わき上がる声援の中、先輩がわたしの前を通り過ぎるとき。
わたしは叫んだんだ。
あの秋の夜みたいに。
「がんばってください……っ」
あのときのように返事は返ってはこなかったけれど
“ありがとう”
駆けてゆく先輩の後ろ姿が、そう言ってくれたような気がした。
―――結局、先輩は次のランナーにたすきを渡したとたん、地面に倒れこんで病院に運ばれたらしい。
チームは入賞を逃し、記録には何も残らなかった。
がんばったところで、得なことなんかない。
しんどいばっかで、報われるとも限らない。
だけどきっと先輩は、倒れながらも満足そうに笑ってたんじゃないかな。
なぜかそう思うんだ。
わたしはもう、先輩を追いかけることはないと思う。
でも、たまには夜の道を走ってみるよ。
お母さんのお手伝いも、またやろうかな。
体育は嫌いだけど、やれるだけやってみることにする。
時々は、ちゃんと勉強もするよ。
少しずつ、少しずつ
先輩みたいな人になれるように。
そうして約3ヶ月後の、春。
先輩たち3年生は、この高校から巣立っていった。
卒業式の日、わたしたち下級生は体育館の外で、式を終えた卒業生が出てくるのを待っていた。
退場の音楽が流れ、開く体育館の扉。一斉に拍手が鳴り響く。
晴れやかな表情で現れた卒業生たちの、胸元にはバラの形の花飾り。男子は白で、女子は赤。
ハンカチで涙をぬぐう人もいれば、友達同士で抱き合って泣いている人もいる。
そんな中、福山先輩は堂々と胸をはり、涙をこらえていた。
先輩のまっすぐな瞳。
短い髪。
きっちりボタンをとめた学ラン。
シャキシャキと歩く姿。
明日からはもう、見られなくなるんだね。
だけどずっと忘れない。
……福山先輩、あのね。
大好きでした。
わたしの初恋の人が、あなたでよかった。
卒業生を見送り、わたしたちは教室に戻った。それからホームルームの時間が終わっても、すぐに帰る気にはなれなかった。
グラウンドや学校の近くでは、まだたくさんの卒業生たちが、写真を撮ったり別れを惜しみ合っている。
そういうの見ると泣いちゃいそうだから、みんなが帰っていなくなるまで、陽子とふたりで教室でおしゃべりしていたんだ。
1時間ほど時間をつぶし、わたしたちは教室を出た。グラウンドにはもう卒業生の姿がほとんどなく、校内も静かだった。
「4月からはわたしたちも2年生かー。卒業まであっという間なんだろうね」
いつになくしみじみとした口調でつぶやいて、下駄箱からスニーカーを取り出す陽子。
その言葉にうなずきながら、下駄箱の中に伸ばしたわたしの手に
何かが当たった。
「―――…」
指先に触れる、薄い布の感触。
……何……?
ゆっくりと取り出して、見てみると。
……白いゼッケン。
これは……
これは、あの駅伝で選手たちが胸につけていたものだ。
“ありがとう”
サインペンで書いた文字が、にじんでいた。
わたしの涙がその上に落ちて、もっとにじんだ。
あのゼッケンを下駄箱に入れたのが誰だったのか、わたしにはわからない。
もしかしたら誰かのイタズラかもしれない。何かの間違いだったのかもしれない。
それでもわたしにとっては
いつまでも大切な、宝物。
不器用で、幼くて
「好き」とすら伝えられなかった、わたしの初恋。
何ひとつうまくいかなくて、切ない想いばっかりで
だけど温かかった、一度きりの初恋。
……福山先輩。
元気ですか?
今も先輩はわたしにとって、誰よりもかっこいい憧れの人。
永遠に消えることのない、心の特別な場所で
今日も先輩は走っています。
-END-