「お姫様のお呼びだぜ?」



わざとらしくそう言う開人を殴りたい。




最近、何の前触れもなく突然転入してきた妃芽。



…中学の同級生で、一応俺の…元カノだ。ちなみに決していい別れ方はしていない。



…一体なんで、急に…




「妃芽もめげないよなぁ、休み時間の度、玲のとこ通ってさ」



感心したような口ぶりの開人。



「よっぽど好きなんだね、玲のこと♪」


「……ぶっ飛ばすぞ開人」



思ったよりも低い声が出た。眉根がギュッと寄るのが分かる。



「俺と妃芽のこと…お前が一番よく知ってんだろ」


「知ってるよ?だから頼んだんだよ、妃芽に。玲ともう一度会ってほしいって」


「……は?」




…頼んだ?妃芽に?



「…開人、お前…」


「あ、転校しろとは言ってないよさすがに。そこは妃芽の独断…」


「ふざけんなよ!?」




グイッと胸倉をつかんで引き寄せた。



だけど相変わらずニヤけたままの開人。




「ふざけてないよ。いたってマジメ」


「面白がってんじゃねーよ」


「面白がってないよ、むしろ」



スッと開人の顔から笑みが消えた。



「イラついてんだけど?」









いつもの緩さが全く消えた開人に一瞬、動揺した。



「…は?」


「なんつーかもう見飽きたんだよね、その嘘くさい笑顔」


「お前…」


「いい加減向き合えよ玲。逃げんな」



逃げる…?俺が?




「……チッ」



乱暴に開人の胸倉から手を離した。


どうしようもなくイライラして、教室の出入り口に向かって歩く。


俺に注がれるクラス中の好奇の視線。…当たり前だ、俺と開人が喧嘩すんのなんて初めてのことで。



「玲っ!」



教室を出た瞬間、すかさず妃芽が駆け寄ってきた。



「何かあったの…?」



心配そうな妃芽。


その少し下がったところで、気まずそうに立っているのは、村田。



妃芽はなぜか村田になついてるらしく、よく二人で俺の教室までやってくる。



何でよりによって村田なんだよ…。




無視してそのまま歩き出そうとすると、「待って!」とシャツの裾をつかまれた。




「これあげる」



俺に押し付けるように渡されたビニール袋。



「買ってきたの購買で。玲、パン好きでしょ?中学のときも、給食がパンの時はテンションあがってたし…」



…いつの話だよ。



中身を見ると、妃芽の言う通りパンが入っていた。



焼きそばパンにメロンパンと…チョココロネ。







「…足りなかった?」



黙ったままの俺を、心配そうに窺う妃芽。



俺はビニール袋の中からチョココロネを取りだして、妃芽に渡した。



「…玲?」


「好きだろ」


「…え…」



チョココロネは妃芽の大好物。

中学の時から、チョココロネばっかり食ってた。



「…ありがとう…!」



妃芽が満面の笑みでチョココロネを受け取る。


…久しぶりに見た。


妃芽の、笑顔。




「…じゃ」



妃芽に背を向けて歩き始めた。




…逃げてるわけじゃない。


逃げてねーよ。




ただ…





思い出したくない、だけだ。











―――びっくりした。



私は今目の前で起きた光景に戸惑いが隠せなかった。



「好きだろ」って、天王子、妃芽ちゃんに…。



「玲、わたしがチョココロネ好きなの、覚えててくれたんだ」



嬉しそうにはにかむ妃芽ちゃんはとても可愛い。



「優しいでしょ、玲」



優しい…?天王子が?



大切そうにチョココロネを胸に抱いた妃芽ちゃんと並んで歩き出す。




“優しさ”と“天王子玲”は、かけ離れたところにいると思う。

いつも自己中で俺様で、優しかったことなんて一度も…




“俺がずっと傍にいてやるから”




…いや、あの嵐の夜は、あの時だけは



…違ったかも。









「…一花ちゃん?」



不思議そうに私の顔を覗き込む妃芽ちゃん。



「どうしたの?なんか顔赤いけど…」


「えっ…」



顔赤い!?




最悪だ。


あの夜を思い出して赤面するなんて!!





「なっ、なんか暑くない!?ここ!」




慌てて顔を手で仰いで誤魔化した。






横からじっと妃芽ちゃんの視線を感じる。




…まさか嘘だと思われてる?






その時、ふと向かいの校舎の窓から私たちを見つめる人影に気づいた。



三人組の女子。



その真ん中にいるのは。




「…九条先輩?」




艶やかな黒い巻き髪。

存在感のある大きな瞳。

凛とした雰囲気。



…間違いない。




九条先輩は私と目が合うと、取り巻きを引き連れて窓から姿を消した。




今の視線は、私というよりも、妃芽ちゃんに注がれていたような…





“女からのいらない嫉妬買いすぎないといいけどね”




