俯いていて天王子の表情はよく見えないけど、なんだか本当に具合悪そうにも見える。


もしかして、私の部屋でずーっと黙りこくってたのも、体調が悪かったからとか!?



「ちょっと大丈…」


「お前マジでキモい。うざい。すっげー嫌い」



2秒前までの私の心配を返せ。



天王子が顔を歪めて私を見てる。


わざわざ言葉にしてもらわなくても伝わるよ。




…私のこと、本当に嫌いなんだね。





「私だって嫌いだから!」



フンッと顔を背けてやった。


なんかよく分からないけど、すっごくムカついている。



「お互い嫌い同士なわけだし、これからはもう関わるのやめない?あんただって、仕方なく私と…っ!?」



突然強い力で押し倒された。グルリと反転する視界。ボスッと倒れ込んだ布団の感触。



…私を組み敷く、天王子の熱のこもった、射抜くような、鋭い瞳。




「…ほんっとムカつく女」










「…わ、私だってムカついてるし!」



ていうか何で押し倒されてんの!?!?


正直気が動転しまくっていて、そう言い返す声がわずかに震えてしまった。


それを悟られまいとキッと天王子を睨む目に力をこめる。




チッ。



天王子がさも気にくわない、とでも言いたげな舌打ちをした。




「…お前って、いつもそういう目で俺を見るよな」




私の右手首を布団に縫い付けていた手が離れて、そっと親指で、唇に触れてくる。




「…泣き顔とか、見てみてぇんだけど」





…なにこれ。



天王子の親指が、私の唇を撫でる。


不機嫌そうな瞳とは裏腹に、その手つきは優しい。



まるで壊れ物に触れるように、なにかを慈しむように、触れる。




…なにこれ。




ドコ、ドコ、と内側から乱暴に私を叩くのは、まぎれもなく、私自身の心臓だ。




このおかしなムードに、おかしくなりそう。




強くつかまれた左手首の感触に、私を射抜く目に、下唇を撫でる手つきに、暴れる心臓に。





―――飲み込まれそう。





「なっ…


泣かされたら、泣かし返す!!」




喝を入れるべくそう叫ぶと、ふっと天王子の、唇に触れていた手の動きが止まった。









じっと感情の読み取れない瞳で私を見下ろす天王子。



張り詰めた緊張感でそれを見つめ返していると、



「……はぁぁぁ~……」



天王子が、脱力したように深いため息をついた。



「もういいわ。やる気失せた」



そしてあっさり私の上から退いて、ベッドから立ち上がる。




「やる気って何する気だったわけ!?」



ベッドから身を起こして聞くと、天王子が「知らねーよドアホ」と偉そうに言い放った。




「知らねーって…!」

「俺だってわかんねーよ」



ガシガシ、イラついたように頭を掻く天王子。




「ただ一つ言えるのは…俺はお前が嫌いだ」



「…改めて言ってもらわなくても知ってるよ」



「お前といると調子狂うし、自分が自分じゃなくなる。俺はほんとは…完璧なはずなのに。そうじゃなくなる。お前のせいで」



よく分からないが全責任を私になすりつけたらしい天王子。


フン、と傲慢に腕組をして、ベッドに座ったままの私を見下ろした。




「お前の望み通りにしてやるよ」


「は…?」


「もう関わらない。じゃーな」



バタン、と奴の背中があっという間にドアの向こうに消える。



私はしばらく茫然と、そのドアを見つめていた。














「…で、昨日は応仁の乱についてザッと説明したわけだが、そもそも応仁の乱というのは…」



教壇で先生が応仁の乱について説明を始めてるけど、私の頭はボンヤリとそれをBGMとしか認識できなかった。



さっきから応仁の乱のかわりに、私の頭を占めているのは昨日のアイツの、背中。




“もう関わらない。じゃーな”




