そのようなフェミニズムや人権などということを知るべくも、思うべくもないお春は、しかしそれゆえに人から受ける恩義の有り難味というものを人一倍知る女だった。両手をひろげてにこやかに迎えてくれるバラ夫人の前で深々と頭をさげる。自国の男の非道をもよく理解してくれ、お島のみならず自分をも慈しんでくれる、神様のような方。その夫人の前で突然、なんの脈路もなく、一瞬間だけいまと同じような、未来における成長したお島の手を取って抱いてくれるバラ夫人の姿が目に浮かぶ。さらにはいまだ見ぬ、いったい誰なのだろう、形のいい三日月眉をした目元すずしい女性の姿も目に浮かんだ。わけのわからぬしかし心地よい幻影に癒されてお春は、お島を託したあと、いま一度夫人にお辞儀をしてから熱湯たぎるお茶場へと戻って行った。
 さてそのような何の知識も技術も持たなかったお春は、4月から10月までを再生茶女工として(再生茶業は季節業だった)、それ以外を船底の錆を落とす俗に云うカンカン虫などをして日雇いの月日を過すこととなる。しかし聞きしにまさる再生茶業の劣悪な環境がたたり(横浜、神戸など再生茶工場でコレラがたびたび発生したとの史実あり)身体に異変を覚えたお春は、ついにこのような肉体労働の生活をあきらめざるを得なくなる。白眼視されたかつての自分を払拭しようと、また娘のお島を同じ目に遭わせたくないという一心でがんばって来たのだが、もはやがんばり切れなくなってしまったのだ。コレラか、何なのか、とにかく急激に体力を失墜させたお春は、病床に着くことはなかったがその後の短からぬ期間を、貯めこんだお金ばかりを頼りに、無為徒食に過ごさざるを得ないこととなる。