「入っていきなよ。はい。」

傘を広げてこっちに向けてきた。

柚木にとってそれは自然な仕草かもしれないが、花澤にとっては滅多にない特別な場面で自然と顔が赤くなる。

「あ、ありがとう。」

暗くて良かった、きっと顔が赤くなっているのは気付かれていない筈だ。

隣に並んでふと違和感から柚木の方を見る。

「…柚木くん、目線が同じだ。」

「え?あ、本当だ。花澤さんに追い付いた!」

そうやって歯を見せて笑う柚木の昔を思い出してみた。

幼い頃から背の順ではいつも前の方だった柚木はからかわれる事が多かったように思う。

本人も気にしていたようで少しでも大きく見えるようにと姿勢を正しくする事にすごく気を付けていた。

「まだまだ伸びるよ?俺の兄ちゃんも高校で10センチ伸びたって言ってたしね。俺は遺伝子を信じてるぜ!」

「あはは。遺伝子って!」

「俺には伸びしろしかない!」

自信満々に語る柚木が可愛くて仕方がない。

昔から常に努力して目標を達成していく姿を見せてくれていた柚木、彼に対して可愛らしくていじらしいという印象が強かった。

今も変わらない柚木の姿に安心する。

「花澤さんはまだ伸びてる?」

「ううん、さすがにもう伸びてないかな。」

「よしよし。そのままキープしててくれるとありがたい。」

「何それ。」

思わず笑ってしまった花澤の頭に柔らかい衝撃がきて視線を上げた。

「花澤さんを見下ろせるくらいに大きくなるからさ。」

これ以上伸びないでね、そう言いながら柚木は花澤の頭を優しくポンポンと叩く。

その手の温かさ、大きさ、距離の近さに気付かされて心臓が跳ねた。

「あ、下駄箱着いたよ。」

その声をきっかけに花澤は柚木から離れて下足場までの階段を駆け上がった。

「あ、ありがとう。教室に置き傘があるから…またね!」

多分照明の逆光で顔が赤くなっているのは気付かれていない筈だ。

昔と変わらない無邪気な笑顔を見せる柚木にどう向き合っていいか分からない。

「花澤さん、気を付けてね!」

ただの幼馴染が、同級生が、急に男になった様でビックリした。

今まであんなに近くで話しても何も思わなかったのに一体どうしたんだろう。

いつも見上げられていた視線が同じ位置になったから驚いているだけ、そう自分に言い聞かせて胸元を握りしめる。

「違う…。」

多分もう身長は抜かされているだろう、肩の位置が花澤よりも高かった。

大きな手、昔とは違う低くなった声。

思い出すだけで恥ずかしくなって花澤は両手を頬に当てた。

「昔は可愛かったのに。」

可愛らしい笑顔は変わらない、でも今日はどこかそうじゃない雰囲気に戸惑いを隠せない。

足の痛みも忘れそうなくらい花澤は柚木のことで頭がいっぱいだった。

(なんだろう、ドキドキする)