ふと頭に浮かんだのは、妃芽ちゃんが転入してきた日の、みのりの言葉。



もしかして妃芽ちゃんも、あの時の私みたいに…





「妃芽ちゃん」


「うん?」




妃芽ちゃんがクルンと大きな瞳で私を見上げる。




「あんまりアイツ…天王子に、近づかない方が…いいかも」









ピタ、と妃芽ちゃんが足を止めた。



「…どうして?」


「なんていうか…天王子、無駄にモテるから。ファンクラブもあって、天王子に近づきすぎると反感買っちゃうっていうか…」


「そんなのどうだっていい」



きっぱり妃芽ちゃんが言い切った。



「私、玲に近づくためにこの学校に来たんだもん。周りから何思われたってどうでもいいよ」



いつもはフワフワした雰囲気なのに、その時の妃芽ちゃんはきっぱり芯の通った強さで。




妃芽ちゃんって…



「…好きなの?天王子のこと」



ポロ、と気付いたらそんな言葉が漏れていた。



妃芽ちゃんがにっこり笑う。




「大好き」


「…そうなんだ」


「うん。別れてからもどうしても忘れられなかった。私、分かったの。玲しか好きになれないんだって」




――そんなに誰かのことを好きになったことなんて、私は一回もない。



素直に羨ましい…。



こんなに可愛い子に、こんなに想われて、天王子のくせに幸せ者だ。




「…何で別れたの?」




こんなこと聞くのは不躾かとも思ったけど、気になって聞いてしまった。



妃芽ちゃんは少しの間の後、ポツリと独り言のように、呟いた。



「…私がめちゃくちゃに…傷つけたから」
















“アイツには傷がある”


“めちゃくちゃに…傷つけたから”





みんながみんな、あいつを傷だらけみたいに言うけれど。





「プリンスッ、今日…もしよければこの後お茶しませんか?」


「ごめんね。今日はこの後撮影なんだ」


「きゃぁ~♡雑誌のですか?もしよければ見学させて頂いても…」


「あはは、発売を楽しみにしててね」


「はいっ!楽しみに全力で待機してます!!」


「あはは、可愛いなぁ、みんな」


「きゃぁ~~~~~っ!!!!」





「………アホらし」



放課後、昇降口を出た所で女子達とそんな雑談を繰り広げている天王子は、とてもそんな風には見えない。


傷だらけどころか、傷ひとつ、悩みひとつなさそうなアホっぽい猫かぶり笑顔を浮かべている。




「…一体あいつに昔何があったわけ?」



ボソッと無意識に呟いて、ハッとする。


最近気付けばそんなことばかり考えている気がする。


いけないいけない、無意識にあいつのことを考えるなんて時間の無駄、今すぐやめよう。うん。タイムイズマネーっていうし。







天王子から視線を逸らして、私の立つ校門付近を確認したが、私の待つ人物の姿はまだなかった。


実は今日はこの後、樹くんと待ち合わせしている。


また偶然、この近くに用事があるらしく、その後に寄ってくれるらしい。


なんでも今回は、樹くんに行きたいカフェがあるみたいで。



…前髪とか、変じゃないよね。




急にソワソワしてきて、私はポケットから手鏡を取り出し前髪を確認。ついでに、歯に何か挟まっていないかも確認。


特に問題はない、が…いや、ある。唇がカサカサ!




慌ててワイシャツの胸ポケットからリップを取り出した。



桃のかおりがする色付きリップ。



それを丁寧に塗っていると、



「一花ちゃん」



背後から落ち着いた声がかかった。




風のようなスピードでリップと手鏡をポケットに突っ込む。




「いっ樹くん!」


「ごめんね、待った?」


「ううん、全然!」


「そっか、よかった」



樹くんが穏やかに微笑む。




「じゃ、行こっか」


「うん」



他校の制服の樹くんは、当然ながら生徒の注目を浴びていた。



もしかして、付き合ってるとか思われてるのかな…?



私だって、男女が一緒に帰っているのだけでも、付き合ってるのかなと思うし。



そう思うと再びソワソワが押し寄せてきた。なんだかくすぐったい。




校門を出て、樹くんと並んで歩く。



自転車の生徒が何人か隣をすり抜けていく。

中にはわざわざ振り返って樹くんに好奇の視線を浴びせる人もいた。



樹くんが少し照れくさそうに私を見て、私も微笑み返した。そのとき




「村田さん」









背後から聞こえた落ち着いた声。落ち着きすぎて、逆に不気味なくらい…。



恐る恐る振り向くと、穏やかな笑みをたたえた天王子が立っていた。



さっきまで女子たちと楽しく話してたくせに、いつの間に…!




天王子がゆったりとした足取りで近づいてくる。


すぐにそんな天王子の後ろから「玲っ!待ってってば!」と妃芽ちゃんが追いかけてきた。



だけど天王子はそんな妃芽ちゃんの声などまるで聞こえていないかのように、私だけを視線に映す。



「どこ行くの?」



プリンスモードの天王子が完璧な感じの良い笑みで聞いてくる。



こんなやり取り、つい最近もしたような…。



デジャヴを感じながらも、「カフェだけど」と返した。



妃芽ちゃんが私と天王子を交互に見比べている。



「行かないで」



天王子が笑顔を崩さないまま言った。



…えっと…



「は?」



意味が分かんないんだけど…。




天王子がさらに距離を詰めてくる。


真上から私を見下ろす瞳から、スッと柔らかさが消えた。




「だから行くなって言ってんだよ」