ピピピっと体温計から電子音が聞こえるや否や、脇に挟んでいたそれは颯くんによってぱっと取り上げられてしまった。



颯くんが表示を確認して、呆れたような声を出す。



「どうしてこれで大丈夫だなんて言えるのか…。」



なんだか分からないけど、急にパソコンの画面に向かって何やら打ち込み始める颯くん。



「梨央、聴診した後は、血液検査な。」



「えっ、やだ!」



考えるより先に言葉が口から出る。



「やだじゃない。無理したのは梨央だろ。嫌ならもっと体調管理に気を使うべきだな。」



もう、嫌だ、こんな身体。



これからの予定を聞かされ、沈んでいた気分がさらに沈んでいく。

「落ち込んでたって逃げらんないんだから、諦めて言う通りにするのが元気になる一番の近道だと思うけど?痛いのちょっとだけだから。頑張れない?」



段々と颯くんの言葉が優しくなる。



優しくなる時に限って何かを頑張らないといけない時なのだ。



「とりあえず聴診させて。大丈夫、これは痛くないから。」



そんなこと知ってるし、痛くなければいいというものでもない。



「はぁ、ほんと、やだ。」



「はいはい、梨央が診察苦手なのは分かってるよ。だから俺が主治医やってるんでしょ。」



そう言いつつ、聴診器を取り出す颯くん。



「俺のこと怖い?」



耳に聴診器をセットしながらそんなことを聞いてくる。



「…怖く、ない。」



「じゃあ、大丈夫。俺に任せて目瞑って深呼吸してな。」

そりゃあ、颯くん自体は怖くない。



颯くんは私が小さいときから懐いていた隣の家に住むお兄ちゃんなのだ。



病院嫌いなのに難病にかかってしまった私を見兼ねて医者になったような、本来は優しい人である。



言われた通りにそっと目を閉じ、覚悟を決めて颯くんの診察を受け入れる。



「いい子、そのまま深呼吸してて。」



聴診器が素肌にダイレクトに触れて、ビクッと身体が反応する。



「ちょっとだけ頑張れ。すぐ終わる。」



颯くんに励まされながら着々と診察が進んでいった。

「うーん、、」



「梨央?何やってんの?」



いつものように結愛と教室でお弁当を食べ終え、食後のお薬を取り出したところで、私は机の上のそれとにらめっこを始めた。



そもそも、私がすぐ熱を出すのはこいつを飲むせいじゃないのか?



そんな疑問が頭の中を支配して、なかなか飲むという行為に至らない。



颯くんもいつも言ってるしね。



梨央は感染しやすいんだからーーって。



じゃあ、これ、飲まなければいいんじゃない?



でもなぁ、これは大事なお薬みたいだし、飲まないとまた怒られるのかな?



「うーん。」



そんな考えを巡らせていると、すべてを一刀するような結愛の声が頭上から降り注いできた。



「早く飲みなよ。」

「ねぇ、結愛、これって飲まないとダメなのかな?」



「は?何言ってんの?梨央頭おかしくなっちゃった?」



前置きなしに話を振ったもんだから、頭おかしい呼ばわりだ。



「いや、ものすごく真面目に言ってる。」



「必要ない薬を颯くん先生が処方しないでしょ。」



最もな意見だ。



ちなみに結愛が颯くんを颯くん先生と呼ぶのは、私が幼なじみのお兄ちゃんのことを颯くんと呼ぶせいである。



「でもさ、私これのせいで免疫力落ちてるんだよ?これのせいでやりたいことなーんもできないじゃん。」



「だからって、勝手にやめるのはダメ。ぜっったい怒られるよ。もうすぐ定期検診でしょ?そこまでは飲み続けなよ!」



はい、正論。



でもそうか!今度颯くんに聞いてみればいいんだ。

定期検診の日。



向かうのは近くの病院ではなく、大学病院の方だ。



なるべく病院に行きたくない私も、定期検診だけはサボらない。



颯くんに何言われるか分からないっていうのもあるけど、生命線のお薬が切れることが最大の理由だ。



お薬があればちょっとくらいの発熱なら飲めば下がる。



だからここをサボる訳にはいかないのである。



受付してすぐ訪れる大っ嫌いな採血も、顔見知りの腕の立つイケメンお兄さんのお陰で、なんとか耐えられる。



「りっちゃん!一ヶ月ぶりだね。今日も頑張ろうねっ。」



かなりの癒し系だ。

検査を乗り越え、なんとか颯くんの診察室の前まで漕ぎ着けた。



あとは、颯くんに会ってお薬をGETするだけ。



しばらく待つと、前のスクリーンに私の受付番号が表示され、中に入るよう促される。



もう採血も終わってるし、痛いことはないはずなのに、なぜだか緊張する自分を奮い立たせて診察室へと進んだ。



遠慮がちに扉を開くと、いつもの颯くんの笑顔が見えてほっと気が緩む。



「梨央、いらっしゃい。今月も検査頑張れて偉かったな!」



ちゃんと検査を受けると、ちゃんと褒めてくれる颯くんが大好きだ。



この間は怖かったけど、普段の颯くんは割と優しいのである。

今日は私も後ろめたいことはないし、颯くんも怒ってないから安心して颯くんに近づくことが出来る。



怒っていなければ白衣を着てはいても、昔から知る優しい颯くんだと頭が認識してしまい、ついつい甘えたことが口からするっと出てしまう。



「ねぇ颯くん、毎回血液検査するのやめようよー。」



近づいていって、白衣をちょっと引っ張りながらお願いする。



「なんで?検査大事なんだよ?梨央頑張るってこの前言ってたじゃん。」



「そう、なんだけどぉ…」



実はこの間も検査やりたくないと言って、颯くんを困らせたのだ。



その結果、言いくるめられて頑張ると言ってしまった訳で…



「これは譲れないよ。検査しないと俺だって梨央の体調把握できない。医者は魔法使いじゃないからね。」



ピシャッと言い切られて心の中の戦意が一瞬にして萎んでいく。



……じゃあ、



「じゃあ、あのお薬やめちゃダメ?」


「あのお薬って、免疫抑制剤のこと?」



颯くんが怪訝な顔をする。



「…うん。だってあれのせいですぐ体調悪くなるって、梨央は人より気を付けないといけないって、颯くん言ってたから、、」



思いきって伝えてみる。頭ごなしに否定はされなかったけど、颯くんの顔色からこの話が上手く進みそうではない気配が漂う。



「それで飲まなければいいと思ったのか。だけど、大事なお薬だからねって話もしたと思うんだけどな。忘れちゃった?」



「覚えてる…けど、私だってみんなと同じように行動しても大丈夫な体になりたいんだもん。」



言っててなんだか悲しくなってきた。



思わず下を向く。



なんで私はこんな病気になってしまったんだろう…




「梨央、とりあえずここ座ろう。」



診察室に入ってから立ちっぱなしだった私を、颯くんが椅子へと誘導する。



一度心を落ち着かせて、と言われたような気分だ。