その声に、弾かれたように顔をあげたのはプリンスだった。



形の良い二重の瞳が、大きく見開かれる。




私も天王子の視線を追って顔を上げた。




屋上の入り口に立って、こっちを見つめている女の子。



制服ではなく、かわいいピンクのワンピースを着ている。



知り合い?と天王子に聞こうとして、思わず口をつぐんだ。


だってあまりも、その瞳が切なそうに揺れていたから。




「……妃芽(ひめ)…?」




天王子の僅かに震えた唇から、掠れた声が漏れる。




「玲!」




女の子が天王子に駆け寄る。



パッチリ二重の大きな瞳に長い睫毛、茶色くて猫毛の柔らかそうな髪の毛、ぷっくりピンクの唇…


まるでお人形さんみたいに可愛い子。




…なんか、どっかで見たような気が…




天王子の前に立ち、ウルウルと潤んだ瞳でじっと見つめている女の子。





…あ、思い出した!


この子、樹くんと買い物しているとき、チャラ男たちに絡まれていた子だ!




でも何でこんな所に?天王子の知り合い…?




「…ごめん、玲」



女の子…妃芽ちゃんの声は苦しそうで、絞り出すような声だった。




「ごめんね、玲…」









「……何でここに」



天王子の声もどこか苦しそう。


二人の間に立ち込める空気は重い。



…私でも分かる。この二人が、ただの知り合いじゃないって…。



「…実は私、この学校に転入してきたの。どうしても玲に、もう一度会いたくて」


「……っ」



大きく見開かれる天王子の瞳。




「本当は明日からで、今日は挨拶だけの予定だったんだけど。少しでも早く会いたくて…開人に聞いたら、屋上だって教えてくれて」



…水川とも知り合いなんだ…。



天王子は黙ったまま。



大きな瞳いっぱいに涙をためた妃芽ちゃんが、我慢がきかなくなったみたいに天王子に手を伸ばした。



「玲っ、会いたかっ…「触んな!」



ビリッと空気がひりついた。


妃芽ちゃんがビクッと肩を揺らして、慌てて手をひっこめる。




「…ご、ごめん…」


「………」



俯いたままの天王子。


びっ…くり、した。


あんな切羽詰まった天王子の声、はじめて聞いた…。




そこで初めて、妃芽ちゃんが私の存在に気付いた。



パチリ、と瞬きをひとつする。




「あれ…あなた、もしかして…こないだ助けてくれた人…?」



「あ、はい…やっぱりそう、ですよね」



「びっくり。この間は本当にありがとうございました…!あの時一緒にいた男の子もこの学校?」


「あ、いや、樹く…彼は、違う学校で」




その時突然、天王子が踵を返し屋上のドアに向かって歩き始めた。



慌てて妃芽ちゃんもその後を追う。




「玲っ待って!」



二人の背中はあっという間に、ドアの向こうに消えた。









取り残された私、と。



「…あいつ、忘れてんじゃん…」



コンクリの上に転がっている、ビニール袋を拾い上げた。



中には奴の命、焼きそばパン。




…せっかく買ってきたのに。





ふぅ、と息を吐いて、ベンチに腰かけた。




流れる雲はどこまでも穏やか。



…さっきまでのピリついた空気は嘘みたい。




天王子の声が、今でも耳の奥に残ってる。



妃芽ちゃんの、天王子を見て感極まった様子も。




…いったいどういう知り合いなんだろう。



なんだか、ただよらぬ感じだったけど。



過去に何か、あったのかな…?





“あいつには傷がある”


“タチ悪い傷がね”




いつかの水川の言葉が、なぜかふっと蘇った。




天王子の傷。


完全に治ったかのように見えて、中は血みどろでグチャグチャの…












「一花、これ玲くんに持っていって♡」



今日の夕飯は私の大好きなハンンバーグ。


いただきま~す!とさっそく手を合わせたところで、お母さんから待ったがかかった。



「持っていってって…何これ?」



お母さんの手にはコンパクトな土鍋。
桜の花が書いてある可愛いデザイン。



「実は、今日買い物帰りに偶然玲くんに会ってね、夕飯に誘ったんだけど体調悪いからって断られちゃって。

だからお粥作ったの♡これだったら、食欲なくても食べられるでしょ?♡」



彼女かよ。


いや、それにしても体調悪いって…。


今日、屋上で会ったときは全然そんな素振りなかったけど…?




「だからこれ、持って行って!あ、あとこれと、これもね!」



私に土鍋を押し付けると、その上から更に冷えピタシートやらアイスノン枕をのっけてくるお母さん。


そして極め付けのウインク♡




「ついでにきっちり看病してきなさい♡あ、風邪がうつるようなことは、ほどほどにね♡」




何言ってんだこの人。




「…何で私が奴のためにそこまで」


「冷たいこと言わないの!玲くんには常日頃お世話になってるでしょ?」


「いや全くお世話になった覚えはないけど」


「いいからほら!早くいってらっしゃい!」




お母さんに背中を押され、渋々玄関に向かった。


まぁ確かに、様子はおかしかったから、少し気になるといったら気になる…し。少しね。









ピンポーン。



土鍋で手が塞がっていたので、仕方なく肘でインターホンを押した。だけど中から応答はない。



「……?」



もう一度押す。


少しして、ようやく応答があった。



「……なんだよ」



カメラで私の姿は見えているはず。


インターホンから聞こえた声はなんだか不機嫌そうだ。



「お母さんがお粥作ったから持ってけって。
重いんだけど、早く開けてくんない?」



無言で切れるインターホン。


ドアが開く。天王子はまだ制服のままだった。



「お粥って…何で」


天王子が不思議そうに私が抱える土鍋に目をやった。



「具合悪いんじゃないの?」


「…あー、そういう設定だったっけ」


「設定!?」


「うるさ。いいから入れよ」




そして勝手に部屋の奥に消える天王子。



…中入るの!?








