始めて東京へ行けると、また近所のイジメの悪童たちから逃れられると、お島は当初ひどく喜んだものだった。ところが着いてみれば場所は本郷台地の崖下に開けた陰湿な新開地で、崖上の砲兵工廠で働く職工たちなどを売春も含めて相手にする、虚飾な看板で飾られた、安っぽい銘酒屋の立ち並ぶ一画でしかなかった。
「しまった、これは神奈川の飯盛り屋だ…」とお春はすぐに直感したがいまさら横浜には帰れない。店の奥にあてがわれた三畳一間の部屋で、この先のお島の不憫を思ってはこれを抱きしめ、自分の迂闊さ情けなさを何度も謝っては、ただ涙するしかなかったのだった。
 さても…これ以降の、お春の葬儀にいたるまでの経緯を記すことは、さすがに筆者のよく能うるところではない…。

              これが私の人生か…