しかし一葉は承服しない。「ではやはりあなたもお蝶のような女性を認めるのですね?兄様のために汚れ、そして死んで行ったお媟は立派であると、そう認めるのですね?」「そうは云ってません」「しかしそうなるではありませんか。もしお媟が兄様の為でなく自らの為に身体を売ったとすれば、あなたはどうお思いですか。単に軽蔑の対象とするのでしょうか?自らの為に身体を売る私と、お媟は全く別物ですか。官能の毒などとお為ごかしは止して下さい。毒など百も承知なのです。私は女をこうと決めつけ、人間をこうと決めつけるものに抗いたいのです。世に抗いたい。不貞をなさねばそれができぬとすれば私は敢てそうします!私の立場とはそういうことです」と言い放って彼女はベンチから立ち上がった。まるで私がその不遜な世の中の代表ででもあるかのように厳しい目付きで私を睨みつける。今に至る23年間(もっともワープの間の110年間は省いてほしい)の彼女の人生をすべてぶつけて来るような、実に強い気迫だった。
なるほどそういうことだったのか、いきなり「身を売る」うんぬんをなぜ云い出したのかまったくわからなかったが、これが答えを渋る(いや、そもそも答えられない)私への解答で、且つ挑戦状でもあったのだった。それに打たれて暫し言葉を失いながらも、私はいまさらのように車上生活者にまで落ちぶれてしまった私自身への世の不条理と、それに対する強い怒り、強い鬱屈を改めて思い出していた。そしてこれもようやくにしてと云うべきだろうか、この奇跡の邂逅のゆえを、彼女との仲立ちになってくれたものへの感触をうっすらと捉え始めていた。さらには聖女云々などという、彼女の小説「わかれ道」に於ける吉三の如き、彼女への押付像を悔いていた。それでは私も世の男どもと同じになってしまうではないか。日本女性斯くあるべしという押付魔共と。それとあと二事に思いを致す。