血濡れの刃を振って血を飛ばしたハヤセミは、打ち捨てられている弟を一瞥すると、ビシャッ――――と、血だまりを踏み越えて出て行った。


「っ、」

衝撃のあまり、声が出なかった。
ハヤセミは――――確かに口元に嗤いを浮かべていた。



「……こは……く……」

か細い声に、カヤは何処か遠くへ飛んで行ってしまっていた意識を、のろのろと取り戻した。

「ミ、ミズ……ノエ……ミズノエ!」

頭がはっきりした瞬間、血の海の中に身体を投げ捨てるようにして駆け寄る。

溺れかけている手を取って、必死に呼びかけた。

「いやだ、ミズノエっ、ミズノエ……!死んじゃ嫌だよっ……」

優しい瞳に浮かぶ命の灯が、徐々に小さくなっていく。
それが消えてしまうのを、どうしても見たくなかった。


「……こ、はく……ごめ……」

最期の言葉は、何故だか謝罪だった。


震える唇から色が失せて行くのを、ただ見ていた。

ゆっくりゆっくりと下りて行き、やがて閉じられた瞼の上に、ぽたり、と透明な雫が落ちる。

カヤの眼から落ちたそれは、つ、と皮膚を伝い、ミズノエの頬を染める赤の中に吸収されていった。

気が狂いそうになった。
きっと狂った方が良かった。


「ミズ……ノエ……」

物言わぬ頭を抱き締めて、物言わない人の名を呼ぶ。

「起きてよ……」

そっと揺り動かすけれど、固く閉じられた瞼は、これっぽっちも動かなかった。

それでもカヤはミズノエに声を掛け続けた。
信じて疑わなかった。ミズノエが死んでしまうはずが無い。

だって、約束をしたんだ。

お嫁さんにしてくれるっ、て。
外に連れていてくれる、って。

「約束、したのにぃっ……!」

ずっと一緒に居てくれる、って。




ふと、目の前に大きな影が立ちはだかった。
見上げれば砦の兵がカヤを見降ろしていた。

「クンリク様、お放し下さい」

「あっ……」

あっという間に、小さなミズノエの身体はカヤの腕の中から奪われた。

「ま、待って……!」

慌てて追いかけた瞬間、ズルリと足が滑って、カヤは勢い良く倒れた。

「きゃあ!」

ビシャ!と湿った音がして、身体が床に打ち付けられる。

「……いっ、たい……」

痛みで呻きながらも、すぐに顔を上げた。

けれど、もうそこには兵の姿はもちろん、ミズノエの躯は無かった。



「……ミズノエ……」

たった三つだった。
そこに残っていたのは、ほんの三つだけだった。

「いっ、や……」

大量の赤い海と、それに塗られた太陽の石。

「いやだああぁあぁああああぁあ―――――!」

そして、何もかも空っぽになったカヤだけ。




―――――ぱたん、と。
絶望の音を立てて、その日カヤの中で何かが蓋を閉じた。