登下校も、奏君と一緒。
小6で、同じクラスになった
から学校でも家でもずっと
一緒に過ごしていた。
そんな、ある日のこと。
奏君と2人で学校に行くと、
私たちの教室がなんだか
ものすごく騒がしかった。
「どうしたんだろう?」
首を傾げつつ教室に入って、
私は呆然とその場に立ち尽くす。
『お化け屋敷の子』
『化け物』
さまざまな悪口が私の机に
ネームペンで書きなぐられていた。
どうして。
私があの家の子だっていうのは
ずっと隠してきたのに。
なんでバレたの。
登校してきた私に気づいた1人が
大声をあげた。
「みんな、化け物が来たぜ。」
教室のあちこちからあがる嘲笑。
「髪とかボサボサだし、
本当に化け物みたい。」
「なんか汚いよね~。」
私は唇をぎゅっと噛み締める。
そっと視線を隣にずらすと、
奏君は、じっとうつむいていた。
「おい、なんか言えよ。」
1人の男子が肩をついてきた。
私は力の強さによろけて、
倒れそうになる。
内心パニックになっていると、
ふわりと抱きとめられた。
「奏君......。」
いつもは優しそうな瞳が、
怒りに燃えている。
彼は口を開くと、いつもより
1オクターヴくらい低い声で
クラスに呼び掛けた。
「みんな、こんなことして
楽しむなんてありえない。
馬鹿じゃん。結乃ちゃんを
傷つけるやつは僕が許さない。」
きっぱりと言いきった奏君は、
私に微笑みかけて小さな声で
ささやいた。
「僕、先生呼んでくるから。」
そう言うなり、回れ右をして
全力疾走でかけていく。
私は、ただひたすら黙っていた。
「なんか言えよ、口無し!」
誰かの言葉が引き金になって、
たちまちみんなが口無しと声を
そろえて言い出した。
それから少しして先生が来て
私は事情を聞かれた。
「分かりません。」
ただそれだけ。
本当に分からなかったから。
この事件が解決しても、
私の口無しのあだ名は消えなかった。
だからこの事件は口無し事件と
呼ばれるようになったんだ。
あのときから私は。
今もずっと。
学校という閉鎖空間が苦手だ。
〈9ヶ月前に真実を知る〉
何より大事なのは、人生を楽しむこと。
幸せを感じること、それだけです。
長い長い1ヶ月が過ぎて、
私は無事に退院した。
今は奏と2人で、退院祝いの
ケーキを買いに行くところだ。
信号待ちで立ち止まると、
私は隣に立つ奏の姿を
じっとみつめた。
昔は、背も同じくらいだったのに
いつのまにか奏の方が全然高く
なっている。
さりげなく車道を歩いてくれる
ところに、奏の優しさを感じて、
私はこっそりと微笑んだ。
「何ぼさっとしてんの。信号
青に変わったんだけど?」
「あ、ごめん。」
並んで歩きながら私は奏に尋ねた。
「奏。結局にして凜は口無し事件に
どう関わってたの?」
口無し事件のことは覚えている。
でも、凜が出てきた記憶はない。
病院にいる1ヶ月の間、何回か
奏に聞いたけれど、
なんとなく話を濁すだけで全く
教えようとしてくれなかった。
「.........。」
黙り込む奏に、私は
動かしていた足をとめた。
それから、奏に向かって走って
思いっきりタックルをかます。
「え......ちょ、結乃っ?」
公共の場でこんなことするのは
恥ずかしいけど、なんて
思いながらも道に倒れこんだ
奏の横の地面に手をつく。
「奏が私に言いたくない理由、
なんとなく想像つくよ。私が
傷つくようなことなんだよね。
でも、隠さなくていいから、
私は本当のことを知りたい。」
それだけ言って、立ち上がる。
奏は、少しの間呆然としていた
けれど、やがて小さくため息をついた。
「結乃ってときどき行動が
大胆すぎてついていけない。」
なんて言って笑っている。
「じゃあ、教えてくれるよね?」
尋ねると、彼は渋々といった様子で頷いた。
「俺の口から話していいのか
分からないけどさ...俺の知ってることは
全部、ちゃんと話すから。」
「ありがと。」
私は奏に頭を下げる。
「でも、話は先にケーキ
買ってからな。母さんが家で
今か今かと
待ち構えてるだろうし。
あとで俺の部屋で話すってことで。」
「分かった。」
それから私たちは、私の好きな
チョコレートケーキをホールで
買って家に帰った。
「2人ともおかえりなさい!
結乃ちゃん、退院おめでとう。」
家に帰るなり紗綾さんに2人
まとめてぎゅっと抱き締められた。
「ただいまです、紗綾さん。」
そう言うと、紗綾さんは少し
遠慮がちに私の方を見て言った。
「結乃ちゃん、そろそろ私のこと
お母さんって呼んでいいのよ。」
「そうですね......。」
軽く言葉を濁す。
私のお母さんはまだ生きてる。
今は服役中だけど、
いつかはまた、会うことになるだろう。
もしかしたら一緒に暮らすかもしれない。
私のお母さんはあの人だ。
紗綾さんじゃない。
そんな考えに捕らわれていて
未だに紗綾さんのことを
お母さんと呼べないでいた。
「ま、ゆっくりでいいじゃん。
結乃の好きにすればいいよ。」
奏がふっとその場を和やかに
して、私たちは笑顔に戻った。
3人でリビングに入ると、
私たちはテーブルに座った。
義父である透さんは、
仕事でまだ帰ってきていない。
海外出張でオーストラリアに
いるみたいだ。
「お父さんは海外にいるし、
3人で食べちゃおうか、
結乃ちゃん、たくさん食べてね。」
退院してすぐだし、まだ身体は
思うように動かない部分もあるけれど、
なによりもこのあったかい
家に帰ってくることが出来たという
事実が1番嬉しかった。
ケーキを綺麗に3等分して、
何気ない会話をしながら食べる。
この時間が、大好きだ。
お母さんが飲酒に溺れる前は、
誕生日の日にいつもケーキを
焼いてくれてたっけ。
お母さんの作る、物凄く甘い
バタークリームケーキ。
料理が苦手であまり積極的に
料理しないお母さんだったけど、
毎年の誕生日の日だけは私が
学校に行っている時間を使って
一生懸命ケーキを焼いてくれた。
『ねぇお母さん、やっぱり
このケーキ甘すぎるってば。』
『えぇ、そうかなぁ。お母さん
ちゃんとレシピ通りに作ったはず
なんだけどな。』
なんて笑いながら。
あの頃はお父さんもいて。
本当に幸せで。
毎日が光り輝いていた。
「あの味、好きだったな......。」
呟くと、紗綾さんがふっと
遠くを見るような表情になった。
その横顔は憂いを帯びていて、
感情を読み取ることが出来ない。
「母さん、どうかしたの。」
奏が声をかけると紗綾さんは
ハッとして元のにこやかな表情に戻った。
「大丈夫、なんでもないよ。」