私の顔色がくもり木立の向こうを気にするのを見て一葉もそちらを見やった。「これはしたり。わたくしのことばかり申しあげてしまい、あなたのことをお聞きするのを失念していました。都の花を読まれたとか…これは私の勘なのですが、ひょっとしてあなたも文芸か何かをなさるのではありませんか?やはり小説か、あるいは和歌?…か」と、私の心に感応してそこを探るように、私の顔をまじまじと見ながら、また小首を愛らしくかしげながらそう聞いてくれるのだった。悪ガキどもを気にする私の仕草を誤解してのことだったがしかしこの質問には驚かされた。そもそも出現自体が極限の驚きなのだが、なぜそんなことまで判るのか、こちらの方もびっくり以外のなにものでもない。なぜなら確かに私も一葉が云い当てた通り文芸を致す身だったからである。それも御指摘の通り小説と和歌を、さらには詩とシナリオまで手を広げていた。しかしとは云ってもいずれも1人でシコシコ書いているだけの、プロでもなんでもない身だった。にも拘わらずこの私の書くもの、その内容が件の偏執狂にはそもそもお気に召さないらしい。私は世の格差、富や権力の集中と、それも勉めてその横暴を描くのに意を使っていたのである。米国の9・11やロシアに於けるモスクワのアパートの、それぞれ自国政府による爆破や、ジャーナリストのマリア・ポリスカヤさんの殺害に憤慨し、シリアでアサドの親衛隊によって殺された日本のフリージャーナリスト、山本美加さんなどの存在が哀れでならなかった。もちろん抑々私に於いてはこの身で差別や生活妨害を味わい尽くし、すればその迫害の基となるものへの追及をおさおさ怠ることはなかったのだ。蓋しこの奇跡の邂逅もひょっとしてそれが媒介…?とも思うがしかしそれは確かめようもない。