゛えぇ、いいわ。じゃあ私は
女の子を貰うわね...ふふ。゛
゛じゃあ私はこの男の子を。゛
゛ザザーッザザーッブツッ゛
場面が切り替わった。
私は膝から崩れ落ちる。
゛なんでそんなことしたんだよっ!゛
奏......?
゛意味わかんねぇよ!結乃と俺が
入れ替わりの子どもなんて......そんなの
信じれるわけねぇだろ?!
なんで結乃を虐待すんだよ......っ。゛
もう、やめて。
聞きたくないよ、こんなの。
「結乃、耳を塞いで!誰か先生を
呼んでくるから。そこで待ってて!」
葉音が身を翻して走っていく。
その間もラジオからは音声が流れ続けた。
゛この子は結乃っていう
名前をつけたんですよ。゛
゛この子は、奏よ。゛
満足そうな2人の女性の笑い声。
訳が分からないのに涙が出てきた。
奏は、知ってたんだ。
私と奏が入れ替りの子どもだってこと。
『男の子なんかいらないのよ。』
お母さんのたった1言だけの我が儘で、
私と存在ごと交換されたこと。
全部ぜんぶ、知ってたんだ。
なんで教えてくれなかったの?
意味、分かんない。
ちゃんと説明してよ......!
私はラジオを両手で抱え込んで
屋上から中に入って葉音に
見つからないようそのまま走り出した。
死のうと思った。
心も身体も、もう限界だった。
私はラジオを抱えたまま学校を
飛び出して、駅を目指した。
夕陽が傾いていく。
最寄り駅に着くとちょうど目標に
していた電車をみつけて飛び乗る。
電車は東へと走った。
車内は誰も乗っていなくて、ただ
柔らかな夕陽が窓から射し込んでいる。
私は、音を発さなくなった
ラジオの表面を手でそっと撫でた。
電車がさらにスピードを上げていく
なかで、私はそっと目を閉じた。
目的地まではまだ時間がある。
電車は走る。
私たちの出逢いの場所に向かって。
私にとって゛最期 ゛を
迎えることになるはずの
想い出の場所に向かって。
〈今を生きるなんて〉
自分の判断以上に、自分を欺くものはない。
目を開けると、いつのまにか
また太陽が昇っていくところだった。
腕時計を見ると、まだ朝だ。
車窓からの景色は都会のネオンの街並みから
美しい田園風景へと変わりつつある。
見回すと私だけしか乗っていなくて
柔らかな緑のグラデーションに包まれた
景色を独り占めしているような気分になった。
私が向かっているのは、盥ヶ峰駅という
古くてちっぽけな木造の駅。
漢字が難しすぎると言われることもある
けれど、こう書いて『たらいがみね』と
読む、少し特殊な名前の駅だ。
そこは、お母さんが生まれ育った町。
今まで行ったことがなかったし、
どうせ死ぬのなら自分を苦しめる
お母さんが生まれた土地で
死んでやりたいと馬鹿みたいに思った。
奏がフランスに行ってから、
今日でちょうど1ヶ月が経つ。
奏はきっと私のことが嫌いだったんだ。
だからあんなにも大切なことを
私に教えてくれなかったんだ。
言って欲しかった。
どうせならちゃんと打ち明けてくれた方が
私にとっては嬉しかった。
『次は、盥ヶ峰~、盥ヶ峰~。終点です。
右側のドアが開きます、ご注意ください。』
車掌さんの穏やかなアナウンス。
車内にはどこまでも透き通っていて
静けさを保った時間が流れていく。
私はラジオとスクールバッグを持ち、
ぼんやりと窓の外を眺めた。
音をたてて開いたドアから降りて
周りを見渡せばそこは朧気な記憶に
ある風景そのままに何も変わらない
景色が広がっていた。
次の電車まではあと3分。
私はぴかぴかと光りながら次に到着する
電車を案内する掲示板を見つめた。
死にたい。
考えたことは過去にも何回かある。
その度に奏に助けられてきた。
でも、今こうして私がここにいること、
私に死ぬ選択を踏み切らせたのも君だ。
人はなんと残酷な生き物なんだろう。
裏切りなんてもう慣れたと思ってたのに。
奏は、私にとって最後の砦だった。
いつだって奏が居れば頑張れたから。
君がずっと隣に居て支えてくれたから。
私は今日まで生きてこられたのに。
私が消えても君は悲しまないよね。
だって私と君は入れ替りの子だから。
私が消えればきっと君は愛される。
それなら私は......自ら消えるから。
~まもなく電車が参ります
黄色い線までお下がりください~
機械的なアナウンスが流れると同時に、
遠くに電車のぼんやりとした影が見えた。
やがてその影が近づき、私は目を細めて
じっとタイミングを見計らう。
そして......
