見上げる空は、ただ蒼く








病院に着く。


「兄ちゃん......お代はいらねぇよ。」

代金を支払おうとすると、タクシーの
運転手はヒラヒラっと手を振った。

「え、でも......。」

「いいからいいから。その金は
後の為に取っときな。その代わり...」

そう言って運転手はニカリと笑う。

「帰りもこのタクシー使ってくれよ。
いい報告期待してるぜ。」

「.........はい!ありがとうございます!」

がばっと勢いよく頭を下げて、
タクシーを後にする。

1秒でも早く君に会いたい。

自動ドアが開くまでの時間、
エレベーターを待つ時間さえも
惜しくなってくるんだ。
病室のドアを開け放つ。

「結乃っ!」

そこには俺の大好きな幼馴染みが
たくさんの管に繋がれてすやすやと
気持ち良さそうに眠っていた。

身体のあちこちに分厚く巻いてある
包帯が、その傷の深さを表している。

そこに刻まれているであろう傷痕。
どれだけ傷付けば済むんだよ。

その顔をするりと撫でて微笑む。

「心配かけんなって...。俺はたとえ
何があったとしてもお前の傍にいる。
お前を守るって決めたんだから...。

なぁ。目、覚ましてくれよ。

ちゃんと話すから。俺たちの
関係のことも、なにもかも全部。

起きて笑ってくれよ、結乃.........。」

彼女の端整な顔に透明の雫が
1粒、また1粒と零れ落ちていく。

それは俺の、涙だった。
俺はそれを拭うこともせずに、
ひたすら彼女に語りかける。

ただ、好きで。

笑ってほしいだけ。

ねぇ、お願いだから。













目を覚ましてよ...。




「疲れたんだよな、結乃も。
今はただ眠ってるだけだろ?
目、覚ませよ。なぁ......っ。」

彼女の顔が、髪が、身体が、
俺の涙でどんどん濡れていく。

そんなとき。

「無駄でしょ。結乃は起きないよ。」

背後で誰かがハッキリと言い放った。
振り返ると、そこに立っていたのは

「......諫早 凜。」

呟くと、ため息と共に訂正された。

「私、親が離婚したから今は近江なの。
近江 凜。あんたら兄妹なんでしょ?
可哀想にね、2人とも望まれない子で。
交換されたんだって?最悪じゃん。」

「どうして、それを......。」

じゃあ、やっぱりラジオを盗んで
結乃を自殺未遂に追い込んだのは。

「犯人は、私。私がやったの。」

そう言って彼女が薄く笑った瞬間に
俺の中で何かがブチりと切れた。

「ふざけんなぁぁぁぁあっ!」



なんだか嫌な予感がして、
病室に戻るとそこはまるで
戦場のようになっていた。

静かに眠る結乃のベッドの奥の
入り口から見えない場所に、凜と奏が
折り重なるようにして倒れている。

2人とも血塗れで、意識がない。

凜の手にはまだ中身が満タンの
コーラのペットボトルが握られていた。

「ほら、2人とも起きて!」

声をかけると、凜の方はハッと
目を覚ましてこちらを見た。

それからすぐに立ち上がると、
アタフタしながら病室を出ていく。

私は奏の手首に手をあてた。
脈はあるから、生きている。

どうやって病室から運ぼうかな。
どっちにしろこのままじゃ、マズい。

きょろきょろと辺りを見回して、
それからもう一度奏を見た。

奏の横にある、大きなスーツケース。
よし、こうなったら。

「大胆な作戦で行こう。」
「ごめん、痛いと思うけど。」

謝りつつ、ぐったりとしている
奏の身体を折り曲げる。

学校の集合朝礼の時みたいな
体育座りの体勢にすると、開いた
スーツケースにそのまま入れた。

「よいしょっ......と。」

頭が上になるようにして、
出来るだけそっと立てる。

それからスーツケースを
コロコロと転がして病院を出た。

「電車に乗って...いや、バスだな。」

バス停からバスに乗り込んで家に帰る。
私は両親が共働きで2人とも
海外を飛び回っているから、
家には今の時間でも誰もいない。

