「奏......!」
きっと思い出さない方がいいの。
君に逢いたくなるから。
私の声は果てしなく続きそうな暗闇に
虚しく響き渡り空間を引き裂く。
私は死にたかった。
どうせなら一息に死んでしまいたかった。
いや、もしかしたら生きていると
勘違いしているだけで本当は
もう死んでいるのかもしれない。
暗闇は私にとって過去のトラウマの1つ。
お母さんが私の目を塞いでカッターで
首を切ろうとしてきたことがあるから。
あの時は隣の家に住んでいた人が、
回覧板を渡しにきて異変に気付いてくれた
おかげでなんとか助かったけれど、
もしも気付かなかったらきっと私は
あの時にあっさりと死んでいたはずだ。
暗闇は怖い。
先へ進む道も後ろへ戻る道も全てを
飲み込んで隠してしまうから。
「誰か、助けて。」
ダメもとで助けを求めてみるけれど
やっぱりここには私しかいないみたい。
どうしよう。
考えているとぽんと地面から
可愛らしい赤の椅子が出てきた。
どこからこの椅子は出てきたんだろう。
それに、いったいどうやって?
私が椅子に触れようとすると、
椅子が形状を変化させ始めた。
ipadのようになった椅子に、スクリーンが
ぼんやりと映し出される。
スクリーンには、とあるニュース番組を
放送している映像が映っている。
今紹介しているニュースのサブタイトルは
『増える学生自殺の背景にあるもの』
と書いてあった。
ニュースキャスターが淡々とニュースを
読み上げていくのに耳を傾ける。
「_の盥ヶ峰駅で女子学生がホームから
線路に飛び込み、電車と接触しました。
警察は自殺の可能性が強いとして女子学生に
対してのいじめの有無や家庭環境などを
捜査していく方針です。なお女子学生は
救急搬送されて一命をとりとめましたが、
意識不明の重体で現在は近くの病院で
治療を受けているとのことです。」
やっぱり。
これは、私の自殺未遂についてのニュース。
私は死んでないんだ。
『いじめの有無や家庭環境などを
捜査していく方針です』
この言葉にいったいどれだけの
真実が紛れ込んでいるんだろう。
警察はきっと形だけの調査をして私が
自殺したのはいじめが理由じゃないって
結論づけるに違いない。
学校側がいじめを認めるなんてことは
絶対にあり得ない。
学校の名に泥を塗ることになるから。
気づかぬうちに汚してしまうから。
『いじめはいじめる側だけでなく
いじめられる側にも何かしら問題がある』
大人はよくそう言う。
少し前まではそんなの嘘だって思ってた
けれど、もしかしたらあながち
間違っていないのかもしれないな。
一連のニュースが終わると同時に、
ipadは元の椅子の形に戻る。
その時、私はあることに気付いた。
暗闇の世界の遥か向こう側に
小さな小さな光の点があることに。
あそこから、出られる。
自然と足はそちらの方に向いて、
私は光に向かって走り出していた。
走りながら、手を伸ばす。
遠い光が、いつまで追いかけても
追い付けない奏の背中と重なった。
今はまだ辿り着けなかったとしても。
いつか君と肩を並べる。
そして、君を越えてみせる。
走って、走って、走る。
走り続ける不安や疲れなんかよりも
心に灯る希望の方がずっと大きかった。
必ず、あの光を。
この手で掴みとるから。
スマホを開けると葉音から
ありえない量の着歴がきていた。
確認すると、どれもほんの数秒前。
かけ直すかどうか悩んでいると、手元で
スマホが軽やかに着信を告げた。
prrrr.prrrr.prrrr...
「もしもし、葉音?どしたの。
すごい数の着歴で正直いうとかなり
びっくりしたんだけど。」
俺が電話にでると、葉音は
ほっとしたように安堵の息が聞こえた。
『良かった......。ねぇ、奏。
スマホのメッセージアプリに
連絡いれたんだけど、奏はそれ見た?』
尋ねられて、俺は答える。
「ごめん、見てない。今、スマホとか
触ってられるような状況じゃないんだ。
この電話もいつ切るか分かんねぇもん。」
スマホの画面越しに無言の時が過ぎる。
向こうは今、何時くらいなんだろ。
朝か、それとも夕方なのかな。
そんなどうでもいいことを考えていた。
すると、葉音が静かな声で言った。
『1度しか言わないからよく聞いて......
結乃が、自殺未遂をした。結乃を
救えるのは貴方だけなの。そっちから
帰ってきたらちゃんと結乃の傍に
行ってあげなよ。それじゃ。』
混乱する俺を残して電話が切られる。
結乃が......自殺未遂?
