みどろのグチャグチャ。
そーゆー、タチ悪い傷がね」
そんなナゾナゾみたいなことを言いながら、水川がいちごミルクのパックを丁寧に折り畳む。
「どういうこと…?」
意味が分からなくて正直に聞くと、水川はニコッと笑顔を見せた。まるで悩みなんて一つもないみたいな、そんな能天気な笑顔。
「ま、後は玲に聞いてみてよ☆」
えー…突然の丸投げ。
キーンコーンカーンコーン―――
そんな中、午後の授業開始10分前を知らせるチャイムが鳴って、水川は立ち上がってシュッとゴミ箱に向かって折り畳んだいちごミルクのパックを投げた。
一発で決まったのを見て、満足気に伸びをする。
「じゃー授業始まるし戻るかぁ」
チャラそうに見えて、意外とマジメらしい。
「ね、ねぇ水川…くん」
やっぱりさっきの、天王子の“傷”の話が気になる。
「だからぁカイちゃんって呼んでよ」
「…それは無理」
「何で!じゃぁせめて開人で」
「え~…下の名前はちょっと」
「俺のこと、心の中じゃ“水川”って呼び捨てにしてるくせに」
え、と面食らった私に、ニッと得意気に笑う水川。
「じゃ、またね?一花ちゃん♪」
水川開人―――チャラそうで、意外とマジメっぽくて、なんだかいまいち―――読めない男。
「うーん…!このハンバーグすっごくジューシーですね…!肉汁が…!そして中のチーズはトロトロ蕩けてて…今日も絶品です!」
そんな華麗なる食レポを披露しているのは、いつものようにウチに夕飯を食べにきた天王子。そして
「やっっだぁ~っ!もう、そんな褒めても何も出てこないわよ~?♡♡」
そんな天王子の食レポに顔をピンクに染めて喜んでいるお母さん。
最近、ウチでは毎度おなじみの光景だ。
「あらっ玲くん、ご飯がもうないわよ~♡おかわりする?」
「いいんですか?麻美さんの手料理おいしすぎて、毎回ご飯食べすぎちゃって…」
「やだぁもう!いいのよぉ~育ち盛りなんだから!今おかわり持ってくるわね♡」
ウフフ♡と、とろけきった笑みを浮かべながら、天王子のお茶碗を持ったお母さんがルンルンと席を立った。
あーあ。どうせお世辞だというのに、あんなに喜んじゃって…
たしかにお母さんの料理は美味しいし好きだけど、天王子の言うことなんてどうせ嘘まみれだ。
はぁ、と内心でため息をつきながら、食卓の真ん中に置かれた唐揚げに箸を伸ばしたときだった。
あと一つ残された唐揚げを前に対峙する、私と天王子の箸。
「…一人三つずつなんですけど」
文句を言うと
「これで三つ目だ」
偉そうに言い返してくる。
「私もこれで三つ目なんですけど!」
「は?数あわねーだろバカが」
「あんた嘘ついてんじゃないの?」
「お前が数、数えらんねーだけだろ」
「数くらい数えられますナメないで!?」
「もうっ一花!まぁた大きな声出して…!」
唐揚げをめぐって天王子と睨み合っていると、やれやれと肩を竦めたお母さんが戻ってきた。
「だって天王子が唐揚げっ…痛!!」
その長い足を利用し人の足を踏みつける姑息な天王子!
「ちょっ何す…!」
「唐揚げどうぞ、一花さん。お腹減ってるみたいだし、譲ってあげるよ」
ニコリと天王子が素敵笑顔でそう言った。
まぁぁ!とお母さんが感動している。
「玲くんは心までイケメンなのね…!
ごめんなさいねぇ、食い意地の張った娘で…!」
HAHAHAと爽やかに笑う天王子を思い切り睨みつける。
いつか覚えてなさいよ…。
お母さんと楽しそうに会話している天王子は、とても水川のいう“傷”を抱えているようには見えない。
“完全に治ったかのように見えて、実は中は血みどろのグチャグチャ”
“そーゆー、タチ悪い傷がね。”
いつも偉そうで自信満々な天王子。
学校の女子からはキャーキャー言われ、先生からの信頼も厚く、誰もが一目置く存在。
そんな奴が何の傷を負ってるっていうんだ。
そう思うのに。
なぜか、チラつく。
無理矢理デートさせられたときの、帰り際の天王子の目が。
“ほんと何でお前なんだろ?”
