尋常小学校まではなんとかお島を通わせたものの、その上の高等小学校など思うべくもない。いつの間にかお島は12才になっていた。花も恥じらう最良の時期をその大柄な身体つきにそぐわぬ、いかにも引っ込み思案な娘となっていた。そこにいたる在り様は平成の現在まで綿々と続くこの国のイジメ、すなわち少しでも毛色の違う者への排斥の実態を見れば自ずから明らかであったろう。しかしそれでもお島はかつて8、9才頃まで母に連れられて通ったお茶場を懐かしんでは、母に代わってこんどは自分がそこで働きたいと、おっかさんを楽にしてあげたいと、お春を泣かせるようなことを云うのだった。しかし今の自分の有り様を見ればお春はにべもない。決して肯じ得ないことでしかなかった。とは云えこのままでは2人そろって此処三吉町(当時の日雇い労務者の街)の下宿先からさえも放り出されかねない。この衰えた身体でも働けるところはないものかと伝手を尋ねて町内を散策する折り、偶然遊女時代のかつての雇い主と邂逅した。聞けば今は東京府の下町で銘酒屋を経営しているのだと云う。お春が娘ともども身の振り方に困っていることを有体に云うと、男は娘の年頃を聞いた上で「そいつはちょうどいい。店の下働きでよかったらいつでも来ねえ。世話をするから」といともた易く請け合う。銘酒屋が売春を兼ねた所であるということも知らずに、また芸妓時代に身受け時の借金返済だの衣装代だの、果ては法定以上の鑑札代などを請求しては、ほとんどろくな給料を払わなかった男のかつての所業を思えば、痛く逡巡しないでもなかったがお春には是非もなかった。家財道具一切を処分しては風呂敷ひとつの荷に変えて、お島と手に手を取って東京府は丸山福山町へと男を尋ねて行ったのだった。