『ああ、死にたい。』そう呟く18時37分

一応趣味とかは楽しめてはいたんですが、ストレス解消にはなりませんでしたね。



楽しい時間も終わったら、あれやこれややらなくちゃ、仕事溜まっているだろうな、また色々言われるんだろうな、と楽しさよりその後の事ばかり考えてしまって落ち込んで憂鬱になって。


自分で全てなんとかしなければならないし、頼れないから、寝ても覚めても頭の中は仕事のことばかり、溜まっている仕事が気になって落ち着かなくて。



普段ならある程度解消するんですけど、会社に勤めている間は全くと言っていい程解消されず、むしろ積み重なっていきましたね。



休日前とかは、明日から休みだ!という解放感ではなく、今日の分が終わっていない、休み明けはもっと頑張らなくちゃ!と常に緊張が続いている感じになっていたんですよね。
決して寛容になったわけではなく。

会社でストレスを受けすぎて、あの人達よりはマシだ。というのが先にきてしまう為でした。


口数も減りましたね。

会社で否定する為に私に何回も話させるので、プライベートでは話すのも億劫になってしまって。


燃え尽き症候群のような。


仕事が主体になってしまって、まるで無いように振る舞ってしまって、本来感じているであろう自分の感情が分からなくなっていましたね。
私は元々、人と話すのが得意ではありません。


しかし、コミュニケーションは問題無く出来ていました。
(得意な人からするとコミュ障気味かもしれませんが、前職までは仕事上、プライベートも含めて全く問題ありませんでした。)



しかししかし。


この会社に勤めてからというもの、会話が成り立ちませんでした。


私の言動は全否定なので、そりゃ成り立ちませんよね。



話しかける時も、話しかけようとすることに詰まり。


やっと一言話しかけられたと思ったら急かされるので、早く話そうとして詰まり。


でも全否定で、何回も聞き直しても全否定で、回数を重ねるごとに、掠れて、詰まり。



最後には声が出にくいっていうよりも、言葉が浮かばなくなっていましたね。
(その間にも、何が言いたいのか分からない、伝わらない、理解出来るように話すことさえできないの。などと否定は続きます。)






因みに、喉の違和感、喉がつかえる症状は、咽喉頭異常感症という病名があるようで、原因不明(他の病気と関連性が無い)の場合、ストレス発散が苦手で我慢強い人一倍の頑張り屋、女性に多いそうです。


自律神経のバランスが崩れて食道付近の筋肉が過剰に収縮して締め付けられてしまうのが、原因だそうです。
元々服装にはさほどこだわりはありません。


電車通勤になるのをキッカケに少しずつ揃えていっていたのですが、社会人になるまではオフィスカジュアルも知らなかった無頓着者でした。



そんな私なので、シンプルイズベストといいますか。


けれど、体調や気温などを考慮して服装を選んでいたのですが。



いつからか、どうでもよくなりました。


不衛生というわけではないんですが、決まったコーデを着回して。


無頓着だった私でも、一応着回すタイミングとかは気にしていたんですよ。
(誰も気にしないとは思いますがね。)


でも、着れたらいいか。ってな感じで。


自分の服装に対して他人の目なんて、どうでもよくなっていましたね。
20歳を越えたら下降するのは理解しているので、白髪があること自体はいいんですけど。


あからさまに本数が増えていたみたいです。


みたい、というのは、家族が発見したので、自分では確認していないからです。
(確認が難しい後ろ側だったので。)

