みんな、原稿があるんじゃないのかな?っていうくらい、上手な自己紹介をしていて、私の順番が回ってきた。

やだ…

こういうの慣れてない!

というより、どうすればいいの??

「陽菜です。20歳です」

さっきまでの盛り上がりが、嘘みたいに一瞬で静まった。

「はは」

そんな雰囲気を少しだけ、フォローしてくれる笑い声が後ろのテーブルから聞こえてきた。

振り返ると、スーツ姿の男の人が2人、向かい合わせに座っていた。

こっち向きに座っている人と目が合った。

すごく!すごく!!カッコいい!!

でも、私と背中合わせの後ろ姿の人が、これでもか!というくらいにお腹を抱えて、笑っていた。

「おいっ!新、失礼だろ!ごめんね、えっと…陽菜ちゃんだっけ?」

目が合った、ものすごーくカッコいい人が、悪くもないのに謝ってくれた。

「あ、いえ…」

背中合わせの人が、お腹を抱えたまま振り返ると、思った以上に顔が近かった。

心臓が止まるのかと思った。

ドキン…ドキン…

早く動き始める鼓動…。

何?これ…??

ドキン…ドキン…

強く動く鼓動…

何…?

その人は、笑っていたのに一瞬ものすごく真面目な顔をして、またお腹を抱えて笑いだした。

「ごめん、陽菜ちゃん。いや、その自己紹介、いいよ。あははっは!!」

「おい!新、もうやめろって。本当にごめんね」

やっぱり向こう側の人が謝ってくれた。

「いえ…」

お腹を抱えて笑うその人に、ちょっと腹が立つのに、それ以上に見惚れずにはいられなかった。

ネクタイを緩めて、一番上のボタンを外している。

そこから見える首筋が、すごく色っぽくて…

タバコを挟んだ、中指と人差し指がとても長くて…

お腹を抱えて笑っているときに、俯いている横顔にかかった前髪が、サラサラで…

高価そうな腕時計が、一人歩きしないくらい日焼けした筋が、浮かんだ手首が頼もしくて…

息が止まりそうになった。

笑われているのに、じっと時が止まったみたいに、その人を見ていた。

「だって匠、陽菜ちゃん可愛くね?"陽菜です。20歳です"って、昔の映画のタイトルみてぇ。あはは!!」

匠…

匠!?

「匠…さん?」

「え?えっと…えっ!陽菜ちゃん!」

私の心臓を止めようとした人の、向こう側に座っていた匠さんが、驚いて私の名前を呼んだ。

「何、匠。こんな若い子、知ってんの?琴音ちゃんに言ってやろ」

「いや、陽菜ちゃんだよね?」

「うん!匠さんっ」

やっぱりそうだ!

