アパートに住もうが宿暮しをしようが、(御存知だろうか?)霊視というやっかいなものを使って何処にでも追い掛けて来、フレディをやる。使い魔と云うほかはないこの悪の霊視女や悪ガキどもの前でプライバシーなど一つもなかった。想念にひっ付くので此方(こちら)の思念さえもすべて読まれてしまう。眠れなければまともに仕事は出来ないし、身も心も自棄になって、遂にはこのような車上生活者にまで零落れてしまった次第。この「霊視」というやつはヤクザに限らず遍く世にあって(謂わば公然のタブー化している)、これに馴染んだ世人は私の事と次第を笑うばかりである。会ったこともない実に少なからぬ連中が「プータロー」と罵っては蔑み、おもしろがる始末。現実の世は斯く全くオカルトじみている。とにかく、1円にもならない事に長年月と大金を使う親分何某が居て(件の霊視女2人を含む数名の手下どもを、彼は私への生活妨害に掛かり切りとし、その生活費を工面していた。まともな仕事にも就かず、女を与えられて、ただ遊び暮らせればいいとするこの手下どもも沙汰の限りだが、この親分某こそ、正しく偏執狂以外の何者でもない気違い沙汰というもので、従って私は堪ったものではなかった)、俺の意向に従わねば生活すらさせぬと云っている訳だが、全体それは格差のなれの果て、その弊害とも言うべき現象で、猫がネズミを弄ぶような、一面に於いてそういう馬鹿げた世になってしまっているのだ。例えば1パーセントのイルミナティと99パーセントの庶民、勝ち組と負け組、官と民、あるいは正社員と非正規社員など、その格差は其其のレベルで進行するばかりである。建前は知らず、各々の間に於ける差別と横暴、且つ偏見は目を覆うほどになっている(俗に云うパワハラ化、体育化している)。