無論それは平田禿木や馬場孤蝶ら青年文士たちが初めて来訪した時に見せた高揚感とも似ていたが、一方でどこか違うような気もした。『横浜で?…大森で?』わけのわからない錯綜をおぼえたがしかしそれは別事である。とにかくその時以来そのようなお島の言動にいじらしさを覚え、且つ健気とも思っていたのだった。みずからが書いた小説「うもれ木」のお蝶のようだとも。でき得るなら更正への手助けでもしてあげたかったがこの身代では「覚束な」でしかなかった。しかるに物事は待たない、人は待てないのであり、換言すれば一葉の人生そのものが容赦なく、いまこの時を自らに迫つているのだった。
 どうしようか、行って加勢しようかなどとも思うが身がすくむ。しかしええい、この意気地なしめとばかり意を決して歩を進めようとした刹那、こんなことには慣れっこといった風情でやり手婆のお蔦が間に入った。「よしなよ、この子はそっちの方はやらないんだよ。ほらほら近所の人(すなわち一葉)がきつい目で見てるじゃないか」と男をいなし、続けて店内の酌婦らに目配せをしたようだ。「ほら~さん、毛唐なんかにかまってないで戻りなよ。あたしがたっぷり相手をしてやるからさ」「お、俺はこの娘(こ)を…」かまわずに女が男の手を引き店内に引っ張り込んだ。まだ気がたかぶったままのお島にお蔦が「おまえもさ、いつまで生娘してるつもりなんだえ。客に手を出したりしてさ。どこを触ったなんて声を立てるんじゃないよ。そのうち旦那から暇出されるよ。出て行けるもんならどこへでも行っちまっていいんだよ。ったく、いくらでも上客引けるだろうにさ…」と詰ってはしかし抜かりなく笑顔をつくり一葉に一礼して中へと入って行った。