「まだ年端も行かぬ若い娘さんのこと、いまだ気が立っておりましょうから、すこしだけでも休ませてあげてください」と引きさがらない。「夏子」と叱責し「まあまあ、すみませんね。仔細は存じませんが娘が勝手をしたようで」笑顔でとりつくろう母たきに「お母さんは口を出さないで」と一葉。「元手とおっしゃいますが日頃お島さんからうかがってますよ。こちらへは給金約束の奉公で来たと。元手のあろうはずがありますまい」云い返しながらも身体にふるえが走るのを止められない。長年水商売になじんだ長吉の睨視には迫力がある。しかしここで引き下がるわけには行かない境地がすでに一葉にはあった。あわれなお島を救わねばならないとかの侠気などとは違う、自分に課した、世の不条理への「抗い」を体現したい、いやせねばならないという決定があった。三日月形の形のいい両の眉を寄せては必死にこらえる。こいつは仕方がねえとばかり長吉が舌打ちをひとつして、いささかでも啖呵を切ろうとした刹那表から声がかかった。「こんばんは。一葉さんはご在宅ですか」見れば平田禿木と馬場胡蝶の2人が意気を合わせるかのように立っている。おそらく最前に来ていてすでにこの場の次第を飲み込んで居、示し合わせて一葉に加勢しようとする風がありありだ。救われたかのように一葉が「あら、平田さんに胡蝶さん、ようこそお越しくださいました」と嬉々として応じる。しかし長吉が「おっと待ちねえ。こっちの話が先だ。お2人さん、すまねえがちょっと待ってくんな。いま取り込み中だ」と2人を制して一葉に居直る。