ちっとも治まりそうにない心臓に困りながら花澤は職員室へと向かった。

無事に鍵も返して置き傘も取ってきた。

止みそうにない雨は心なしかさっきよりも強くなった気がする。

「頭を冷やせって事かな…。」

人気の無い校舎に溶けていく自分の声が切ない。

暗闇の雨、誰もいない廊下なんて誰が楽しめるものか。

自分が恐怖を感じる前に退散しようと花澤は足早に下足場に向かった。

…からんっ

「ひゃっ!!」

慌てて音がした方を振り向いて見ても何もない。

たまにある、どこからか聞こえてくる正体不明の軋み音というか金属音というか。

暗い場所で一人だとただただ怖くなるだけで花澤は半泣きになりながらとにかく急いだ。

早く帰ろう、ゆっくりしたって良い事なんか何もない。

肩にかけたカバンの持ち手をしっかり握りしめながら懸命に歩いてようやく下駄箱についた。

「はあ…。」

明るいだけでこんなに安心するなんてどれだけビビリなんだ。

自分を情けなく思いながら靴を履き替える。

「おかえりー。」

また大雨に向き合う為に外に出ると、優しい声に迎えられて花澤は目を丸くした。

「柚木くん!?」

「鍵返せた?あ、傘持ってるね。じゃあ帰ろっか。」

そう言ってまた傘を開く柚木に花澤は戸惑いを隠せない。

「帰ったんじゃなかったの?」

「ううん、ここに居たよ?これ止みそうにないから早く帰ろう。」

当然のように誘う柚木につられて思わず花澤も歩き出した。

一歩軒下から出た途端に勢いよく雨が傘を叩く音がする。

「さっきより強くなってるかも。」

「だね。」

若干引きながらも仕方なく二人は雨の中を歩き出した。

「なんかこうやって帰るの小学校以来じゃない?登下校班とか懐かしいなー。」

さっきとは違って二人の間に距離を保てている分やりやすい。

それに今までと変わらない柚木の様子に花澤は少し安心して息を吐いた。

変な会話を聞いた後だからだ。

さっき感じた今までと違う柚木の雰囲気は花澤自身が不安定な気持ちだったからだと納得した。

「あの頃ランドセルが重たかったけど、今も考えてもランドセル自体が重たかったよね。」

「俺はチビだったからな~余計にきつかった気がする。」

「そうだね。ぶっちぎりの先頭だったもんね。」

「それ背の順の話だろ?!花澤さん、ひでえな!」

柚木の相変わらずの反応に花澤も笑ってしまう。

あの頃は確かに背が低くて、先頭になることが多くて、たまに先頭じゃない時は誇らしげに全力で喜んでいたのを思い出した。

でも今はもう違う。

そう続けようと柚木を見た時、花澤は思わず目を見開いて固まった。

「今はもう花澤さんと同じくらいあるし、背の順だって先頭じゃないんだからな。」

傘と傘がぶつかって限界まで柚木が顔を寄せてきている。

同じだ、さっきと。

真っ直ぐに見つめるその目があまりにも綺麗で、呼吸をするのも忘れるくらいに魅せられる。

「あ、花澤さん!」

名前を呼ばれたのと同時に腕を引かれて柚木の方に近づいた。

何が起こったのか理解する前に二人の横を車が横切っていく。

助けてくれたんだ、そう胸の内で呟いてまた心臓が鳴った。

「ごめん、俺が車道側だった。」

そう言って花澤を奥にやって並び直す。

「花澤さん?」

全く声を出さない花澤を不思議に思ったのか、柚木は覗き込むようにして窺った。

背中に触れたままの柚木の手が温もりを伝えてくる。

「手…。」

「手?あ、ごめん。触ってしまった。まあ緊急事態だから?」

深く捉えずに許して欲しいと柚木は笑う。

慌てて怒っていないと花澤は首を横に振って柚木に伝えた。

「違う!あの、手が大きいのかなって!」

「手?」

自分の手を裏表にしながら眺めると柚木は花澤の傘の中まで手を突き出してくる。

不思議に思いながらも見つめていると柚木が笑顔で合わせるように促した。

「…大きい。」

「やった!俺の勝ち。」

手も昔とは違ってごつごつしていて、あの頃の柚木がどんどん薄れていく。

そして目の前の柚木がどんどん花澤の中で広がっていくのが分かった。

「手も大きいし足だって大きいからまだまだ伸びるよ。見てろ?あの頃の俺とは違うってところ見せてやる。」

得意げに、それでいて挑発的に笑う姿は今までに見たことない柚木だ。

恥ずかしくなって引こうとした手を握られ花澤は更に困惑した。

「力だってもう負けないと思うよ?」

「ゆ…。」

「いつか花澤さんの事、小さくて可愛いって言ってやるからな!」

それはなんて破壊力の強い言葉だろう。

恥ずかしくてくすぐったくて、腰が砕けそうな言葉に花澤は涙目になりそうだった。

顔が熱い。

「花澤さん?」

「が、頑張ってね!」

「どうした?顔が赤い…。」

「さ、早く帰ろう!」

少し強引に手を振りほどいて花澤は歩き出した。

心臓が痛いくらいにドクドク鳴っているのが分かる。

「足痛めてるんだから急いじゃ駄目だって!」

その言葉に思わず足を止めて振り返る。

「なんで…知ってるの?」

少し情けない声を出してしまった事に花澤は気付いていないだろう。

滅多に見ない花澤の姿、柚木は思わず笑ってしまうと数歩進んで近付いた。

「ちょっと引きずってる。」

言い当てられて花澤は思わず俯いてしまう。

何か言い返したいのだろうが上手く言葉が出なくて口を開けては食いしばっている。

「花澤さんて可愛いなあ。」

笑いながら放った言葉と笑顔がどれだけの破壊力があるのか分かっていないのだろう。

それを今やられるとどうしようもなくなる。

「柚木くん…っ!それは殺し文句だよ!」

そうやって抵抗するのが精一杯だった。

いや抵抗にさえなっていない気がする。

「…え?」

顔を真っ赤にして睨んでくる花澤の気持ちを知ってか知らずか。

柚木も顔を真っ赤にして二人は大雨の中暫く見つめ合ったのだった。



***ハナとユズ***

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