見上げる空は、ただ蒼く

映写機を2人が笑っているシーンで
ストップさせて私はその場面を
じっとみつめた。

これはたぶん、高校の学園祭。

お母さんたちのクラスは演劇を
やったみたいで、衣装を着た生徒が
満面の笑みでピースをしている。

友梨那さんは他の人よりも豪華なドレスで
真ん中に映っているから、もしかすると
ヒロインを演じていたのかもしれない。

その隣に映る夏乃香さんは村人っぽい
シンプルなエプロンドレス姿だ。

私も演劇やりたかったな......。

ジュリエット役を演じること、
ロミオ役が奏になったこと、それらが
最初に決まったときはこれから先の練習に
不安しかなかったけれど、ときどき
奏に助けてもらいながらも自分なりに
セリフ覚えたり必死で練習して。

練習中に演劇部員のアドバイスをめぐって
関係がこじれてしまったときも
正面から向き合って気持ちをぶつけて。

あのときはとにかく全力だった。

私はただ、クラスのみんなでいいものを
作りあげていきたかっただけだ。

『がんばろーな。』

そう言って笑った奏の顔が
ぼんやりと脳裏に浮かび上がる。
その笑顔を思い出すと、何故か
このままじゃいけないなって思った。

ここにいたら、ダメだ。
逃げ続けたらいけないんだ。
映画館をぐるりと見渡す。

出口は......あそこだ。

後方のドアに向かって足を踏み出す。

『結乃を傷つける奴は許さない。』

それは、例えこの身を傷つけるのが
私自身だとしてもって奏は言ったよね。

なのに、その約束破っちゃった。
私は自分で死を選択したんだから。

だけど私は生きている。
昏睡していたとしても、生きているの。

だから、もう迷わない。
私は生きるよ。

そして。

もう1度君のとなりで笑いたい。
どんなに辛い現実だったとしても。
突きつけられた事実に傷ついたとしても。

逃げない。

私は君と生きたいから。
結乃に、会いに行かねぇと。
頭のなかにはそれしか浮かばなかった。

今すぐにでも、君に会いたい。
会わなきゃいけないんだ。

だけど。

ザッザッザッ。

後ろから近づいてくる足音に、
立ち上がって裏路地に逃げ込んだ。

俺は今、父さんに追われてる。
いや、正しく表現しようと思うなら
義理の父さんって言うべきか。

ばあちゃんの手術が無事に終わったあと、
すぐに帰るつもりだった俺に向かって
父さんがありえないことを言ってきた。

『こんなところまでわざわざ来て俺が
素直に帰るとでも思ったのか。
お前、知ってるか?日本の若い男って
フランスの婦人にモテるらしい。

お前も顔だけは良いんだから
金持ってそうな婦人に近づいて媚売って
金稼いでこい、いいな。』

意味が分かんねぇよ。

金稼いでこい?父親の癖にふざけんな。

母さんが死んだときにあっさりと
俺の親権を手放した父さん。

母さんが生きていた頃からかなりの
ギャンブル狂でアイツの財布には
俺を養う金なんかこれっぽっちもなかった。

俺は神影さんに引き取られたけど、
そのあとも父さんのギャンブル好きは
全く変わってないって訳か。

『俺はそんな汚いことしねぇから。』

そう言って逃げた。
すると父さんは俺が予想も
していなかった攻撃をしかけてきた。

『俺のギャンブル仲間、この近くで
カジノやってんだよ。お前が逃げても
そいつに頼んで必ず捕まえる。お前は
金稼ぐまでここから帰れねーんだよ。
分かったならさっさと働け。』

ニヤリと笑う父さん。
その意地汚い笑みが大嫌いだ。

結乃の優しさや性格は誰から
引き継がれたものなのだろうか。

きっと、俺に目一杯の愛を注いでくれた
母さんの優しさが結乃に遺伝してるんだ。

俺を追っているのは十数人程度。

バスケ部で鍛えた脚力なら
このまま走って空港まで逃げきることが
出来るかもしれない。

最悪、乱闘になったとしても小手先の
技術くらいは持ち合わせてるから大丈夫だ。

俺は路地裏からわざとパーカーの端を
追ってから見える位置ではためかせる。

「いたぞっ。」

その声を聞いて反対方向に駆け出した。

目指すはここから数キロの所にある空港。

待っててくれ、結乃。すぐに行くよ。

会いたいから、会いに行くんだ。

追っては反対方向に追いかけていったはず。
そう思っていたけれど意外と早く
俺の仕掛けた罠に気付いたらしく、
1時間後には数人の追っ手が俺の視界に
入るところまで追い付いてきていた。
ここまで付いてきているということは、
アイツらにはかなりの体力があるはずだ。

