そのことに気付くや私は肩で大きく息をして高ぶる気持ちを抑えた。そして無理にでも好々爺的笑みを浮かべては専ら彼女の言辞を待つ風をする。貴様の身の上などどうでもいいと自らに毒づきつつである。もとよりそんな私の促しなど待つまでもなく、自らの身に起きた不思議をこそ彼女は一気に述べると思ったがそうではなかった。「まあ、車夫を?そのお年で。そして今は宿無しなのですか?この冬空に…それではさぞやお困りでしょう」と今の私の窮状をこそまず気づかってくれたのである。金の切れ目が何とやらで、身代の傾いた者や、まして私のような‘プータロー’など普通は誰も相手にしない。はしなくも袖する縁でかく会話するに至った私への、形ばかりの思いやりとも見えたが、一葉の語調にそれはなかった。男女、年の差から見てこんな折りには(と云っても普通‘こんな折り’などあるだろうか?)取るべき自らの節度というものがあるだろうに、堪え性なく私は思わず感極まってしまった。車上生活に陥って以来すっかり人間不信、社会不信にはまっていた私にとってこれは予想外で、手負いの獣のごとく端にも棒にも掛からない、所謂‘どうしようもない奴’となっていたに違いない自らの様とも思えなかった。久しく人の温みを忘れていた、いや拒否していた私の、思いも寄らぬ人恋しさへの回帰というものである。しかしもし此処で涙ぐみなどしたら私は自分で自分を殺しそうだ…。
 必死になって自分を立て直し、誤魔化し笑いを浮かべては「いやあ、ははは。宿無しと云っても何とか伝はあるのです。どうも要らぬことを云ってしまって申し訳ない。そんなことよりあなたの事です」と私は彼女の今の状況に話を振った。今を明治と偽ってまで彼女との奇跡の共有を欲した私の言とも思われなかったが、しかしそれ程に私は自分を崩されるのが嫌だったのである。偏屈な自我の殻、他者否定の世界観を貫くことがこの困難を生き抜く上での糧となっていたのかも知れない。