偉そうで、怒っているようにも見えて、なぜか少しだけ傷ついているようにも見えた。わけわかんないけど。




…気を抜くとすぐに漏れそうになるため息を押し殺す。





やだなぁ。



よく分かんないけど、






……こっちが傷つけた気分になる。






ガタ、と隣の席の椅子を引く音で舞い戻った意識。



どうやら先生に指名されたらしい。


姫芽ちゃんが椅子から立ち上がったところだった。









だけど妃芽ちゃんは立ち上がったまま、何も答えようとしない。



「春野、159ページ、6行目からだ」



指示が聞こえなかったのだと判断した先生がもう一度指示を出す。



だけど妃芽ちゃんはじっと黙りこくったまま。




「…妃、」



呼びかけようとして、気付いてしまった。



妃芽ちゃんの教科書が、真っ黒く塗り潰されていることに。




これって…




辺りを見渡すと、怪訝そうにこちらを窺う生徒に混じって、チラホラ、クスリと笑顔を漏らす女子がいた。




…プリンスの、ファンクラブの人たちだ。




そこでタイミングよくチャイムが鳴って、先生は不思議そうな顔をしながらも



「じゃぁ次は同じとこからまたやるから!日直号令~」



次を急いでいたらしい。日直の号令が終わるやいなやそそくさと教室を出ていった。




妃芽ちゃんも、駆け足で教室を出ていく。





「…っ妃芽ちゃん!」









追いかけると、妃芽ちゃんが足を止めて振り向いた。



そしてニコリといつも通りの笑顔。



「なに?一花ちゃん」


「…妃芽ちゃん、さっきの…」



それだけで、私の言いたいことを察したららしい。



あぁ、と妃芽ちゃんが何でもないことのように後を引き取った。




「教科書?びっくりしちゃったよ、私も」


「びっくりって…誰かにやられたってことだよ…ね?」


「はは、逆にそれ以外何があるの?」


「…犯人だけど、たぶん、あいつの」


「ファンクラブの人たちだよね?実は一昨日、呼び出されたんだ。あの、九条先輩?って人に」


「えっ…」




九条先輩!?




少し前、妃芽ちゃんをじっと見つめていた九条先輩の姿を思い出す。




やっぱり恐れてたことが現実になったんだ。




「九条先輩に玲には近づくなって言われたんだけど、無理ですって即答したらこれ。

上履きに砂詰め込まれてたり、ノートの表紙が破られてたり?あ、でも心配しないで?今のところ、怪我するようなことはされてないから」



「心配するよ…!」




しないはずがない。



プリンスのファンクラブが過激なのは有名な話。




プリンスの隣の席になったってだけで、退学に追い込まれた女子もいたって聞いた。








…私も前に、天王子と休日一緒にいるのが目撃されて、九条先輩に呼び出されたことがある。



あのときは天王子が九条先輩に釘をさしてくれたから、たぶん私は無事で済んだ。



だから妃芽ちゃんを助けられるのは、やっぱり




「妃芽ちゃん、天王子に言おう?このこと」


「絶対に嫌」




だけど妃芽ちゃんはきっぱりとそれを拒否する。




「玲には言わない。絶対に」


「何で?九条先輩だって、天王子に言われれば…」


「このくらいで私は傷つかないから」




妃芽ちゃんが凛とした瞳で私を見る。




「だから一花ちゃんも、玲には絶対言わないで」


「…でも」


「言ったら一生許さないから」




それだけ言い残して、妃芽ちゃんは踵を返して廊下を歩いていった。











それからも日々、妃芽ちゃんへの嫌がらせは続いているようだった。




ある日は、妃芽ちゃんは上履きではなく、来賓用のスリッパを履いていた。


またある日は、朝登校すると、妃芽ちゃんの机にびっしりといたずら書きがされていた。



妃芽ちゃんは私が何を言っても、「大丈夫」「気にしてないから」と笑うだけ。



休み時間のたびにA組の天王子を訪問することもやめる気配はなく、女子からの鋭い視線が突き刺さっているのにも、気付いていないのか、気にしていないのか…。





「こういうの、やめた方がいいと思う」



ある日たまりかねた私は、移動教室で人が少なくなったときを見計らって、クラスの妃芽ちゃんイジメの主犯と思われる女子に物申しに行った。


いつも嫌がらせで困っている妃芽ちゃんを見て、楽しそうな笑顔を浮かべている。


プリンスファンクラブの一員で、熱心なプリンス信者。




「は?何言ってるのか意味わかんないんだけど」



その女子――北川さんは、私の言葉を鼻で笑った。



「妃芽ちゃんに嫌がらせしてるでしょ?」


「なにそれ。証拠でもあるの?」




証拠は…ない。


人目があるところで、妃芽ちゃんや妃芽ちゃんの物に危害を加えることはないし、妃芽ちゃんに嫌がらせをする、その現場を押えたわけでもない。









黙った私に、北川さんは勝ち誇ったように笑った。



「証拠もないのに変な言いがかりやめてよ。あんたもイジメられたいの?」



そして北川さんは、颯爽と私を置いて教室を出ていった。




ポン、と後ろから私の肩をたたいたのは、みのり。





「やめなよ一花。あんたも面倒事に巻き込まれるよ」


「そんなこと言ったって、放っとくわけには」


「放っとけばいいじゃん。
ファンクラブも、妃芽ちゃんがプリンスに必要以上に近づくのをやめればもう何もしないはず。

でも、それでもプリンスに近づくことをやめないんだから、どうしようもないじゃん?」


「…でも…」




…だからといって、妃芽ちゃんに嫌がらせするのはおかしい。





―――こうなったら。






「あっ、ねぇ、山村くん!」




昼休み。


妃芽ちゃんが購買に向かったことを確認した私は、A組に向かった。



教室奥で女子に囲まれている天王子の姿を確認してから、A組の入り口付近にいた山村くんに声をかける。



山村くんとは1年のときクラスが同じで、席も隣同士だったから少なからず喋ったことがある。