あぁ〜あるんだ、そうなんだ。ってな感想しかなく、確認するも億劫だったんですけどね。




退職してからは言われなくなったので、ストレスと食欲不振が関係しているんでしょうね。
あの人達にとって都合が良い事柄をそう表現しているに過ぎないんですよね。


そういう認識だから、自分達と違うことをしている人を攻撃したがるんでしょうね。

自分達の価値観が全てだから、違う価値観は否定されているような気がするんでしょうか。


何年も会社で成長し活躍し続けていると豪語するあの人達は、社外では全く通用しないと私は考えます。


何故なら。



世の中の価値観の平均値

あの人達の価値観の平均値


国や時代が違うだけでかなり変わってくるのに、いつまで経っても自分達基準。

上場するのに、改善も整備も疎かにして。

なのに、周りだけが悪いと。


あの人達のように強要するのは駄目だと思いますが、お互いに歩みよらなければならないとは思いますね。


そもそも、十人十色な人間を、全部一緒くたにしてしまうことに無理があるんですよね。


絶対に守らなければならない法律だって改正されるのに。







因みに、私にだって自分基準というのは存在しますよ。

結構明確に。


でも、それを突き通すことは家族にワガママをいう時ぐらいですかね。
(反対に家族のワガママも聞いて、お互い様になりますけどね。)




これらの言葉を他人に投げかけるのは発想や言葉のボキャブラリーが足りない人に多いんだそうですよ。


反面教師にして気を付けなければ。
これはかなり顕著に表れましたね。



そもそも慎重に進めるので、あまりミスをしないんです。むしろミスを指導する側でした。


前職までももちろん最初はミスもありましたが、徐々に減っていくものです。


ただ、この会社にいる間は、どんどん、日に日に、増えていく一方でしたね。


ただ、ただ。


あの人達が私の話を否定せず会話をしてくれていれば、無くせるミスばかりなんですよね。



話しかけると、
簡潔に。と言われるんですけど、
簡潔に話そうとすると結論から話しますよね。それから状況や経緯の説明をする。のが、
簡潔だと思うのですが、
結論を否定され、
その後に人格否定が始まるので、
物事の背景を理解されないままになり、
結果何も分からないまま進め、
再び聞こうものなら、
否定しかされないので、
あらゆる状況を想定して導き出すので、
時間がかかり、
そのくせ正解が毎回変わるので、
仕事の能率が低下します。



分からないものに集中力が割かれてしまい、他のことが疎かになり、ケアレスミスが増えてしまう。

という、悪循環が繰り返されていました。
あの人達からの否定ばかり。


何をしても怒鳴られるから活力を吸われ、
言われるままにしようとし、
思考が止まり、考える力を削がれ、
ミスをしてまた怒鳴られる。


あの人達の望むように出来ない自分は、
どれだけ出来ない人間なんだと、

自信が喪失し絶望感といいますか、
なんで出来ないんだろうと、

悪循環に陥って、
自問自答する毎日でした。


頑張っても、
努力しても、
改善しても、
成長しても、


頑張っていない、
努力していない、
改善していない、
成長していない、


その程度も出来ない、
気付きが足りない、
至らないところばかり目をつけられて、


四六時中仕事の事を考えなければならず、
今まで言われた言葉たちで頭の中がいっぱいで、
私が私で許されず、
まともに頑張れるようにと降格させられ、




我慢して我慢して、
辛いけど食らいついて、
強い責任感を大発揮して、
真面目にやろうと、
全て一人で、
背負い込んで、
追い込んで、
もう少し、
もう少ししたら、
この状況が良くなるんじゃないかと、
少しでも認めてもらえるんじゃないかと、
仕事とはこういうもので慣れないと他の会社に行っても大変なのは一緒なんだからと、


思ったら大間違いでした。


何をしても、あの人達のようにはなれず、評価は変わらず。

好転なんてするはずもなく、むしろ下がる一方で。


もっと精神的に肉体的にも楽に働ける所は必ずあるのに、
雇用側にとっては利益優先の贔屓、
あの人達にとっては都合がいいだけの美徳。


向上心から自分で正解の無い課題を作り上げ、あの人達の正解を探して自分を見失って。



ただただ悪影響なだけでした。
よくあったのは、寝ている時に悲しくもないのに涙が流れてくることですね。


寝ている時は家なのでまだマシなのですが、外で泣きそうになるのは困りました。



そして、通勤で電車に乗っている時に、涙が出てきたのには、プチパニックになりかけました。


たまたま座っていたので、誤魔化せたはずです。
(満員電車で座れたことは数えるしかないので、本当に偶然でした。)



目が開きにくくなるのも、細部まで緊張状態で書類と入力したものを見比べていたので、目を酷使し過ぎていたんでしょうね。