ずっと1人で過ごしてきたんだ。

ドアを開けて家に入ると、とりあえず
スーツケースから奏を出して
横長のソファにゆっくりと横たえた。

あちこちに目立つ傷。
きっと、凜と喧嘩したんだろう。

「恋は盲目ってやつね。」

結乃と奏の片想い合いは
見ていて本当にじれったい。

お互い両想いなのに、
怖がって踏み出せずにいて。

背中を押してあげたくなる。
戸棚にある救急セットを持ってきて
見える傷を片っ端から消毒した。

これ、絶対に染みるよね。

心の中で同情しつつも容赦なく
エタノール消毒の液体を振り撒く。

軟膏を塗ったり包帯を巻き付けたり
しばらく傷の手当てをしていると、
やがて奏が目を覚ました。

「痛っ.........ここ、どこだ?」

周りを見渡して混乱している奏に
ため息をつきながら告げる。

「ここは私の家。あんた、
どうせ凜と喧嘩したんでしょう。

あちこち怪我だらけの状態で結乃の
病室に倒れてたのよ?だから家まで
運んできて看病してたってわけ。」

奏は理解できたのか深く頷いて、
それから首を傾げた。

「運んだ、ってどうやって?
お前以外に誰か男でもいたの。」

「ううん。スーツケースに
無理やり詰め込んで運んだ。」

「お前、やること大胆なんだな...。」

私が答えると彼はそう言って
やれやれとでも言うように苦笑した。
「確かに、凜と喧嘩したよ。
俺は序盤に満タンのコーラのボトルで
頭部を殴りつけられたからほとんど
記憶が残ってないんだけどね。」

平気そうな彼に思わず怒鳴る。

「無茶、しないでよ!」

「......え?」

不思議そうにこちらを見る奏。
私は深く息を吸って声を出した。

「結乃には奏がいないとダメなの。
奏じゃなきゃダメなんだから、そんな
しょうもないことで奏に怪我されたり
死なれたりしたら困るの。分かる?
頭いいんだからそれくらい察してよね。」

彼は何度か瞬きして、それから
その不思議な色の瞳を涙で濡らした。

「ん、気を付けるようにするよ。
まぁ結乃を傷付ける奴は許さないし、
俺の手できっちり成敗するけどね。」

相変わらず、懲りない奴。

「愛されてて羨ましいなあ。」

思わず口から本音が洩れた。
すると、彼はこちらに目を向けて
ぱちぱちと瞬きする。

それから、何故か嬉しそうに笑って
彼は言い放った。

「葉音、愛されてんじゃん。」

「......へっ?」

予想していなかった答えに、
自分の口から間抜けな声がでた。

「なんで、断言なんか出来るのよ。
奏は私じゃないんだから
そんなの分からないでしょ。」

「いや。だって、俺と結乃が
葉音のこと愛してるってちゃんと
断言出来るから。もし仮に家族から
愛されてなかったとしても、葉音は
俺たちに愛されてる。
それだけでいいじゃんか。」

「.........っ馬鹿。泣かせないでよね。」

顔を隠してそっと涙を拭う。

『葉音は俺たちに愛されてる。
それだけでいいじゃんか。』

ありがとう、2人とも。
2人のおかげで私、幸せだよ。
「しかも、」

笑顔のまま、奏は続けた。

「俺は、葉音は自分の両親に
ちゃんと愛されてると思うけど?」

「なんでそう思うのよ。」

幼い頃から家に子供を1人で放置して
自分達は海外を飛び回ってて。

ときどき帰ってきてもお金が入った
封筒だけ置いてすぐに出ていく親が、
子供を愛してるわけないじゃない。

「葉音は親に殴られたこと、ある?
首を絞められたことは?
存在ごと否定されたこととか、
商売に利用させられそうになったこと
とか、そういう経験ある?」

それは......

「ない。」

「じゃあ、愛されてるよ。」

「なんでそんなこと聞いたの。
もしかして奏は......
そんなことをされてるの?」

尋ねると奏は寂しそうに笑った。

「俺は親に商売道具にされそうに
なっただけ。殴られたり蹴られたり
虐待されてたのは結乃だよ。」

嘘。

結乃が、虐待に遭ってたの......?