どっかで削っとかないとマズい。

このままチェイスが長引けば俺の方が
先に力尽きる可能性もあるし。

走りながら必死で追っ手の体力を
削る方法をあれこれ考える。
どうするのが最善と言うべきか。

ふっと景色が変わり、大きな鉄工場が
何軒も横に立ち並び出す。

張り巡らされた鉄柵、鉄線の奥に、
大きなプレス機が構えている。

それを眺めていて、俺はある
突拍子もない作戦を思い付いた。

「これに、懸けるしかない。」

俺は不安を消すように深呼吸をして、
いきなり走るスピードぐんと速めた。
敵もつられてスピードをあげる。

敵をある程度引き離すと俺は工場の影に
身を潜めて敵が来るのを待った。

「こっちに行ったぞ。」

敵が見当違いの方向を指差して
一目散にかけていく。

チャンスだ。
追っ手を撒くなら今しかない。

俺は空港方面に向かって全力で走る。

今のうちに出来るだけ敵から遠い距離を
確保しておかないと俺の作戦がバレて
敵が追ってきた時に追い付かれるから。
空港を目指す。
ここからはもう体力の問題だ。

走って、走って、走る。

ただ前だけを見つめて。
君と会うことだけを考えて。

なぁ、結乃。

心の中で愛しい君に語りかける。

結乃は俺の知らないところで、
自殺未遂するほど精神的に
追い詰められていたんだよな。

気付けなくて、ごめん。
結乃を傷つける奴は許さないって
言ったのに、俺がお前のこと傷つけてる。

結乃にはたくさん迷惑をかけた。
俺たちの母さんがもし子供を交換する
なんていう非道なことをしていなかったら。

アイツからの虐待を受けるのは
結乃じゃなくて俺だったはずなのに。

結乃はたくさんの愛情を注がれて
育っていくはずだったのに。

俺たちの親は大きな過ちを犯したんだ。

実の親に存在ごと交換された
っていうこの過去は変えられない。

でも、これから来るであろう未来は
自分達の手で変えることが出来るから。

俺は諦めない。
絶対に結乃に会いに行く。

それで好きって伝えるから。
しばらく走っていると、
ぼんやりと空港の影が見えてきた。
走りすぎて悲鳴をあげている足を
奮い立たせて前へ前へと動かす。

目が乾いて視界が滲み、酸素不足で
意識もかなり朦朧としていた。

少しフラついているけれど仕方ない、
君に会えるならこれくらいのことは
いくらでもやってしまえる。

そしてやっと目の前に現れた
空港に一目散に駆け込んで。

30分後にはパリを出た。

飛行機でパリから日本まで行くのに
掛かる時間は大体11時間と45分くらい。

待っててよ。
頼むから、逝かないで。

心の中で必死に祈るけれど、所詮ここは
飛行機の中、フランスの遥か上空だ。

俺がここで結乃にしてやれることなんて
ほとんどなくて、強いて言えば
こうやって彼女の無事を祈るくらい。

ヤバいな、俺。
結乃が心配で頭がおかしくなりそう。

いつだって、結乃は俺を思いのままに操る。
彼女の仕草や言葉に一喜一憂して
気が付けば彼女の虜になっているんだ。
6年前の、初恋。
俺が結乃と出会ったのは、
まだ小学3年生だった頃だ。

あの日、俺は友達と近所の
お化け屋敷といわれるホラースポットに
遊びに行くという約束をしていた。

お化け屋敷。

そこがいつからそう呼ばれているのかは
俺たちも知らなくて、物心ついた頃から
あそこは恐ろしい霊が住み着いた
お化けの屋敷だと言われていた。

夜中や早朝など時間を問わずその家からは
奇声が聞こえたり、物が壊れたような
激しい破壊音、それからすすり泣くような
子供の泣き声が聞こえてくるらしい。

まだまだガキだった俺たちはそこに
探検に行こうなんていう突拍子もない
ことを思い付いたわけだ。

それで、数人の友達と一緒に俺は
お化け屋敷を訪れた。

家の周りの草は伸び放題、壁や
フェンスも薄汚れて少し錆び付き、
人の気配は全くない。
「ここだろ、お化け屋敷。」

「叫び声をあげる怖い
お化けがいるらしいよ。」

「入ってみよーぜ。」

そんなふうに家の前で会話を交わして、
それからゆっくりとドアを開ける。

俺はびっくりしてその場に立ち尽くした。

だってそこに、女の子が居たから。

自分と同じくらいの年齢で、色素の薄い
茶色の髪に大きな瞳をもつその子は
ドアの所でしゃがみこんで震えていた。

「お化けだ!」

他の友達は女の子を見るなり
そう叫んで次々と走って逃げていく。

「大丈夫?」

残された俺はその子に声をかけた。
その子が心細そうな顔をしていたから。
誰にも言えないような辛さを
胸に抱えているような気がしたから。


そしてその日から、俺と結乃は
かけがえのない幼馴染みになったんだ。