『ああ、死にたい。』そう呟く18時37分

まあ、有給もまだないし、文句を言っても無意味なので世の中でいうお盆期間に取りました。



何故なら、お盆期間が最も取得率が高く、仮に私が出勤しても問い合わせ先の営業がいないと仕事が全く進まないからです。


また、お盆期間以外だと仕事が溜まります。
私は穫豎堰さんの時みたいに誰かが休めば代わりに仕事をしなければなりませんが、私が休んでも誰も代わりにはしてくれません。何故なら私の仕事だから。






さて、日々疲労困憊ですが、なんとか経理として一人前になりたくて、簿記の問題集を買い1日2時間〜3時間、時には4時間、毎日ではありませんが頑張りました。




因みにテキストは、2月の研修が終わった後に買って、行き帰りの電車の中で地道に読み進めていました。(家では勉強する気力さえ起きない程の疲労困憊でしたので、やっと。みたいな)





ただ、疲労困憊のせいか分かりませんが、テキストを読んでも読んでも問題集を解いても解いても、頭に入ってきませんでしたね。
問題集を解き始めて1ヶ月。
入社して8ヶ月。


9月になっても入社当時と変わらず、いやむしろ120%から200%ぐらいの勢いで経理部で、経理ではない仕事をこなしていました。



経理の仕事が出来るからと入社したのに、これでは前の職場と同じで、転職した意味が全くありません。




ってことで、転職活動も同時進行で頑張りました。



転職エージェントと話す気力も体力も時間も無かったので、転職サイトを登録しまくりました。



履歴書と職務経歴書も丁寧に何度も書き直して。






仕事と勉強と凄く頑張ってましたね、この頃は。

しかも、仕事ではダメとか常識が無いとかもっとちゃんとしてとか言われまくっていたので、もっともっと頑張らなきゃと言い聞かせていました。
『その時』は、突如としてやってきました。




200%で頑張り続けていた、10月15日13時35分。




お昼を食べる前に給湯室でお湯を沸かしていると、急に胃が痛くなりました。



胃が痛くなるのは、まあ通常といえば通常です。


5月に風邪をひいてからというもの、ずーっと尾をひいていましたからね。




しかし、この日の痛みは違いました。



息が上がり、動機、冷や汗、震え、めまい。

うずくまったまま動けませんでした。





30分ぐらい経ってやっと動けるようになって、とにかく病院に行かなきゃと思って、疫禅士さんに早退する旨を伝えたら。

「え?困るんだけど。仕事どうする気?」

と言われてしまいました。


しかし、今までに無い痛みだったので、頭を下げまくり謝りまくって無事早退出来ました。



しかし病院に行ったのですが、異常は無く。
診断は胃痛で、胃薬を処方されました。



病院を出て携帯を見てみると。



疫禅士さんから、

とりあえず営業から問い合わせがきてるし急ぎの分だけしてあげるから、明日はちゃんとするのよ。

というメールが届いていました。




明日、からも頑張りました。
当然です。
休んだ私が、仕事が出来ない私が、悪いのですから。
簿記の試験はボロボロでした。


まともに勉強出来ませんでしたので。



同じ時期に受けた健康診断は異常無しでした。


問診票にも書いて、口頭でも訴えたのですが、検査の結果は全くの健康体でした。





で、何だかよく分からないのですが、泣きました。




試験が終わってホッとしたのか、
健康体だと言われて嬉しかったのか、



本当に分からないまま、枕を濡らして。










それから一週間後の11月もあと1日で終わる29日。

疫禅士さんと井狭岳さんと世匙訳さんが嬉し楽しく話しながら出勤してきました。




おはようございます。の私の言葉にも無反応で。





目の前に私がいるのに無反応なのも驚きですが、会話の内容の方が驚きでした。



なんと、世匙訳さんが簿記3級の試験を受けて受かったようです。


受かった自体は問題は全くないのですが、その経緯が私にとっては問題・・・というか青天の霹靂でした。


なんと、就業時間内に勉強をしていたそうなのです。
しかも、勉強を希望した括側さんもだそうで。
(括側さんは勉強だけのようです。)



なんでも、経理部の知識の底上げを計ろうと経理部会議で決まったそうで。


問伝さんにおごってもらうの何にしようかな。
(経理部会議の時に約束していたようです。)

正社員に押し上げてあげる。
(評価を経理部で意図的に上げて正社員に推薦するということのようです。)


なんて、話していました。





世匙訳さんに電話を取りつぐなって何度か言われていましたが、これが理由だったのかもしれません。







つまり、私だけが知らなかった、というだけだったのです。
この頃からですね。


ふとした瞬間に涙があふれるようになったのは。


出勤する電車の中で、涙があふれた時は、どうなることかと思いました。

何とか止めて出勤しましたが。




通勤時、仕事中、下手をすると休日にまで、泣きそうになるので大変でした。




ただこの時は、

とにかく涙を止めて出勤しなきゃ、
疫禅士さんに迷惑がかかる、
井狭岳さんに責められる、
世匙訳さんに怒られる、

それしか頭になくて。


泣いてしまう理由を想像することすら出来ませんでした。




そして更に、追い討ち、というか、とどめを刺される出来事が起こりました。
11月30日の金曜日、9時15分。

疫禅士さんと関西圏へ出張に来ていた問伝さんに呼び出されました。


机をはさんで2人の目の前に座ると、いきなり疫禅士さんが。




「前にも言ったけど、今大河内さんがしている仕事は準社員の仕事なのよ。準社員の世匙訳さんの仕事を引き継いでそれが出来たら、経理の仕事もしてもらおうと思ってたのに、引き継ぐどころかミスばかり。ミスがあるから井狭岳さんと世匙訳さんのチェック作業に負担がかかってる。スピードも遅いし、努力も改善も全くない。10ヶ月も経つのに今の仕事も満足に出来ない。だから降格させるしかないの。これ誓約書、ここにサインして。」



