約束~悲しみの先にある景色~

「そんな事ないよ。だって俺も寝ようと思ってたし。一緒に寝れば、誰も邪魔した事にはならない」


ね?ほら、俺のオフの日は充実したよ、と可愛らしく言う彼に、眠いはずなのに勝手に心が踊ってしまう。


(さすが、アイドル……)


「だからさ、」


不意にトユンさんの顔が視界から消え、綺麗に私の視界の左半分にまた彼の顔が現れた。


「寝よう?…ね、괜찮아(大丈夫)」


その韓国語と日本語が混ざった言葉を聞いて、特に意味は無いと思うけれどどうして“大丈夫”と言ってくれたのか疑問に思う反面、それが凄く嬉しくて。


「……おやすみ」


(トユン、さん…)


どうして、彼はこんなに優しいのだろうか。


(私のお父さんも、この位優しかったらな……)


もしお父さんが優しかったら、きっとトユンさんとは出会えていなかっただろうけれど、それでも思ってしまう。



右目を、一筋の涙が耳にかけて伝った。


「えっ、どうして泣くの…」


私の左側に居たトユンさんが、困った様な声を出して片手を私の頬に近づけた。


その手が私の頬に触れ、私の頬を流れる涙を拭いたその瞬間。


私は、ふっと意識を手放した。
───────────────………



「寝るの秒じゃん…」


俺ーキム・トユンーは、床に落ちた義理の妹の涙と倒れたまますぐに眠ってしまった義理の妹の姿を見て、独りごちた。


余程、気を張っていたのだろう。


仕事の関係で夜遅くまで起きる事もあった俺は、たまにトイレや水を飲みに1階に降りることもあった。


その際に気付いた事は、今まで1度も瀬奈ちゃんの部屋の電気が消されたのを見ていない事だ。


いつも瀬奈ちゃんの部屋の光が廊下まで漏れてきていて、その部屋から人の寝息を聞いた事がない。


それに、夜中にテレビの音が聞こえてきたり、俺がベッドに横になって寝る寸前という時に隣の部屋のドアの開閉音が聞こえたり。


つまり、彼女はずっと起きているのだ。


いつから起きているのか分からないけれど、ここ最近はほぼ毎日起きているのではないだろうか。


俺も彼女も忙しいから余り話すタイミングを掴めないけれど、朝廊下ですれ違う時も、朝ご飯の席でも、隈の出来た彼女は眠そうにあくびを噛み殺している。


しかも、そんな瀬奈ちゃんの変化に親はきっと気付いていない。


アイドルという仕事柄徹夜する事も少なくない俺は、徹夜の辛さだったりその翌日の猛烈な眠さは一応理解しているつもりだ。


瀬奈ちゃんが何故起きているのかは余り分からないけれど、さすがに無理をし過ぎではないかと思う。
俺はふっと息を吐き、なるべく彼女の肩に触れないようにしながら彼女の身体をゆっくりと持ち上げた。


いつだったか、彼女の肩を触った際に彼女が信じられない程パニックを起こして泣き叫んだ事を思い出したからだ。


ソファーに瀬奈ちゃんを寝かせた俺は、自分の部屋からコートを持ってきて毛布代わりに掛けた後、自分自身も瀬奈ちゃんの隣に座った。


枕代わりになればいいな、なんて思いながら瀬奈ちゃんの頭を俺の膝の上に乗せ、つられて眠くなってきた俺も目を瞑った。





トンッ……


何かが私の首筋に当たり、私ー南 瀬奈ーは目を開けた。


「んっ……」


天井が見える。


ぱちぱちと瞬きを繰り返し、私はここはどこかを確かめる。


首だけを動かして周りを見ると、どうやら私はソファーの上で寝ているようだった。


トユンさんが運んでくれたのだろうか。


(絶対重かったよね、ごめんなさい)


トユンさんの、


『瀬奈ちゃん、重っ…』


とか何とか言っている姿が目に浮かび、私は反省の意味も込めて下唇を噛み締めた。


それにしても、私の首筋に当たっているものが気になる。


「ん?」


“それ”を持ち上げてみると。


「え、?」


誰かの片腕だった。


(これ、どうなってるの?)