「…か、一花?」
は、と気付くとお母さんが怪訝そうに私を見ていた。
「どうしたの、ボーッと玲くん見つめちゃって。
まぁ、こんなイケメンなんですもの!見とれちゃうのは分かるけど…」
ニコッと天王子が小首を傾げる。うげぇぇぇ。
「見とれるわけないでしょ!?」
ただ少ぉぉし、気になるだけで。
「ついに俺に惚れたかお前」
夕飯後、いつも通り私の部屋にやって来た天王子。
人のベッドにドカッと腰かけてそんな意味不明なことを言う。
「はぁ?何言ってんの」
奴にいつもベッドを占拠されるので、私は仕方なく学習机の椅子に腰かける。
「さっき俺に見とれてたじゃん」
「見とれてませんー!ただちょっと考え事してただけです~」
ったく、これだからモテ男は!女子は全員自分のこと好きになると思ってるから困る。
はぁ、とため息をつきながら手持ち無沙汰に机の上に置いてあった雑誌をめくった時だった。
「…その考え事ってさぁ」
背後で天王子が立ち上がる気配。
「んー?」
雑誌に目を向けたまま返事をすると、グイッと顎をつかまれ強引に顔を上げさせられた。
「その考え事って俺のこと?」
「…いや違うけど」
ほんとはそうだけど、正直に答えるのは癪だった。
天王子のこと考えていたなんて言ったら、また調子にノッて「やっぱ俺に惚れてんだろ」とか言い出すに決まってる。
天王子の茶色い瞳が不愉快そうに細められた。
「ほんと生意気な女」
そのまま強い力で腕を取られて、ギュ、と強引に抱き寄せられる。
抱きしめられながら、また頭をあの水川の言葉がよぎる。
“…あいつには傷がある”
何で自分でもこんなに気になるのか分からないけど、やっぱり気になる。
傷って、てっきり精神的なものなのかと思ってたけど、実はただ単にどこか怪我してる…とか?
抱き寄せられた姿勢のまま宙ぶらりんになっていた右手をあげて、恐る恐る天王子の背中に触れた。
驚いたのか、ピクッと奴の体が反応する。
そのままペタペタと触ってみたけど、特に怪我をしてる様子は…
「っなんだよ」
痺れをきらしたように、天王子が私の右手首を拘束した。
「人の体ベタベタ触りやがって」
そして少し体を離し、不機嫌そうに私を見下ろす。
「ご、ごめん。ちょっと…触診を!」
「…はぁ?」
不可解そうに眉間に皺を寄せる天王子。
って私…なんか触診って…物凄く変態チックじゃない!?
「あ、あの違くて!これはその…」
「…ふーん」
何かいい言い訳はないかと頭をフル回転させる私を、天王子が覗き込んだ。
ニ、と形の良い口角が上がる。
「もしかして俺としたいの?お前」
「……はい?」
俺と…したい…したい!?!?
いくらそういう経験がない私でも、それがいかがわしい意味を指していることは簡単に想像がついた。
“ぶっちゃけ玲とはどこまでヤッたの?”
昼休みにも水川にそんなこと聞かれたし。
ったく…これだから…これだから男ってやつぁあ!!
「そんなわけないでしょ!?バッッカじゃないの!?」
つかまれていた右手首を振り払って思い切り距離を取る。
睨みつける私に
「そんな必死になって否定されると余計怪しーな」
ニヤニヤとムカつく笑みを向けてくる天王子。
「したいならしたいって正直に言えば?お前とならできるかもだし、俺」
「なっ…何言ってんの!?違うって言ってんじゃん!」
「無理すんなよ~?」
「無理してないから!ほんとバカじゃないの!?
そ、そういうことは好きな人とするものであって…!!」
はぁ?と天王子の顔がバカにしたように歪む。
「お前…ほんとバカだよな」
「はい!?」
「キスもそれ以上も、はじめて好きになった人に全部捧げたいって?
ほんとバッカじゃねーの」
冷たい瞳でそう言って、近づいてくる。
逃げる前にクイッと顎をつかまれた。
「好きとかそんなの全部幻想。笑わせんじゃねーよ」