「泣けばこそかかる清(すが)しき思ひすれ士(をのこ)の胸はありがたきかな」。それを聞いていやこそばゆいこと、そうでないこと。嬉しさ余ってそれこそ本当に清水の舞台から飛び降りてしまいたい気持ちにもなる。これ以上云っても仕方ないから云わないが、私にとってこれ以上はないシチュエーションでの、これ以上はない果報なのである。一葉がこの私を、世になさけなさすぎる私を、‘男’として認めてくれたのだった。この嬉しさをお察しいただきたい…。
 私の喜ぶ様子をともに喜んでくれるような表情をして一葉は「まあ、気丈なお方ですこと。まさしく士(おのこ)を見ます、あなたに、はい。ほほほ。これではあなたのことを判ることにはなりませんが、しかしあるいは一番わかったのやも知れません。あなたの身分や地位がどういうお方であれ、いまのお歌に一番あなたが出ているのでしょう。‘堪能’致しました」と云ってくれた。これに対して何をか云わむ、また云うべしや。先程もそうだが思い余ってただ一言を返すばかりである。「いや、ありがとうございました。師匠に褒めていただいて、こんなに嬉しいことはありません」と。
 この親和力の至りを見届けたかのように私の胸に帰還を伝え来るものがあった。もちろん彼女樋口一葉の帰還をである。何と云うか、伸びきったゴムひもの限界を伝えるような、それが元の適宜な場所に戻るのを促すような感覚で、自然からの促しのような感覚である。時空を越えてまで無理をして伸びてくれた一葉に、またそれを為さしめてくれた存在に、感謝の思いいっぱいに私はそれに従った。一葉を彼女の本来の世界にエスコートしなければならない。私は自然のうちに彼女の手を取ってこう云った。「ところで、さあ、もう帰りましょう、本郷へ。お母様と邦子さんが待っている、あなたの良きお友だちたちが皆待っている世界へ。私がご案内します」と促したのだった。