冗談はよしてくれ。
頼むから嘘だと言ってくれよ。
握りしめた拳が震えた。
「どういう、ことなんだよ......」
すぐに検索アプリを開いて女子高生の
自殺未遂についての
ニュースがないか調べてみた。
『盥ヶ峰駅で女子高生が電車と接触』
そんなニュースを見つける。
盥ヶ峰。
それってもしかして。
結乃の母さんと俺の母さんが...。
いや、違う。
結乃の母さんのフリしてる俺の母さんと
俺の母さんのフリしたままガンで死んだ
結乃の母さんが生まれ育った町だ......。
「なんで、あんな最悪な場所で
死のうなんてこと思ったんだよ。」
呟きが西洋の街並みに溶ける。
結乃は、俺たちの生まれについては
なにも知らないはずなのに...。
俺は深呼吸を繰り返して、
スマホに映るニュースを読み進めた。
『少女は電車と接触したもののすぐに
救急搬送されたため一命をとりとめ、
今は入院している。また、少女が電車と
接触した場所で古いラジオが見つかり、
事件と関係があるのかどうかを
警察が現在調査している。』
古い、ラジオ。
その単語で、俺は毒気を抜かれたかのように
へなへなとその場に崩れ落ちた。
俺と結乃は幼馴染みで。
小学校からの付き合いで。
それ以上は何もないと信じていた。
それが壊されたのは中2の夏。
離婚したあとに酒に溺れて結乃に暴力を
奮っていたアイツが轢き逃げ事件を
起こして逮捕された時のこと。
俺は養子縁組で引き取ってもらった先の
今の母親である神影さんに必死で頼んだ。
『もし結乃の親が親権を放棄するなら...
彼女を、引き取ってほしい。』
中2でまだまだガキな俺の頼みなんか
聞かなくてもいいのに、神影さんは
真剣に話を聞いてくれた。
結乃と出会ったときのことや虐待のこと。
虐待が酷かった一時期は、俺が勝手に
連れてきて一緒にうちに住んでいた子だと
伝えると神影さんはほっとしたようだった。
『あの子のことならよく覚えてるわ。
養子縁組で引き取れるように
市役所の方と話し合ってみるわね。』
そして、結乃は俺と兄妹になった。
俺は昔から結乃が好きで。
ずっとその想いを隠したまま結乃との
幼馴染みという関係を続けている。
想いが通じあっていなかったとしても、
一緒にいられるだけで幸せだった。
なのに。
あの日、俺は衝撃の事実を知った。
中2の秋。
俺は久しぶりに『お化け屋敷』と
呼ばれていた結乃の家を訪れていた。
ここは俺たちが出逢った場所。
俺はなんらかの想い出の品が欲しくて
ここを訪れたということになっている。
今、ここの土地の所有権は結乃の親戚が
持っているらしく俺が電話をかけて
事情を説明すると、
『あそこは使う気もないから勝手に
入ってくれていいし、欲しいものが
あるならなんでも持って帰ってくれ。』
と面倒くさそうに言われた。
ガチャリ。
ドアを開けて、直後に俺は咳き込んだ。
『......うわ。』
クラクラするような酒の匂い。
テーブルや床には空っぽになった酒瓶や
ワインボトルが散乱していて、酒の匂いは
その場に立っているだけで酔っぱらって
しまいそうなほど部屋に充満していた。
アイツが逮捕されてから3ヶ月くらい
経ったはずなのに、異様なほど生活感の
残っている手付かずのリビングやキッチン。
リビングの窓にはヒビが入り、
キッチンには洗っていないグラスや食器が
そのままシンクに放り込まれている。
結乃の家がここまで酷い状態だったなんて。
俺はそんなことさえ知らなかった。
呆然として部屋を見回す。
それから、窒素含有複素環識化合物を
塩基性水溶液に溶かしたものを床に
しゅしゅっと霧吹きで吹き掛けた。
これは、所謂ルミノール反応というやつ。
俺が吹き掛けたこの不思議な液体は、
血液に反応して発光する。
じっと床をみつめていると、床はやがて
濃くはっきりと発光し始めた。
俺はスマホでそれを写真におさめる。
壁やテーブルの角でも同じように発光した
反応の様子をスマホで撮った。
これは、虐待の証拠。
結乃がもし虐待に耐えられなくなって
自殺を考えるようになったとしたら、俺は
これを警察に提出するつもりだ。
そのために今日は想い出の品を探したい
なんて嘘をついてまでここに来た。
結乃を傷つけるやつは許さない。
俺にとって結乃は何にも変えられない
掛け替えのない大切な存在なんだ。
何枚か写真を撮って俺は奥の部屋に進む。
そこには、ラジオが置いてあった。
古ぼけた、壊れそうなラジオ。
『......なんで、ラジオが。』
こんなところにあるんだろ。
俺は少しずつラジオに近づいた。
小さくて赤っぽい色をしたそのラジオには
ボタンが2つしかついていない。
『録音』と『再生』
録音ボタンで録った音を、
再生ボタンで流して聞くんだと思う。
俺は興味本位で特に深く考えもせずに、
『再生』と書かれている方のボタンを
押してみた。
それが自分の後の人生を
左右することになるとも知らずに。
゛ザザッ゛ ゛ザーッ゛
まるでテレビ画面の砂嵐のみたいな音が
流れてそれから音声が再生された。
゛男の子なんかいらないのよ!
なんでお前なんか産まれてきたの!゛
゛私の女の子と交換しませんか?゛
どういう、ことだよ。
混乱した俺を余所に音声は続く。
゛えぇ、いいわ。じゃあ私は
女の子を貰うわね...ふふ。゛
゛じゃあ私はこの男の子を。゛
この声は......死んだ俺の母さんと、
結乃の母さんの声......。
「.........っ!」
俺はとんでもないことを知ってしまった。
自分の命が交換の代償にされたのだ
ということ、それから自分の親が
本当の親ではなく偽物だったということを。