そこで、ようやく私はある素朴な疑問にぶち当たった。
(私の頭の部分だけ、足よりも位置が高いんだけど…誰か居るの?)


(いや、まさか。ね)


その素朴な疑問の答えが瞬時に浮かんでしまった私を、自分で殴りたくなる。


そして、そのままゆっくりと視線を上へ上げていくと。


トユンさんの、美し過ぎる寝顔が目に入った。


素朴な疑問の答えに、見事正解してしまった私。


「トユンさん…」


私の肩まで掛かっている大きめのコートは、トユンさんのものだろうか。


(これ、絶対輝星だったら喜びそう)


と思いながら、アイドルの義兄の優しさに思わず笑みが零れてしまう。


「トユン、さん…」


小声でそう言いながら、彼の力の抜けた片腕を邪魔にならない所に退かすと。


「……ん、うんっ…」


トユンさんは、少しだけ眉間にしわを寄せた後に首を傾けた。


そうする事で、彼の首筋の線が綺麗に見えて。


(はぁ…、アイドルの寝顔を拝めるって、最高…)


私は、寝たままの体勢でふっと笑顔を作った後、


「トユンさんのおかげで、怖い夢見ませんでした……ありがとうございます」


そう、呟いた。



何も知らない、トユンさん。


このまま、何も知らなくていい。


このまま私が眠らず、誰も私の実の父親の事を口に出さなければ。


それで、良いのだから。
次の日。


日曜日だからなのか、親達は買い物のついでにデートに行くと言って朝早くから居ない。


トユンさんは、部屋でまだ寝ているのかただ出てこないだけなのか分からないけれど、とにかく私はまだ彼の姿を見ていない。


そして、私は。


(寝ちゃ駄目寝ちゃ駄目寝ちゃ駄目)


ソファーに座ったら寝てしまいそうで、必死にソファーの周りを歩き回りながら自分に言い聞かせていた。


昨日のあの出来事は、本当はあってはいけない事だった。


ただ、3時間寝れた割に夢を見なかった事だけが救いで。


一応、


「俺も寝れたし最高!一緒に寝てくれてありがとうね!」


と、トユンさんからは感謝の気持ちを伝えられたけれど、実際に伝えないといけないのは私だ。


だからこそ、夢を見たくなくて昨日の夜も寝られなかった。



「はぁー、」


どんなに頑張っても瞼が下がってくる。


頑張れ、と私は自分を奮い立たせながら、ついこの間薬局で購入した目が覚めるという目薬を2滴ずつ目に垂らした。


清涼感の度合いを示す星5つのうち4つに色が塗られているから、かなりスースーする。


一瞬で目が覚め、その余りの清涼感の強さに目を押さえて悶えていると。




ピンポーン……ピンポーン……



急に、玄関のチャイムの音が鳴り響いた。
「え、もう帰ってきたの?」


今はまだ午前中。


親達が帰ってきたとすれば、単純計算でも買い物しかしていない事になる。


(デートは?)


