壮々たる略歴は広告文に載っていたので知ってはいたが支那・インド・アメリカでの深山修業云々のことは知らなかったし、何よりその陳述には「これすべて真実なり」の重みがあった。一葉は改めて目を丸くせざるを得なかった。自分などには悉皆想像もつかないような遍歴だったからだ。しかしそれならばなぜ自分のような取るに足りない、財産もない者に、頼みもしなかった算命占星などをしてくれたのだろう。おもはゆい次第でしかない「あなたの本来の力、星は、そんな卑小なものに存するのではない」などと言明し、持ち上げてもくれたのだろうか。一葉はそれを聞きたかった。しかし聞くまでもなく心中の問いが聞こえたかのごとく「ごもっともです。わたしはその人の財力の有る無しにかかわらず、世の中で大きなことを為すであろう人物に対しては、欲得をかえりみずに援助することを心がけているのです。それは自分の使命であるとも心得ています」と義孝は問わず語りをしてくれたのだった。『大きなことを為す?このわたしが…?』しかし一葉には合点が行かない。自分の文名などいまだあってなきがごとしである。それとも将来に名を残すとでも云うのだろうか、納得の行かぬことだったが聞いて悪い気はしない。微妙に自尊心をくすぐられながらでも「ではそうおっしゃっていただけるこのわたしに、何某かのお知恵か、あるいはご助力でもいただけるのでしょうか?」と直截的にではなく色々と言葉を遠まわしにして聞いてみた。すると義孝も同じように色々と言葉を遠まわしにしながら一葉の非凡なることを云うのである。はたして活字になったいまだ数少ない自分の著作でも読んでくれた上でわたしを褒めるのか、そうではないのか判然としない。しかしここぞ人生の渡し場とばかり倦むことなくその言を聞いていると、どうやらこの自分の高潔なる様を、高貴なる人品うんぬんのことを云っているのだと気がつくにいたる。はてしかしこれもやはり一葉には合点が行かない。卑しき者とも思わぬが高貴か高潔かと問われれば然りなどとみずからに諾せるわけもない。とは云え義孝はどうもそこに引かれ、女としての魅力を感じているようなのだ。やがて話の成り行き上と云うか、欲が嵩じてと云うか、かかる申し出を義孝は為したのである。