情動とも何とも云えぬものが胸の辺りから伝わって来て、それが私の記憶の中から今に的確なものを伝えて来たのだった。下谷?龍泉寺町?…閃くものがあった。私は女の顔を確かめるべく身を近づけた。誤解して女が怯むのに「いや、お顔を確かめようと思いまして…もしや知り合いかと」と言いわけしつつかまわずにその顔にまじまじと眺め入った。果せるかなある著名人にそっくりで、そして私は以前からその人物に痛く心酔していたのだった。ただし、である。その人物とは断じて今に存在する人物ではない。しかし矢も楯もたまらず今度は私の方から珍妙なる質問を投げかけてみた。「あの、変なことを聞くようですが…今は何年ですか?その、別に…ちょっと確かめたくて」という問い掛けに「ほほほ、私の気が触れていると…。よござんす。さよう、開化の暦で云えば1894年、元号で云えば慶応に続く明示27年の2月かと存じますが、違っておりましょうか。ほほほ」と淀みなく答えてみせる。こいつはおどろいた!今は2005年で、明治から数えて四帝目の平成の御世だ。一体何事が起きたのだろうか。最近では珍しくもないタイムワープ物の、SF映画のごとき事態が出来しているのだろうか。まったくにわかには信じられなかったが、しかし私はあえてこの奇跡の中に没入すべく、急ぎ自らをしつらえたのである。すなわち耐え難い車上生活の果てにとうとう私の頭が狂ってしまったのか、あるいは仮にこれが事実として、では何故、私ごとき悉皆取るに足らぬ者の前にかくもの著名人が現れたのか、などという疑問や付いて離れぬインフェリオリティの呪縛などすべて払い除けて、とにかく私は彼の人との共有を選んだのだ。