映画を見るとか言って騒いでいたはずなのに…、と、私はスースーする目を擦りながら玄関へ向かった。



「お帰りなさ、」


そう言いながら、玄関のドアを開けると。


「안녕하새요ー(こんにちはー)」


そこには親ではなく見覚えの無い2人の女子が居て、私に向かって笑顔で韓国語で挨拶をしてきた。


「えっ、…?」


もしかして、protectだろうか。


例えpromiseのファンだとしても、メンバーの自宅まで押しかけるのは宜しくない気がする。


独占欲が強いとか、そういう危ない系の人達だったら困る。


それでも、私は一応尋ねた。


「誰、ですか…?」


すると、彼女達は意外そうに顔を見合わせ。


「嘘、もしかしてオッパから聞いてないー?私達、トユンオッパの妹なのー」


耳を疑う一言を炸裂させた。


「えっ!?妹?」


インターネットでそういう内容を調べた事もなかったし、キムさんからもトユンさんからもそんな話を聞かされた事が無かった。


だから、てっきり彼は一人っ子だと思っていた。


まさか、妹が2人も居たなんて。


「はい。私はサラで、こっちが私のオンニのユナです」
流暢に敬語を使ってくる方がサラという人、語尾を伸ばしながら少し片言の日本語を話す方がユナという人らしい。


「今日、オッパに荷物を渡すために来たんだけどー…あっ、大丈夫安心して、荷物渡したらもう此処には来ないからー!」


「私達、韓国に住んでるから…。すぐ帰るし、あんまりオッパとアッパに迷惑掛けたくないんです。えっと…?」


その言葉通り、彼女達は大きなバッグを持っていた。


「あ、瀬奈っていいます」


慌てて自己紹介をする私。


2人共本当に可愛くて、何だか私のような人がトユンさんの義理の妹になって申し訳なくなってきてしまった。


すると、私の名前を聞いた彼女達は満面の笑みを浮かべて。


「瀬奈ちゃん、オッパとアッパの事、よろしくお願いします」


重そうな荷物を持ったまま、こちらに礼をしてきた。


「はっ、はい!こちらこそ!…あの、えっと、荷物……」


慌てて私もお辞儀を返し、彼女達が手に持っている荷物を受け取ろうと手を伸ばしたその時。



「…瀬奈ー?誰が来てるの?」


リビングの方から眠そうな声が聞こえ。


部屋着姿のまま、トユンさんが玄関に現れた。



「あっ、オッパ……」


その瞬間、私に荷物を渡そうとしていたサラちゃん(と呼ぶ事にした)が、驚いた様に、何となく悲しそうに声を上げた。
「えっ、……ユナ、サラ…」


そして、トユンさんも。


サラちゃんと同じく、驚いた様に、何となく悲しそうに2人の妹の名前を呼んだ。



そして、少しの間が空き。


「……오랜만 이군요, 오빠(……久しぶりですね、お兄ちゃん)」


私とにこやかに話していた時とは打って変わり、冷たい目をトユンさんに向けたサラちゃんは、そう言い放った。


「뭐하러 왔어?(何しに来たの?)」


それに応えるトユンさんの声も、今まで聞いてきた中で1番冷たくて。


(えっ、トユンさん…?)


彼の氷の様な眼差しに射抜かれた彼女達は、少しだけ怯えた様な表情を浮かべ。


「무엇 이라니…오빠화물 반환에 온 뿐이지 만(何って…お兄ちゃんの荷物、返しに来ただけですけど)」


「우리는 짐을 반환에 오는 것도 할 수 없나요?(私達は、荷物を返しに来るのも出来ないんですか?)」


「순전히 우리의 것을 싫어하나요?(そんなに私達の事が嫌いですか?)」


トユンさんに、弾丸の様に質問を浴びせた。


全て韓国語だから、私には言葉の意味がまるで理解が出来なかった。


「아니야!(違うよ!)」


「무엇이? 무엇이 다릅니 까?(何が?何が違うんですか?)」


慌てて否定する素振りを見せた彼の声に重ねる様にして、ユナちゃん(と呼ぶ事にした)が言い返した。
「사실, 이런 일을 말하러 온 것이 아니 었 습니다만…(本当は、こんな事を言いに来たわけじゃなかったんですけど…)」


サラちゃんが、目を潤ませながらトユンさんを凝視する。


「우리는 가족 이지요?(私達、家族だったんですよね?)」


「…그래(…うん)」


そして、時が止まったかの様に沈黙が流れ。


「그럼 왜 우리의 것은 항상 뒷전이었다니까!?(じゃあ何で、私達の事はいつも後回しだったんですか!?)」


「えっ……?」


トユンさんの口から、日本語が漏れた。


「항상, 항상 오빠는 그랬다(いつも、いつもお兄ちゃんはそうだった)」


大声を上げた後に遠い目をしたユナちゃん。


「가끔 밖에 집에 돌아온되지 않는 알고 있었기 때문에…최대한 한국 생활을 즐기고 주었으면해서 항상 오빠를 즐겁게하려고했는데(たまにしか家に帰って来れないの分かってたから…出来る限り韓国生活を楽しんでほしくて、いつもお兄ちゃんを楽しませようとしたのに)」


「우리가 무언가를 할 때마다, 혼나고…(私達が何かをする度、怒られて…)」


ユナちゃんとサラちゃんの目に、どんどん涙が溜まっていくのが分かる。