見上げる空は、ただ蒼く

『バカ』
『出ていけ』
『いじめ野郎』

たくさんの悪口が書かれた
自分の机だった。

『おはよう......。』

挨拶しても、返ってくる
のは蔑んだような視線だけ。
あぁ、結乃はこんな気分
だったんだ、なんて凜は
このときに気づいた。

許さない。

凜の中のどす黒い感情。
結乃のせいでこうなった。
結乃さえいなければっ。

その頃。

結乃はクラスメートから
謝罪を受けて、
少しずつクラスに馴染めるように
なってきたところだった。

奏に後押ししてもらって
積極的に話しかけたりして
友達関係もかなり広がってきている。

そんなときだ。

凜が......警察沙汰の事件を
起こして、犯人が結乃だと
証言したのは。
『田代先生、ちょっと。』

2組の田代先生が校長先生に
呼び出されたのは口無し事件
から1ヶ月が経った頃。

『なんでしょうか。』

不思議そうに尋ねた田代先生に
校長先生は真剣な面持ちで
君のクラスの子が厄介なことに
なっている、と告げたらしい。

どうやら、凜がボロボロの服で
川沿いの道を歩いているところ
を警察に保護されたそうだ。

そして、交番に連れていかれた
凜が話したのはとんでもない証言だった。

『隣のクラスのこと少し喧嘩
してしまって。話し合おうと
したら殴られたんです。
それから、思い切り突き飛ばされて
こうなっちゃいました。』

警察官が隣のクラスの子の名前
を尋ねると、凜は怯えた様子を
見せながらも答えた。

『結乃。赤坂結乃って子です。』

このことで一時大騒ぎになった
けれど、凜の嘘は結乃が化学の
補習を受けていたことから
すぐに見破られた。
『凜、どうしてこんな嘘をついたの?
赤坂さんに迷惑がかかるの。』

凜の担任は、自分のクラスの
生徒を呼び捨てにするタイプ
の先生だった。

担任から厳しく問い詰められて
凜は狂ったように叫ぶ。

『アイツが許せないのよ!
結乃なんて嫌いよ!あんな
やつはいじめられて当然の
結果だと思った方がいいわ!』

この話は、結乃には全く
伝えられなかった。

教師たちが、結乃が凜の言葉を
聞いてトラウマになることを
恐れたから、らしい。

結局は先生たちも自分が地位を
追われるかもしれないと
考えての行動だったんだろう。

まぁ、先生だって誰だって、
自分が1番可愛いってことだ。
保身が1番大事。

あれから凜は、ぱたりと
学校に来なくなった。

どうも学校側と凜の家族が
話しあって凜を退学にしない
かわりに学校に来させない
ようにしたらしい。









〈9ヶ月前の後悔〉

 希望があるところに人生もある。
   希望が新しい勇気をもたらし、
 再び強い気持ちにしてくれる。





「以上が、俺が友達とか
家族、担任とかから聞いた
口無し事件の真相だ。その
あと凜は小学校は卒業する
まで来てなかった。」

「そう、なんだね......。」

私は、奏の話を聞き終えて、
胸が張り裂けるような
感覚に陥っていた。

「凜に、そんなことが
あったなんて、私は全く
知らなかった。」

私の存在が、1人の人間
である凜の心を壊した。

それは、罪。

私たちの手の届かないところに
隠してある漆黒の闇だ。
自分の気づかぬうちに、相手を
傷つけていた、だなんて。

「凜......ごめんね。」

一筋の涙が、私の頬を伝って
静かに零れ落ちた。
その雫は、自分のスカートに
冷たいシミを植え付けていく。

みっともなくて情けないと
思ったら余計に涙が止まらなく
なって、1人で泣きじゃくる。
うつむいてただひたすら
泣いていると、少しして
遠慮がちに頭の上にぽんと
手がのせられた。

「大丈夫、大丈夫。」

耳に心地よいテノールの声。
私の頭上に乗せられた手は
何度か私の頭上を往復した。
それから、そのまま頭をぐいと
引き寄せられる。

突然の出来事に正座だった私は
バランスを崩して、奏の胸に
すっぽりと収まるような体勢に
なってしまう。

「結乃のせいじゃない。結乃は
自分を責める必要なんてないよ。
これは凜の問題だ。きっと凜が
自分と向き合う良い機会になる
だろうって俺は信じてる。」

「奏......私、怖いの。いつも、
自分は知らず知らずのうちに
相手を傷つけてしまってる。

原因が分かればやめるのに
その原因さえ分かんない。
私と関わってたらきっと奏も傷つく。
離れた方がいいんじゃないの?」

小さな声で言うと、奏は少しだけ
驚いたような表情を見せて、
それからすぐに真剣な顔に戻った。
「結乃のバーカ。」

幼馴染みからの突然の暴言に
私は思わず驚きの声をあげた。

「えぇっ?いきなりバカは
奏もちょっと酷いと思う。」

そう言うと、奏は私をぎゅっと
抱き締めたまま続けた。

「俺は絶対に結乃の敵になったり
しないから。例え結乃がクラス
の奴らや今の母さんや父さんに
嫌われたとしても俺はずっと
今まで通りお前の幼馴染みで、
味方だって誓う。」

「......奏、ありがとう。いつも
いつも迷惑かけてばっかりで。
泣き虫でバカでどうしようも
ない私だけど。それでいいなら
これからもよろしくね。」

「お前、バカじゃないでしょ。」

白い歯を見せて笑う彼を見て、
私も思わず口角が上がった。

奏が私を腕の中から解放して
2人で向かい合う。

いろいろな気持ちをぶつけて、
本音を叫んで。
気付けば涙も乾いていた。

奏の瞳に映る自分は、常に
笑っているようにしよう。

キラキラ輝いて見えるように、
今からでも頑張っていこう。

そう思えた。
次の日。

私と奏は久しぶりに2人で
一緒に学校へと向かっていた。
私は、今日からまたこの
学校に復学する予定だ。

「母さんが心配してたけど、
良かったのか?違う学校に
転校とかしなくて。」

奏の問いに、私は頷いた。
私が凜のすりかえたナイフで
怪我をしたとき、紗綾さんは
かなり取り乱していたらしい。

見放された私に、忘れていた
家族の愛を思い出させてくれる
紗綾さんは、とても大切な人。

だから、出来る限り心配は
かけたくないと思っている。

「いいの。私は奏と一緒にこの
中学校に通いたいから。」

にっこりと微笑むと、奏は
やっと安心したみたいだった。
まず電車で学校の近くの最寄り駅
まで行って、そこからはバスに乗り換える。

暗記しそうなほど聞きなれた
通学路のバス停の6つ目、
学園正門前で降りればもう
そこには見慣れたうちの学校の
校舎が建っていた。
たった1ヶ月の間休んで
いただけなのに、いざ教室に
入ろうとすると緊張と恐怖で
ドアにかける手が震えて。

立ち止まっているとぽんと
背中を叩かれた。

「大丈夫。俺がついてる。」

そっか。

どんなときでも、奏が私を
見守っていてくれるから、
私は勇気を出せるんだ。

ぐっと気合いを入れ直して、
一気にドアを開け放つ。
すると、そこには......。







マジックで書かれた落書きで


真っ黒になっている私の机。


そしてそれから。

「おかえり、結乃。
帰ってくるのを待ってた。」

怒りと憎しみに溢れた目で

こちらを睨み付ける、

凜の姿があった...。