と、紙とペンを渡されました。

続けざまに疫禅士さんが。



「降格なんて前代未聞なんだからね。経理部の恥。世匙訳さんはちゃんと出来ているし、簿記の試験だってちゃんと努力して受かっているのに、大河内さんはなんでそんなことすら出来ないの?穫豎堰さんだってちゃんと出来てたのよ。」



そこへ問伝さんが。


「ちゃんと疫禅士さんや井狭岳さん、世匙訳さんの話を聞いて理解しなきゃいけないよ。仕事中だけじゃない、家に帰っても言われたことを思い出して考えなきゃ。」


更に疫禅士さんが。


「そうよ。当たり前のことすら出来ないんだから、考え続けなきゃ。それ、本来なら5万円下がるんだけど、2万円にしてあげてるんだからね。大河内さんがまともに頑張れるように期待を込めているんだからね。」


続けて問伝さんが。


「そうだよ。いい加減に成長しなきゃね。」


最後に疫禅士さんが。


「ってか早く書いてくれる?この時間が無駄だってなんで思えないの?井狭岳さんも世匙訳さんも大河内さんの代わりに今仕事してくれているのよ。そういうところを気付いて直さないと。いつまで経っても私達が楽にならないでしょ。」
サインして、仕事して、電車に乗って、自宅の最寄り駅に着いて、最寄り駅から自宅まで徒歩なので歩いていて。




そういえばすっかり忘れていましたが、残業はですね、ほとんど無くなったんですよ。


どれだけの量があろうと定時帰宅。

稀にどうしても営業から急ぎでと頼まれたものを処理なければならない時があり、30分残業すると何で残業しているか意味が分からないと言われるんです。

残業代はちゃんと出てるんで、残業代の無駄遣いとも言われますね。




私の仕事は残業するほどの価値もないそうで。







そんなんで、自宅へ帰る歩道を歩いていて。

もうすっかり日が落ちるのが早くなって夜道は危ないので、比較的街灯が多い大通りを歩いていて。

車道は片側2車線で、私のいる歩道側の車線の車は私と同じ方向を走っていて。


目線の先にある車道に連なる赤いテールランプは凄く綺麗で。















『ああ、死にたい。』















呟いた言葉が。
人生で初めて出た言葉が。
あまりにも普段の自分とかけ離れすぎていて。
でも、運転手に迷惑はかけれないなって思って。


18時37分、知らず知らずの内に笑みを浮かべていました。


それで、何故か歩いてなかったから、また歩き出して自宅に着きました。
ああ、これ駄目だな。って思って、

私が自分の現状に気付いたのって、

なんとか涙を止められないかと、

方法をインターネットで検索したからなんです。




そしたら出てくる出てくる。

ストレス
パワハラ
HSP
内向的
内向型
適応障害
無気力症候群
バーンアウト症候群
うつ病

ネットの情報なので、医学的な根拠は何もありませんでしたし全てを鵜呑みにも出来ませんでしたが、当てはまりすぎていて、感動しました。

そして世の中に私と同じ方がいるんだ、って安心もしました。








そこから、2月までに転職が決まらなかったら、家族に現状を伝えて転職先が決まってなくても辞めようと決めました。


何故2月までかというと、1月に家族が手術(命には関わりませんが)するので、今まで以上に心配をかけたくは無かったので。


まあ、家族に心配かけたくない。っていうのもよくなかったのですけどね。





そう考えがまとまったので、体調は変わらなかったのですが、精神的にはちょっと落ち着きました。
正月休みは、これまた夏期休暇と同じく普通で、
12月31日〜1月3日。

1日の祝日を抜けば、3日間でした。

これもないよりマシですけどね。




しかも正月休み明け、1月4日。


初詣に連れ出されました。

しかも、ノロノロ30分歩いたあげく、お参りは長く、お屠蘇を飲み、お守りも買い。

朝イチから連れ出されて、帰ってきたのは11時45分。

疫禅士さん、井狭岳さん、世匙訳さんはついでにとお昼に行ってしまったので、私はお昼+電話番+仕事で、15時まで一人でした。



この初詣、会社とかではなく、疫禅士さんの独断です。
会社のは、社長が験担ぎでやってるそうなので、行く必要性は全くないんですよね。

恐らく、というか絶対に正月休み明けで働きたくないから、初詣という理由をつけただけです。

何故なら、終始ダルイやメンドクサイ、戻りたくないを繰り返していましたので。



行くなら行くで、いつもみたいに私を除外すればいいのに、外面が良いので仲良しアピールのようでした。