福山先輩、あのね。


「あれ? もしかして君って、1年の北島沙和ちゃんじゃねーの?」


さっきの3年生にいきなり名前を呼ばれたわたしは、目を丸くして「あ、はい……」と答える。すると彼は、ジュースのストローを前歯で噛みながら、にやにやと笑って福山先輩とわたしを交互に見た。


「あの作文の子だよね?」


首から上が、カッと燃えるように熱くなった。
恥ずかしさ、いたたまれなさ。それらが矢のように突き刺さり、体がぶるぶる震えて何も言えなくなる。

そんなわたしをさらにからかうように、彼は言葉を続けた。


「あ、もしかして今、福山に告白タイムだった? 俺、ジャマしちゃったかなー、ごめんね。でもまあ気にせず告ってよ。
おい福山、沙和ちゃんの愛の告白、ちゃんと聞いてやれよー」


「くだらないこと言うなよ!!」


激しい怒声が響いた。雷が落ちたように空気がビリビリと振動し、男子生徒はびっくりした顔で黙りこむ。


「……迷惑なんだ」


うなるような低い声で、先輩が言った。


「………っ」


わかっていたこと。じゅうぶん自覚していたこと。

だけどやっぱり、本人の口から直接聞くその言葉は、どんなナイフよりも鋭くわたしの胸を切り裂いて―――



わたしは逃げ出すように、その場から走り去った。




『……迷惑なんだ』



ごめんなさい。先輩。

わたしのせいで迷惑をかけてごめんなさい。

あんな作文を書いてごめんなさい。

嫌な思いをいっぱいさせてごめんなさい。



先輩のこと、好きになって

ごめんなさい……。







泣いて、泣いて、たくさん泣いて迎えた朝。

駅伝大会の日が、ついにやって来た。



「うわ~、寒いっ。これじゃ駅伝が終わるまでに凍っちゃうよ~」


マフラーをぐるぐると首に巻き付けながら、陽子が叫んだ。

駅伝に参加する選手は、各学年から12人ずつ。その中には、もちろん福山先輩がいる。

ほんとは先輩の姿、見たくない。
でも駅伝に参加しない生徒は、沿道から応援するように決められているから、仕方なくわたしも校舎を出た。

駅伝がスタートするまで、あと30分くらい。グラウンドには選手たちが集まり、準備運動をしていた。

みんな緊張した面持ちで、だけど胸に縫いつけたゼッケンが誇らしげ。

そんな中、白い息をはきながら屈伸運動をする福山先輩の姿があった。

真剣な表情がまぶしくて、わたしは目をそらす。


「ねえ沙和、どのあたりで応援するー?」

「んー。コンビニの近くがいいよね」

「同感ー」


わたしは平静を装い、陽子とおしゃべりしながら先輩の横を通り過ぎた。



学校から400メートルほど離れた場所にあるコンビニの近くには、すでに応援の生徒たちがちらほら集まっていた。

その中には、木下の姿も。


「おー、沙和。お前らもここで応援すんのか」

「うん。あったかい飲み物もすぐ買えるしね」


縁石に腰かけたわたしのそばに、木下も当たり前のように腰をおろした。その距離の近さに、わたしが一瞬身構えると、木下はさりげなく少し間隔を開けた。


『俺の方が、お前には似合うって』


あの電話での会話のあとも、木下は何事もなかったかのように、以前と変わらない態度で接してくれる。それが有難くもあり、ちょっと心苦しくもある。



「あ、そういやさ。
福山先輩、選手の中にいた?」

「……え? うん」

「そっか」


木下の顔が曇る。そのただならぬ様子に、わたしは眉をひそめた。


「なんで、そんなこと聞くの?」

「いや、実はさ……今日の朝、先輩んちのおばさんが言ってたんだ。
先輩……右足をネンザしてるらしいんだよ」

「えっ……」


反射的に頭に浮かんだのは、昨日、違和感を覚えた先輩の歩き方。

そうだ、あのときたしかに、いつもの先輩とはどこか様子が違った。あれはケガをしていたからだったんだ。

なのにわたしは、3年生にからかわれたことで頭がいっぱいで、先輩の異変にきちんと気づけなくて……。


「本当は先輩、安静にしてなきゃいけないのに、絶対に出るって言って、ゆずらなかったんだって」

「………」


心臓が早鐘のように打ち、息が苦しくなってくる。寒いはずなのに、握りしめた手には汗がにじんでいる。

わたしが焦ったところで、どうしようもない。
わたしが先輩に対してしてあげられることなんて、何もない。

だけど……わかっているけど。


「あっ、おい! 沙和!」


いてもたってもいられずに、わたしは勢いよく立ち上がり、学校の方へ走り出した。



上がる呼吸。心拍音。

髪を乱して走るわたしを、沿道の生徒たちが不思議そうに見ている。

走るのなんか、久しぶりで。
地面を蹴るたびに、足がもつれて。
息が苦しくて。
胸が苦しくて。


走りながら、以前木下と陽子が話していた会話が、脳裏に浮かんだ。


『わざわざ駅伝なんてしんどいこと、なんでやるんだろな』

『言えてるー。もっと楽しいこと、いっぱいあんのにさあ』


……ほんとだよね。
もっと楽しいこと、いっぱいあんのに……。

なんで先輩は、そんな必死にがんばるのかな。

なんでわたしは……
先輩に迷惑がられても、この恋をあきらめきれないのかな。


だけど好きで
やっぱり好きで

しんどくても
好きで。