目を瞑ったまま走り出し、
黄色いラインを踏み越えて、
電車が突っ込んでくる線路に
そのままの勢いで飛び込んだ。
゛ドンッ゛
大きな音がして、鈍い痛みが
全身をゆっくりと走り抜ける。
直前に見上げた空はどこまでも
まっすぐな青で、まるで私の気持ちを
馬鹿馬鹿しいと嘲笑うかのように
太陽が煌めき、照りつけていた。
長いようで短い気を失うまでの時間。
たくさんの場面が頭をかけめぐる。
私に笑いかけるお母さん。
私に手を上げたときの呆然とした顔。
酒が入ったときの狂った言動。
小学校の頃から責任感が強くて、
よく委員長をしていた葉音。
奏の代わりになってくれたこと。
机を持ち上げて迫ってきたときの
嫉妬や憎しみで歪んだ顔。
まだまだちっちゃくて、濃紺の
ランドセルを背負ったやせっぽちの奏。
うちの家の前で話す男子の声。
口に広がるバニラの風味。
口無しの道化師が流した一筋の涙。
ジュリエットと短剣。
1つ1つの想い出が駆け巡って
私はぎゅっと目を閉じた。
この世界からきっと私は、
あとかたもなく消え去るの。
ほっとして意識を手放した。
沈んでいく、沈んでいく。
深い、誰にも見つからないような
海底に眠ってしまえればいいのに。
『ありふれたテレビのニュース番組。
まるで仮面のような表情を貼り付けた
キャスターが、画面越しに
淡々とニュースを読み上げていく。
「続いて、ここポイント。
午後のニュースを紹介いたします。
今日の早朝、午前6時頃に高校1年生の
少女が盥ヶ峰駅のホームから線路に
飛び込み、自殺を図りました。
なお......
少女は一命をとりとめ、現在は近くの
病院で治療を受けているとのことです。」
モザイク気味で映し出される
盥ヶ峰駅のホームと美しい田園風景。
「それにしても最近は自殺する人が
とても増えていますよね......」
興味のなさそうな感じでニュースに
コメントするキャスター。
「そうですね。政府の調査によれば......」
偉そうに情報を述べて上から目線に
ニュースを解析する評論家。
このニュースはなんでもない
ただの女子高生の自殺事件である。
だけど。
関係者にとっては、忘れられない
事件なのだということをこのサイトを
見る人は忘れないでほしい。
楽しみは一瞬なのに、
苦しみは、永遠だ。
それを心に留めていてほしい。
自殺した少女の快復と
その笑顔が取り戻されることを願う...
投稿者Anne』
私にとっての結乃は、まるで
ポーラースターみたいな存在だった。
ポーラースターっていうのは、
空に輝く北極星のこと。
結乃はいつでも誰にでも優しくて
今でもずっと私の憧れの存在。
同じ小学校だった私たちの
出会いは本当に突然で。
小3のとき、休み時間に熱中症で
倒れた私を助けてくれたのが結乃だった。
いきなり倒れた私を他のクラスメートは
遠くから眺めるか馬鹿にするかだったのに、
結乃は側に来て声をかけてくれた。
『苦しいの?大丈夫だよ。
すぐに先生が来るから。今、かな君が
先生を呼んでくれてるから。』
そういって結乃は私の背中を起こして
スポーツドリンクをくれた。
まもなく奏が先生を呼んできて、私は
保健室に連れていかれたけれど、
そのとき結乃と奏は2人で嬉しそうに
笑ってたのが印象に残っている。
『いいことしちゃったね。』
『そうだね。』
そんなことを言ってたっけ。
あの時から、私の中で結乃は
憧れの人、目標になった。
結乃と仲良くなりたかったけれど、
恥ずかしがり屋だった私はお礼すら
言えずに小学校を卒業してしまった。
だから、正直かなり驚いた。
中学の入学式で奏と結乃を見かけたとき
本当に嬉しかったのを覚えてる。
友達になりたくて、声をかけた。
結乃はあの時のまま変わらず
誰にでも優しくてすぐに私は結乃と
仲良くなった。
だけど本当は結乃のことなんか
家庭環境さえこれっぽっちも知らなくて。
忘れられない、雨の日の朝休み。
奏が突然、私に打ち明けた。
『結乃は母親に虐待されてたんだ。
その母親は酒に溺れた挙げ句に
轢き逃げ運転をして逮捕されてる。
父親はかなり昔に結乃の母親に呆れて
離婚して出ていったらしい。』
気を失いそうなくらいショックだった。
いつも控えめににこにこ笑ってる結乃。
家でも両親に愛されて笑ってるんだと
勝手に想像してた。
自分の中の負の気持ちを
心に固く閉じ込めて笑ってたなんて。
なんで気付かなかったんだろう。
『奏は、なんで知ってるわけなの。』
尋ねると、彼はふっと笑って答えた。
『結乃のことは俺が守るって
あいつと約束したから。それに、俺と
結乃は養子縁組で同じ家に引き取られた
から戸籍上は兄妹なんだよ。
家族のことは大切にしないとね。』
養子縁組。
ということは奏の家庭にも何か大きな
問題があったってことだ。
親権を手放された結乃と奏。
どれだけ辛い思いをしてきたんだろう。
胸がきゅっと痛くなる。
そしてあの時から私は誓った。
『2人の笑顔は私が守る』
ってことを。