「おい、夕映。」
 「………えっ。」


 依央がいる場所とは反対側の腕を強く引かれて、夕映は体がよろけてしまった。
 転んでしまうと思いながらも、直前に聞こえた声に、夕映は意識をとられていた。

 ずっと聞きたかった声。
 その声で名前を呼ばれるのが、堪らなく嬉しくて、それだけでドキドキしてしまう。
 そんな特別な彼の声だった。


 トンッと優しく支えてくれた肩や腕から、温かい体温が感じられて、それはとても懐かしい感触だった。安心出来るのに、少し恥ずかしい気持ちになる。そんな懐かしく、ずっと待っていた感覚だ。



 「斎………。」
 「久しぶりだな、夕映。……話すのは、だけどな。」
 「え……?」
 「ますます綺麗になったな。」

 
 そう言って、ほっそりとした指でなぞるように、夕映の頬に触れてニヤリと笑う彼を間近で見て、依央とは違ったゾクリとした体が震える感覚に襲われた。けれど、それは恐怖ではなかった。
 次を期待してしまっている、恋人の頃に感じた体が疼いてしまう感覚だった。


 「い、斎………。」


 自分の顔が真っ赤になり、目が潤んで、声が震えているのが夕映自身でもわかった。
 きっと、彼は私が感じている気持ちがわかってしまっているのだろうと、夕映は企むような微笑みを浮かべる彼を見ながら思った。


 「依央、こいつ借りるぞ。」
 「………わかりました。」


 先輩である斎にそう言われると、反論が出来ないのか、依央は悔しそうにしながら伸ばした腕を戻して、夕映を見つめていた。


 他の部員から、「さすが九条先輩!」や「一人占めはずるいですよー。」などとヤジを飛ばされてしまったけれど、斎が突拍子もなくて、自分の思ったことを突き通す事を知っている人たちばかりなので、斎の後を追う人はいなかった。


 「カウンターで話すぞ。」
 「………うん。」


 斎に手を引かれながら、彼の背中を見つめて歩く。

 彼とこんなにも近い距離で話せるなんて思ってもいなかった。
 キラキラと光る綺麗な髪と、スーツを着た男らしい背中を見ながら、夕映は少しだけ泣きそうになってしまった。