天王子がうちに来たことは何度もあるけど、私が天王子の家にいったのは初めてだ。



中は意外と綺麗で片付いていた。

いや…というより、物がない。殺風景。



生活感のないキッチンのシンクに土鍋を置いた。



「まだ温かいから、今ならすぐ食べれるよ」


「…おー」



天王子はソファに座って、ぼんやりしていた。


なんだか心ここにあらずって感じだ。



…やっぱりなんか、おかしい。




「あのさ」


「…なんだよ」


「今日屋上で会った…妃芽ちゃん?って、知り合い…なんだよね?」


「………まぁ」




なんだか歯切れの悪い天王子の返事。



「中学が同じだった、とか?なんか、天王子のために転入してきた、みたいなこと言ってたけど」


「………」


「すごい可愛い子だよね。実は私、前に一回買い物してたら会ったことあって。すっごい偶然…」


「うざい」



バッサリ切り捨てられた。


天王子が不機嫌そうに私を睨んでる。




「あいつの話をお前がすんな」


「…はぁ?何それ」


「人のプライバシーにずかずか踏み込んでくんな、図々しいんだよ」




人のプライバシー?…ずかずか?







「…そのセリフそっくりそのまま返すわ」


「あ?」


「ずかずか人んちにいっつも上がり込んでんのはアンタでしょ!?人のベッドに勝手に寝転ぶし人のマンガ勝手に読むし!」


「俺はいいんだよ」



でたー!わがままプリンスの棚上げ発言!



「帰る」



アイスノン枕と冷えピタシートを適当に投げ捨てて玄関に向かった。



あー、ムカつくムカつくムカつく!


具合悪いっていうのも仮病だったみたいだし!わざわざ来ちゃってバカみたい!



怒りながら靴を履こうとしたところで、「待てよ」と背後から奴の声。




「あいつと二人で買い物いってたのかよ」


「…は?」


「なんなのお前ら、付き合ってるわけ?」




振り向くと、壁によりかかって偉そうな天王子。




「…人のプライバシーにずかずか踏み込んでこないで」


「は?お前」


「大っ嫌い」




バンッ!と乱暴にドアを閉めた。





…なにがプライバシーだ。バカじゃないの。



あいつはいつも遠慮なく人の領地に踏み込んで、遠慮なく触れて。




“お前のことは何でも知りたいんだよ”




…あんなこと言うくせに。










「春野妃芽です。よろしくお願いします」



翌朝の朝礼で、転入生として妃芽ちゃんが紹介された。



突然の美少女転入生の登場に、クラスはざわざわ色めき立っていた。


特に男子なんてキラキラ…いや、キラキラを通り越してギラギラしている。




(まさかうちのクラスだったとは…)




「みんな仲良くしろよー。じゃ、春野。席は…村田の隣な。面倒見てやれよ村田ー」



担任がテキトーそうな声でそう言う。



…私の隣!?



って、当たり前か。このクラスで空いている席は今、私の隣しかない。



このクラスはもともと奇数だから、一人だけ一人席になる。


つい最近の席替えで私がそのおひとり様になったのだ。



妃芽ちゃんが私の隣の席に向かってトコトコと歩いてくる。



そんな妃芽ちゃんに集まるクラス中の好奇の視線。と、私に集まる男どもの嫉妬の視線…。



「…よろしくね」



チョコンと席に腰かけた妃芽ちゃんが、恥ずかしそうにはにかんでそう言った。



んんん可愛い!




「こちらこそ、よろしくね」




これは妃芽ちゃんをめぐって、男どもの骨肉の争いが始まる予感がする…。










その予感は的中した。


休み時間になると、一気に男どもが妃芽ちゃんの元へ!



「どっから来たの?」


「ライン教えてくんない?」


「俺と付き合わない?」




…男どもの勢いに席を追われた私は、みのりの席に避難した。



「まるで女版のプリンスだね」



みのりが遠巻きにその様子を眺めながら言う。


た、たしかに。



「でも、あんだけ話しかけてくれたら心強いだろうな…」



私も転入生だったから、転入するときの不安な気持ちはよく分かる。


誰かが話しかけてくれるだけで、すごく心強くて救われるんだ。



私の言葉に、みのりは「まぁそうだけど、でも」と少し眉を寄せた。



「女からのいらない嫉妬買いすぎないといいけどね」


「嫉妬…?」



みのりに言われてはじめて気づいた。


女子たちが、男子に囲まれる妃芽ちゃんを面白くなさそうに見ていることに。




「女子コワ…!」


「ま、私はプリンスにさえちょっかい出さなければなんでもいいけど♡」



興味なさそうに妃芽ちゃんから視線を逸らすと、みのりが胸ポケットから一枚の写真を取りだした。



「何それ?」


「去年の学祭のときのプリンス!」



見ると、舞台上でマイクを握ったプリンスが何やら熱唱している写真だった。



「…はぁ…」


「あっ著作権なら問題ないから!うちの新聞部が撮ったやつだから!」



高かったんだからー♡と、うっとりと写真を見つめるみのり…。



「…トイレ行ってくるわ」



私はそっとその場を離れた。