とにかくそんなことを私が気に病んでいるうちにも、彼女は最前の笑みをたもったまま、なんとこう申し出てくれた。「もしそうでしたら(私が文芸を、和歌や小説をするならばということだ)、いかがですか?さきほどのお礼代わりに相聞でも致したいのですが。自分のことを胸の奥まで判ってもらえることほど嬉しいことはありません。ほんの少しでもお返しして差し上げたい。しかしとは云っても 若輩の私の身ではあなたのことを聞く術もありません。もし和歌でもお詠みいただけるなら、あなたのことを少しでもわかってあげられる気がするのです。御存知かどうか…僭越ながら私も歌塾で師範代をしている身ですので…さあ、何とでござんす?ほほほ」と。名作「たけくらべ」の中の、みどりが信如へ心中で迫る折りの名決めゼリフまで使っていただいたりして。まあ、それこそ本当に‘何と’いうことを思いつく人なのだろう。御存知も何も、小説はもとより、私が和歌を始めたのは一にも二にも彼女、一葉の和歌を見たからなのだ。今でも相当数の彼女の和歌を諳んじている。まさに師匠と思うその人と相聞歌を為すなど…それこそ至福の至りなのだが、しかし「はたやはた」でもある。名人とド素人が将棋を指すようなものだからだ。痛し痒しなのだが、しかしここはもう清水の舞台からと思ってやるほかはない。意を決めて「いや、光栄です。私はいままであなたの和歌を手本にしてやって来た者ですから…その師匠に私こそ大僭越なのですが…」と云って暫し黙考し、どうにか一首をひねり出した。彼女が余所衣を脱いでくれたことに感謝しつつ、その誘いとなってくれたものをこそ、私はこう詠んだのだ。「士(をのこ)やも我(わが)泣きごとを云ひもぞするもばら受けなむ尚泣けよかし、君」と。一葉はその拙歌をはっきりと聞き取り、やおらそれを声に出しては繰り返し、続いてこう受けてくれた。