井上匠さん。

お姉ちゃんが秘書をしている会社の社長。

そして、お姉ちゃんと楓の親友。

そういえば、お姉ちゃんが『琴音ちゃんっていう、すっごく可愛い子と、もうすぐ結婚するんだよ』と言っていた。

お姉ちゃんが大学の時、何度か家にも遊びに来ていた。

小学生心に、こんなカッコいい2人を家に連れ込む、お姉ちゃんを尊敬していた。

そして楓を呼ぶように、小学生なのに呼び捨てにしていた私。

さすがに、楓と違って匠さんのことは、もう呼び捨てにはできない。

「陽菜ちゃん、すごく可愛くなったね」

「あ、琴音ちゃんに報告1」

背中合わせの人が、タバコの灰を灰皿に落としながら、匠さんに言った。

「えっ?いやいやいやいや。勘弁しろよ。いや、でも前見た時は、まだ小学生だったからな」

「で?なんで知ってるわけ?」

「あ、新。陽菜ちゃんは、澪の妹さんだよ!」

「え?まじ?澪の?あの、小さかった子?」

その人がまた、真剣な表情でじっと私を見てきた。

"新"という人は、お姉ちゃんのことを知っているらしい。

おまけに私のことも。

時が刻まれていく。

時間がスローに進んでいく。

「陽菜」

振り返っている私の顔の正面からそう呼ばれて、時が止まった。

「え…」

「20歳の陽菜か」

心を突き動かす人に、出会ってしまったら…

勝手に動き出す心。

でも、恋じゃない。

恋なんかじゃない。

そう思おうとした。

止まった時間が、匠さんの言葉で動き始めた。

「あ、陽菜ちゃんごめんね。お友達と飲んでるのに。新、もう邪魔するなよ」

「ああ」

その後の私は、目の前で盛り上がっている会話よりも、後ろの会話の方が気になって仕方なかった。

でも、難しいコンピュータ用語が飛び交っていて、何の話なのかさっぱりわからなかった。

それでも、ずっと聞いていたかった…

その低い声を。

場所を二次会に移すことになって、みんなで精算を済ませた。

とりあえずやり遂げた!!

と思い、安心してしまった。

「陽菜ちゃん」

「ん?なあに?」

みんなの分の精算をしてきてくれた佐々木くんが、隣の席に座った。

「陽菜ちゃん、飲んだ?」

「うん。結構飲んだよ」

「抜け出さない?」

「…えっ!?」

「いや陽菜ちゃん、合コンあんまり好きそうじゃないから。もう帰りたいかなって?」

「え、嘘。分かっちゃう??」

「はは。正直だね」

「…うん」

「二次会カラオケらしいけど、もう送っていくよ」

確かに、一次会で帰るつもり。

でも、もう少しだけこの場所で…

今、背中に感じてるこの人を…

このまま席を立ったら、たとえお姉ちゃんの知り合いだとしても、もう二度と会うことはないと思う。

そんな気持ちが、迷わせていた。

「イツキ、笑えるー」

…イツキ。

その名前に背中がぞくりと震えた。

辺りを見回したけれど、全く違う人のようで、樹くんのことではなかった。

それでも記憶が、一瞬で呼び起こされた。

あの時の、虚しい青い空。

やっぱりこういう出会いの場所に、あまり長くいたくない。

うっかり、恋もどきなんてしてしまったら困る。

背後に向かってしまう気持ちに蓋をして、佐々木くんに返事をした。

「うん。佐々木くん…帰る」

「えっ!?本当に?よし、じゃあ抜け出そう」

「あかり。私、佐々木くんと帰っていいかな?」

「え…!陽菜…本当に?」

すごく驚いたあかりに、私の方がびっくりしてしまった。

「え?うん。一緒に出るね。今日はありがとう!!」

「え…でも…」

私はあかりにそう言って、席を立った瞬間…

後ろの席の"新さん"が私の手首を掴んだ。

こっちを見ずに、匠さんの方を向いたまま、腕時計をした長い手だけが伸びてきて、私の手首を掴んでいる。

「え…」

「バカ」

「えっと…?」

「帰るなら、俺が送る」

振り返らないままの新さんが、言葉を続けた。

「お子ちゃまは、俺が送る」

「お子…。ち、違いますっ!!」

「いーや。まだお子ちゃまだ。俺が送る」

「違います!!今日、20歳になったんですっっ。子供扱いしないでくださいっ!!」

その腕を振りほどこうとしても、全く解かれないがっしりとした腕。

「新…」

向こう側に座っている匠さんも、少し驚いた表情でつぶやいた。

「あの…誰ですか?ってか、邪魔しないでもらえませんか?」

佐々木くんが眉をしかめて、新さんに話かけた。

「匠、悪い。俺、お子ちゃま送ってく。澪に電話しといて、疑われるの嫌だし」

「え?いや、陽菜ちゃんはどうしたいのか…とか?」

匠さんが困った表情で、言っていた。

佐々木くんがもう片方の腕を掴んで言った。

「行こう、陽菜ちゃん。こんなおっさん、相手にしないで」

今、新さんについて行ったら始まってしまう。

恋してしまう。

だからダメ…

もう恋はしないと決めたから…

傷つくのは嫌だから…